第6話:噂を頼りに訪れたベテラン冒険者
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交易都市『ルバート』の冒険者ギルド。
その一角にある酒場で、一人の男が黙々と酒をあおっていた。
男の名はガルド。元Aランク冒険者で、『鉄壁のガルド』としてかつて大盾を手に数々の凶悪な魔物を退けてきた猛者だ。
だが、その勇姿は過去のものだった。
三年前に大型魔獣との戦いで右膝を激しく砕かれ、さらに魔毒を浴びたことで、膝から下の神経は死に絶えていた。今は杖なしでは歩くことすらままならず、冒険者稼業を引退し、失意の中で酒に溺れる日々を送っている。
「おいガルド、また飲んでんのか? 体に障るぞ」
「うるせえ……俺から冒険を取ったら、酒飲むくらいしか残ってねえんだよ」
ガルドは自嘲気味に笑い、杖を握り直した。
膝の痛みは日増しに強くなり、夜も満足に眠れない。宮廷薬師の作る高価な鎮痛薬も、今では気休めにすらならなかった。
そんな時だった。
酒場の入り口が騒がしくなり、何人かの冒険者たちが勢いよく飛び込んできた。
「おい知ってるか!? 噂の『死の毒沼』の話!」
「ああ! 行商人のヴォルフが売り出したあの神薬だろ? 買い取ったやつが長年の腰痛が一瞬で消えたって大騒ぎしてるぜ!」
「それだけじゃねえ! 毒沼が今や綺麗な水と温泉が湧き出る『聖地』になってて、そこに住むアルスっていう若い調合師様が、どんな傷や病気も治してくれるらしいんだ!」
酒場中に響き渡る声。
ガルドは眉をひそめ、冷めた目で作物や薬を自慢し合う冒険者たちを見た。
(死の毒沼が聖地だ? どんな病も治す調合師だと……? くだらん騙し絵の類だろう。あの禁忌の地に人が住めるはずがねえ)
そう吐き捨てようとしたガルドだったが、ふと胸の奥で小さな残り火が燻った。
(……だが、もし。もしもそれが本当なら……俺のこの死んだ右膝も……)
一度諦めたはずの『もう一度冒険者として戦いたい』という熱い想いが、喉の奥まで込み上げてくる。
どうせ死に体の残生だ。騙されたと思って一賭けしてみる価値はあるのではないか。
ガルドは飲みかけの杯を置くと、杖を強く突き、一人で酒場をあとにした。
二日後。
ガルドは足を引きずりながら、最果ての地『死の毒沼』の境界線へとたどり着いていた。
「はぁ……はぁ……、ここで合っているはずだが……」
途中で何度も足が痛み、諦めそうになりながらも歩き続けた。
目の前には、薄暗い樹海が広がっている。本来なら、ここから先は紫色の致死性の毒気が渦巻いているはずの場所だ。
ガルドは覚悟を決め、ガタガタと震える足で木々の隙間を抜けた。
そして――呼吸を止めた。
「……な、なんだ……ここは……!?」
そこにあったのは、地獄のような毒沼ではなかった。
どこまでも続く、瑞々しい青々とした芝生。
澄み渡る青空と、心地よく吹き抜けるハーブの甘い香りがする風。
遠くには、見たこともないほど立派な野菜が実る畑と、木造の美しいログハウスが見える。
さらに、ログハウスの横には――。
『グルル……』
「ひっ……! SSランク魔獣……《シルバーフェンリル》!?」
ガルドは腰を抜かしそうになった。
体長四メートルを超える伝説の銀狼が、ログハウスの軒先で優雅に毛づくろいをしている。その背後からは、神々しいまでの凄まじい魔力が漏れ出していた。
(あ、アカン……やっぱりここは幻覚か……! 俺は毒気で頭がおかしくなって――)
「あれ? お客さんですか?」
混乱するガルドの前に、ログハウスから一人の青年がひょっこりと顔を出した。
作業着をまとい、腰に調合ポーチを下げた素朴な好青年――アルスだ。
「あ、あの……俺はガルドという元冒険者だ……。噂を聞いて、ダメ元でここまでやってきたんだが……」
「遠いところをようこそ、ガルドさん。足、すごく痛そうですね。歩くのも辛かったでしょう」
アルスはガルドの引きずっている右脚を一目見ると、優しく微笑んだ。
「立ち話もなんですし、まずは長旅の疲れを落としてください。奥に温泉がありますから」
「お、温泉……? いや、俺は足を治したくて――」
「ええ、その足のためにも、温泉が一番効きますから。さあ、どうぞ」
アルスに促されるまま、ガルドは戸惑いながらログハウスの裏手へと連れて行かれた。
そこに広がっていたのは、白い滑石で囲まれた、乳白色の美しい露天風呂だった。
湯船からはほんのりと温かい湯気が立ち上り、周囲には心身をリラックスさせる心地よい香りが満ちている。
「どうぞ、服を脱いでお入りください。タオルはここに置いておきますね」
「あ、ああ……」
半信半疑のまま、ガルドは着ていた防具と服を脱ぎ、死んだ右脚をかばいながら湯船へと足を入れた。
その瞬間――。
シュワアアァァァッ……!
