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所詮、お前たちは

 冒険者の喧嘩には、勝ちしかない。負けたやつの手元には、何も残らない。だからクリス、勝つ喧嘩しかするなよ。


 スティーブンさんに何度も言われたことがチラッと頭をよぎったが、よぎっている間に俺の体は動いていた。ラルフからライラを取り戻すために、弾かれたように飛び出した。どうやって取り戻すかなんて、これっぽっちも考えていない。飛びついて、引き離す。それしか頭になかった。


 「ブーッ!」


 俺の手が届く前に、ラルフは口の中身を唾液とともに吐き出して、ライラを荒っぽく投げ捨てた。その場に下ろしたのではない。猫をつまみ出すように首をつかんで、ポイッと投げ捨てた。ライラは分厚い絨毯の上をゴロゴロと転がって、何かにぶつかって止まった。うつ伏せになっているが、これはイアソンだ。背中から剣が突き出していて、黒々と濡れていた。


 ラルフの動きに合わせて、急旋回する。倒れているライラの元へと駆け寄った。「ライラ!」。抱き上げる。喉笛に正面から噛みつかれたのだろう。ドス黒い咬み傷があり、牙の跡からタラタラとまだ血が流れ落ちている。まだ温かい。息もある。死んでいない。


 「チッ、なんて不味い血だ! 淫靡な体つきをしているから、さぞかし血も美味いだろうと思いきや、なんということだ!」


 ラルフは、まだペッペッと口の中の血を唾液と一緒に吐き出している。そばのテーブルに飲みかけのワイングラスがあるのを見つけるや、むんずとつかんでその中身で口をゆすぎ、ペッと絨毯の上に吐き出した。


 ライラの血が不味いだって? そんなこと、あるわけないだろう。こんなに肉付きがよくて、健康そのもののライラの血は、きっとスイーツのように甘いはずだ。いやいや、そんなこと考えている場合ではない。ライラを床に横たえると、トランクスタイプの水泳パンツを脱いだ。ビキニタイプは恥ずかしくて履けなかった。ハンセンくらいガタイがよければ似合うのかもしれないが、細っちい俺には似合わない。水着なのであまり液体を吸わないかもしれない。だが、何もないよりはマシだ。それでライラの首を押さえる。押さえてから、しまった、シャツを脱いで使えばよかったと気がついた。


 「ハンセン! ハンセーン!」


 どこかで倒れているはずのハンセンを、大声で呼んだ。とにかく治療しなければ。血はドクドクと流れ出しているわけではないが、まだ止まっていない。早く止血しないと。ライラがやられた今、治療魔法が使えるのはハンセンしかいない。さもなくば、あの壁際に放り出された俺のリュックまで、止血剤を取りに行くしかない。


 「ハンセン! こっち来て!」


 返事がない。背後でもう一度、ラルフが口をすすいで吐き出した音がした。早く、早く。早くここから離脱しないと。


 「クリス! 大丈夫か?!」


 ハンセンの代わりにやってきたのは、先ほどまでテーブルの下で、尻をこちらに向けてうずくまっていたエリックだった。なぜか両手で耳を塞いでいる。


 「エリック、ハンセンを呼んできてくれ! 早く治療しないと!」


 海パンでライラの首を押さえていて、手が離せない。血が流れ落ちて、俺の股間に落ちてくるのを感じる。股がぬるぬるしている。


 「わかった! ……ウッ!」


 回れ右をして駆け出そうとしたエリックは、背中を向けたままピタッと立ち止まった。何やっているんだ。早く行けよ! 顔を上げてその理由がわかった。ラルフが立ち塞がっていたのだ。エリックは両手で耳を塞いだままだ。ラルフはそれを見てブフーッと鼻を鳴らすと、首をねじ曲げてアンを見た。


 「人間風情が、ワシの幻術を解除するとは、小賢しいにもほどがある」


 ニヤリと笑うと、腰に下げていた青龍刀を抜いた。照明を受けて、幅広の刃がギラリと光る。


 「だが、多少、魔法が使えるだけで、戦闘力は大してなさそうだな? このワシが幻術だけの悪魔だと思っているのか?」


 言うや否や、ラルフはアンに襲いかかった。アンは後退りするが、ハーディーである時と違って、動きが遅い。あっという間に間合いが詰まる。ヤバい、ライラを置いてアンを助けに行かないと。アンがやられる!


