第9話:噂は国境を越えて
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エレノア姫とハインツ騎士団長が、報告と警護結成のために王都へと一時帰還してから数日後。
『死の毒沼』改め『アルス工房の庭』は、一見すると相変わらず平和でのどかな時間が流れていた。
「よし、今日の小麦の収穫はこれで完了だな」
黄金色に実った特大の小麦を抱え、俺は汗を拭った。
ふかふかの土と万能温泉のおかげで、作物は毎日スクスクと育ち、納屋には最高品質の小麦粉や乾燥ハーブがうずたかく積まれている。
『バウッ!』
横でシルバが、収穫したばかりの特大トマトをくわえて嬉しそうに尻尾を振っている。
「はいはい、お前にもやるよ。……あ、ガルドさん、お疲れ様です」
敷地の境界線から、身の丈を超える大盾を背負ったガルドさんが歩いてきた。
元Aランク冒険者の威厳に満ちた佇まいだが、その手には俺が朝作った『特製活力ポーション付き冷やしハーブティー』の竹筒が握られている。
「アルス様、見回り完了いたしました! 現在、周辺に凶悪な魔物の影はなし。極めて平和であります!」
「ありがとうございます、ガルドさん。でも、そんなに肩肘張らなくても大丈夫ですよ?」
「いいえ! ガルドめはアルス様から賜ったこの五体満足な体と命、この聖地の平和を守るために使うと誓いましたので!」
ビシッと敬礼するガルドさん。
完全に『聖域の筆頭門番』としての覚悟が固まっているようだ。
そんな和やかな会話をしていた時――。
ガタゴトと、遠くの森から大勢の足音と馬車の車輪の音が近づいてきた。
「むっ……! この気配は……!」
ガルドさんが一瞬で鋭い冒険者の顔になり、背中の大盾に手をかける。
シルバも低くグルルと唸り声を上げ、森の入り口を警戒した。
やがて、木々の隙間から姿を現したのは――白銀の鎧を身にまとった、総ぜい五十名を超える重装騎士団だった。
その先頭を走るのは、胸当てをピカピカに磨き上げたハインツ騎士団長である。
「アルス様ぁぁぁっ! お約束通り、近衛騎士団の最精鋭『第一陣・聖地警衛隊』を連れて参りましたぞーっ!」
「……えぇっ!?」
俺は思わず叫んでしまった。
ハインツさんの後ろに続く騎士たちは、一人ひとりが国にその名を知られるような一騎当千の猛者ばかりだ。
彼らは毒沼の境界線を越えると、その澄み渡る空気と息をのむような美しい光景に圧倒され、一瞬言葉を失った。
「こ、ここが死の毒沼……!? 噂以上の神聖な気が充満している……!」
「見ろ、あの畑に実る作物を! 一粒一粒が宝珠のように魔力を放っているぞ……!」
騎士たちが騒然とする中、ハインツさんは馬から飛び降りると、俺の前でドスンと力強く片膝をついた。
「アルス様! 国王陛下へ事の次第を報告いたしましたところ、陛下は涙を流して感涙され、直ちにアルス様へ『ルナリア王国最高権威・一級聖導師』の称号を授与することをお認めになりました!」
「い、一級聖導師……!?」
「はい! さらに、我が国が誇るこの精鋭五十名が、本日よりアルス様とこの聖地の周囲に駐屯し、外部からの不審者や不法侵入者を完全にシャットアウトいたします!」
ハインツさんが手を挙げると、騎士たちが一斉に剣を抜き、胸に当てて一礼した。
『我ら近衛騎士団、至高の聖者アルス様に忠誠を!!』
地鳴りのような叫び声が敷地に響き渡る。
「や、ややや、やめてください! そんな大層なことされたら、俺が近所に買い出しにも行けなくなっちゃいます!」
「ご安心ください! 買い物や物資の調達は、全て我ら騎士団と御用商人のヴォルフ殿が代行いたします! アルス様はここで、ご自身のお好きな研究とスローライフだけに専念していただければ良いのです!」
「いや、親切なのはありがたいですけど……!」
俺の困惑をよそに、騎士たちは素早い動きで毒沼の境界線付近に立派な幕営地と警備用の砦を構築し始めてしまった。
そして――噂の広がりは、ルナリア王国の中だけにとどまらなかった。
最果ての地に現れた『奇跡の調合師』と『病や傷を完治させる奇跡の聖地』の存在は、行商人ヴォルフや元冒険者ガルド、そして完治したエレノア姫の噂を通じて、隣国や周辺の大国へも瞬く間に伝播していったのだ。
「聞いたか!? ルナリア王国の第一王女の不治の病が、最果ての地の調合師によって一瞬で治ったらしい!」
「宮廷医術院が見捨てた病だぞ!? 一体どんな神薬を使ったんだ……!」
「我が国の将軍様も、過去の戦傷で体を壊しておられる……! 急ぎ、その調合師様に使者を送らねば!」
隣国の大公、隣領の領主、さらには大商業ギルドの幹部たちまでもが、次々と『死の毒沼』へ向けて使者や護衛を派遣し始めていた。
最果ての廃棄地だったはずの『死の毒沼』は、今や世界中の要人たちが憧れ、目指す『世界最高の聖地』へと変貌を遂げようとしていたのである。
その日の夜。
新しくできた露天風呂で、俺はハインツさん、ガルドさんと一緒にお湯に浸かっていた。
「ふあぁぁぁ……やっぱりこの湯は最高ですな……! 全身の細胞が喜ぶのが分かります……」
「そうだろうハインツ殿! これぞアルス様の恵みなのだ!」
筋骨隆々の男二人が、気持ちよさそうに湯船で体を伸ばしている。
傍らでは、シルバが温泉の熱で温まった岩場の上で『フチャー』と気持ちよさそうに丸くなっていた。
「……ハインツさん、本当に騎士団の人たち、ここに住み着いちゃうんですか?」
「もちろんです、アルス様! むしろ騎士たちの間では、ここへの赴任は『生涯一番の栄転』と大争奪戦になっておりますぞ! 毎日アルス様の野菜を食べ、この温泉に入れるのですから!」
「はぁ……」
俺は溜息をつきながら、夜空を見上げた。
(追放された時は、静かに一人で草むしりでもして暮らそうと思ってたんだけどな……)
静かなスローライフを目指していたはずが、気づけば最強の神獣がペットになり、元Aランク冒険者が門番になり、国家規模の騎士団が警護する『聖都』の基盤ができ上がりつつあった。
だが、湧き出る温泉の温もりと、美味しい食事を楽しんでくれる仲間たちの笑顔を見て、俺はふと口元を緩めた。
「まあ……賑やかで楽しそうだし、これはこれで悪くないか」
俺の無自覚なスローライフは、周囲を巻き込みながら、さらなる発展へと突き進んでいくのだった。
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