「うおあぁぁぁぁっ!??!?」
ガルドは思わず叫び声を上げた。
お湯が皮膚に触れた瞬間、全身の毛穴という毛穴から、溜まっていた疲労と老廃物が一気に吹き出すような衝撃が走ったのだ。
そして、湯の熱が体内に染み込んでいく。
「な、なんだこれは……!? 湯が……湯が身体の中に染み込んでくる……!?」
ガルドが驚愕したのは、特に右膝だった。
三年もの間、感覚がなく冷たく冷え切っていた右膝が、熱を帯びてジンジンと脈打ち始めたのだ。
『対象の組織を活性化――細胞再生、死滅神経の修復を開始します』
お湯に込められたアルスの《万物錬成・極》の効能が、ガルドの全身を駆け巡る。
右膝の中に残っていた魔毒が黒い汗となって皮膚から排出され、砕けて変形していた骨と関節が、劇的な速度で本来の正しい位置へと再構築されていく。
「痛くない……痛みが消えていく……!? それどころか……力が入る……!?」
ガルドは湯船の中で、信じられない思いで右足を曲げてみた。
すんなりと曲がる。痛むどころか、全盛期以上の柔軟性と力強さが戻っていた。
「立った……立ち上がれるぞ……!!」
ガルドは杖も使わずに、湯船の中で力強く両足で立ち上がった。
膝を屈伸し、軽く跳ねてみる。痛みは一切ない。どころか、長年の冒険で全身に刻まれていた無数の古傷までもが綺麗に消え去り、全身に満ち満ちるような力が湧き上がっていた。
「嘘だ……嘘だろ……!? 宮廷薬師すら諦めた俺の足が……たった数分湯に浸かっただけで完治した……!?」
ガルドの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
もう一度冒険者に戻れる。盾を構え、仲間を守ることができる。その喜びが、胸いっぱいに広がっていく。
温泉から上がり、さっぱりとした服に着替えたガルドを、アルスが笑顔で迎えた。
「おや、すごく顔色が良くなりましたね、ガルドさん。足の調子はどうですか?」
「ア、アルス様……!!」
ガルドはアルスの前にドスンと膝をつき、地につくほど深く頭を下げた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます!! あなた様のおかげで、俺の足が……俺の人生が戻ってきました……!!」
「ええっ、そんな大袈裟な! 温泉の効能がガルドさんの体質に合っただけですよ」
アルスは困惑しながらガルドの肩を叩く。
「さあ、立ち上がってください。温泉上がりでお腹も空いたでしょう? 庭で採れた野菜でスープを作ったので、食べていってください」
テーブルに出されたのは、焼きたてのふかふかパンと、真っ赤なトマトや大ぶりの野菜がたっぷり入ったスープだった。
ガルドがスープを一口口に含むと、今度は全身の魔力が爆発的に底上げされるのを感じた。
「う、美味い……! 美味すぎる……! これ、ただの野菜じゃない……食べるだけで魔力と体力が永久に底上げされている……!?」
「あはは、うちの庭の野菜は栄養満点ですからね。たくさん食べて、体力を取り戻してください」
アルスは実に嬉しそうに微笑んでいる。
ガルドは確信していた。
この青年は、自分の行っていることの異常さを理解していない。
神の領域に達した技術と力を持ちながら、まるで近所の優しい農家のように、分け隔てなく接しているのだ。
(このお方は……本物の『聖者』だ……!!)
ガルドはスープを飲み干すと、引き締まった表情でアルスを見つめた。
「アルス様。俺はこの命、あなた様に捧げます。俺は元Aランク冒険者のガルド。これからはこの『聖地』の門番として、あなた様のお役に立たせてください!」
「えっ!? 門番!? いやいや、そんな重労働してもらうわけには――」
「お願いです! 俺に、あなた様への恩返しをさせてください!」
ガルドの目は真剣そのものだった。
アルスは困ったように苦笑いしたが、ガルドの熱意に押され、断りきれなくなってしまった。
「……分かりました。じゃあ、無理のない範囲で、時々敷地の周りを見回ってもらうくらいでお願いしますね」
「ははっ! 謹んでお受けいたします!」
こうして、『死の毒沼』にあらたな最強の住人(門番)が加わった。
元Aランク冒険者・ガルドの復活。
この出来事は、ルバートの街、そして周りの国々へさらなる衝動をもって広まっていくことになる。
『死の毒沼の聖者は、死んだ神経すら一瞬で治癒される』
噂はついに、重い病に倒れる『王族』の耳にまで届こうとしていた。
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