 「うわあぁあ!」


 叫び声を上げて俺の代わりに飛び出したのは、エリックだった。両耳を塞いだまま、ラルフに体当たりする。だが、体の大きさが違いすぎる。ラルフはよろめいたが、踏ん張って立ち止まった。


 「眷属のよしみで見逃してやろうと思ったが、ギャンブル卿よ、お前もここで死にたいのか?」


 ゆっくりとエリックの方に向き直る。こうして見ると、改めてデカい。幻術の話ばかり聞いていたので、そればかり警戒していたが、こいつは普通に戦っても強そうだ。


 「ええい、もう、どうとでもなれ!」


 エリックはやっと耳から手を離して、剣を抜いた。少し後退りして間合いを取る。そのエリックに向けて、アンが手をかざした。


 「防御の魔法をかけます。頑張って」


 「頑張ってって言われても!」


 エリックは背中を押されたように飛び出した。「うわああぁ!」と叫び声を上げながら切り掛かるが、簡単に受け止められてしまう。「笑止!」。ラルフはエリックの剣を青龍刀で受け止めて、もう一方の太い腕でエリックの横っ面を殴りつけた。


 「ぁぐぁ!」


 エリックは変な声を上げて、吹っ飛んだ。近くのテーブルの足に激突して、体が変な方向にねじ曲がる。「あ痛ててて……」と言いながらすぐに起き上がってきた。


 これはマズい。今、幻術に囚われていないのは、俺とエリックとアンだけのようだ。そして、エリックとアンだけではとてもラルフに敵いそうにない。俺はそっとライラを床に下ろした。隣で倒れているイアソンをチラッと見る。腹の方から剣で刺されたようだ。もうシャツの背中が血で真っ赤になっている。出血量からすれば、生きていない。俺と同じように幻術で死ぬように仕向けられて、自分で自分を刺したのだろう。近寄って体を横倒しにする。息をしているのかどうか確認せずに、まずは腹に突き刺さっていた剣を引き抜いた。イアソンは眠ったような表情をしていた。


 くっ、やっぱり重いな。だけど、短剣で正面から打ち合っても敵いそうにない。俺はイアソンの剣を手にすると、ラルフとエリックの間に走り込んだ。


 「どけい」


 ラルフの重低音が腹の底まで響いてくる。背後でエリックが「クリス、声を聞くな! そいつは声で幻術をかけてくるんだ!」と叫んだ。なるほど。それでさっき、耳を塞いでいたんだな。このビリビリと全身を震わせるような声が、こいつの魔法の正体か。ならば、今からやろうとしていることは、なおさら都合がいいじゃないか。声さえ出さないうちに、終わらせてやる。


 「エリック、正面を頼むぞ」


 隣にやってきたエリックに声をかける。エリックは「はぁ?」と怪訝な顔をしたが、その瞬間に俺は動いていた。手にしていたイアソンの剣を、ラルフに向かって投げつける。投げると同時に姿勢を低くして、右方向へと走った。


 「アン!」


 こちらを向いて、うなずいて手を差し出した。いいぞ、さすがは俺の姫様だ。家臣が何をやろうとしているか、阿吽の呼吸でわかっている。アンの指先がフワッと青く光った。ギャン!とラルフが、俺が投げた剣を弾いた音がする。体が軽くなる。やったことないけど、幽体離脱ってこんな感じなのかな?


 周囲がスーッと暗くなる。アンとエリックとラルフしか見えなくなる。完全に、自分の幸運だけにすがりついた作戦だった。ラルフはまさか俺にやられるとは思っていない。ラルフは幻術の秘密を知っているエリックだけが敵だと思っている。アンは敏捷性を向上させる魔法が使える。俺が剣を投げた瞬間に、それを俺にかけてくれる。


 アンの魔法は思った以上に強力だった。ウヒョオ、さすがはロリアンドーロのお姫様だぜ。まるで周りの世界がスローモーションになったようだ。俺はラルフの背後に回り込むと、腰の短剣を抜いて背中に飛び乗った。ラルフは切り掛かってくるエリックの方を向いていたが、俺に気づいてゆっくりとこちらを向く。いや、実際には素早く振り向いているのだろうが、俺の敏捷性が魔法で上がっているので、ゆっくりに見えるのだ。頼む、致命傷になってくれ。そう願いながら、太い首にしがみついて、掻き切った。


 「ブッ、ガッ!」


 ラルフは変な咳き込み方をしながら俺の頭をつかむと、軽々と投げ捨てた。ヤバい! 体を丸めて頭を抱え、防御態勢を取る。どこかのテーブルの上にぶつかって、ゴロゴロと転がり落ちて、椅子をなぎ倒して止まった。痛い、痛い。あちこちぶつけて息が止まりそうだ。だが、止まっている場合じゃない。近くのテーブルに手をかけて立ち上がると、エリックがラルフの腹に深々と剣を突き立てたところだった。


 「ギ、ギャンボゥル卿!」


 ラルフは口から血を吐き出しながら、腹に刺さった剣を両手でつかんで止めると、エリックを蹴り飛ばした。「ふぎゃっ!」。エリックは羊のくせに猫みたいな叫び声を上げて、ゴロゴロと転がった。


 「くっ、なんだと……。このラルフ様が格下と人間ごときに切られたというのか?」


 ラルフは腹から剣を引き抜くと、ポンと遠くへ投げ捨てた。2歩、3歩と歩いてエリックに迫っていく。首を切り裂き、腹を突かれてもまだ生きている。エリックは尻餅をついたまま、半分口を開けて後退りした。


 「待ちなさい」


 アンの声がした。だが、ラルフは止まらない。はぁはぁと荒い息をしながら、エリックを追いかける。エリックはようやく立ち上がって、俺の方へと逃げてきた。


 「待ちなさい、そこの悪魔」


 もう一度、アンは声をかけた。ラルフはようやく足を止めて、面倒臭そうに振り返った。アンは少しラルフに近づくと、背筋を伸ばして真正面からにらみつけた。


 「あなた、ロリアンドーロという人間の国を覚えていますか?」


 いつもかすれていて、耳を澄まさなければ聞こえないアンの声とは思えなかった。大きく、張りがあり、それでいてゾッとする冷たさがあった。実際、俺はブルッと身震いした。ラルフはしばらく黙っていた。何を言っているんだ、この人間は?と思ったのかもしれない。アンの方を見つめたまま、腹から流れ出す血を触っていた。


 「それが、何か?」


 自分の手についた血に目を落として、ボソッと言った。


 「ロリアンドーロは私たちの国でした。幻術を使う悪魔によって滅ぼされました。あなたが滅ぼしたのではないですか?」


 ラルフの返事を待っていたかのように、アンはすぐに口を開いて、問い詰めた。ラルフはフッと鼻を鳴らすと、馬鹿にしたように牙を向いて、口元を歪めた。


 「だったら、なんだというのだ。あの国はわれわれ悪魔を滅ぼすために、せっせと魔法を研究し、魔道具を開発していたのだ。そんな脅威を見過ごすことができるか? お前は、われわれの立場でものを考えたことがあるのか?」


 血で濡れた指先を、アンに向けた。アンの表情は先ほどから変わらない。普段の穏やかで微笑みを絶やさない顔ではなく、感情が一切、うかがえない冷徹な顔つきのままだ。


 「人間という種族は、これだから困る。お前たちは、自分たちをなんだと思っているのだ? お前たちは所詮、われわれの食糧に過ぎないのだ。ならば食糧らしく、怯え、逃げ回って生涯を終えるがよい。それが人間として生まれた、運命なのだ」


 言葉が終わるや、アンがスッと指先をラルフに向けた。ヒュウと冷たい風が吹き抜け、周囲の気温が一気に下がる。うおっ、なんだ、これ! 急に寒くなって、鳥肌が立った。


 冷たい風が吹き抜けた後、ラルフは動かなくなった。アンを指差したまま、固まったようにジッとしている。


 「アン、これは……?」


 エリックと一緒に、恐る恐るラルフへと近寄った。全く動かない。まるで銅像のようだ。


 「石化の魔法をかけました。簡単には死んでくれそうもなかったので」


 アンはこともなげに言ってから、ふぅとため息をついた。

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