ラルフの幻術
ひいぃ、まずいことになったぞ! イアソンに続いて、マリアンヌとリアムも早々に逃げ出した。えっ、仲間を見捨てて行っちゃうの? ハーディーとハンセンが交戦しているので、俺は立ち去れない。隣でライラもオロオロしている。
「ハーディー、早く来い!」
叫びながら部屋を出る。ハーディーは椅子を振り回して剣撃を避け、攻め寄る獣人を蹴り倒して飛び出してきた。ハンセンも続く。先に廊下に出ていたニュウニュウとコンティニュアスと合流すると、とりあえずどこへ向かっているかわからないまま、走り出した。すでにイアソンたちは姿が見えない。
「ハンセン、どっちに行ったらいいの?」
「わからん」
なんなんだよ、このパーティー! メンバーをほったらかしにしてリーダーが逃走するなんて、あり得ない。どこかでけたたましく鐘の音が鳴っている。廊下を歩いていた魔族たちが〝何事か〟と顔を見合わせていた。
「侵入者だ!」「侵入者、侵入者!」
遠くで声が上がる。間違いなく俺たちのことだろう。とりあえず手近にあった階段を駆け下りた。ここは最上階だ。上には逃げられない。何が起きたのか気づかずにのんびりと降りていた悪魔を突き飛ばし、転がり落ちるように走る。「痛いな、コラァ!」と背後から怒りの声が追いかけてきた。
「おっほぉ、危機一髪やぞ! 火ぃ吹いたろか?!」
ニュウニュウはハーディーの背中にしがみつきながら、楽しそうだ。声が弾んでいる。
「心当たりがある。ついてこい」
ハンセンはそう言うと、先頭に立った。ビキニパンツで包んだムキムキの尻を揺らしながら、飛ぶように階段を駆け降りる。1階に着くと、迷うことなく左に曲がる。少し先でイアソンたちが待っていた。
そこは、カジノの入り口だった。
「遅いぞ、ハンセン!」
自分が真っ先に逃げ出したくせに、イアソンは満面の笑みで、シャツの上からハンセンの乳首をつねった。ハンセンは眉根を寄せて「うむぅ」と小さなうめき声を上げる。何やってんだ。
「待てえ、お前たち!」
廊下の向こうから声がする。追っ手だ。ガチャガチャと金属の触れ合う音がするので、武装しているのだろう。追いつかれる前に移動しないと。だが、どこに逃げる? そもそもイアソンはなぜ、ここで立ち止まっているのか?
「では、行くぞ!」
これからどうするつもりなのか聞こうとした瞬間、イアソンは剣を抜くと、高々と掲げてカジノへと踏み込んだ。リアムも短剣を抜く。みんな水着の上にシャツを着ただけの軽装だ。おいおい、まさかこのまま万物の源まで行くつもりじゃないだろうな?
イアソンは大股でズンズンとカジノの奥へと進んでいく。抜き身を手にしていることに気づいた魔族たちが、ギョッとした顔をしている。間もなく向こうから短い槍を手にした悪魔が2人、やってきた。ここの警備員だろう。
「ちょっと、お客さん! 困りますよ、そんなものをブラブラさせて歩き回られては」
悪魔は少し離れたところで立ち止まると、手のひらをこちらに向けてイアソンを制した。イアソンはニコニコと笑みをたたえたまま止まらない。呆気に取られている警備員に近づいて、いきなり切り掛かった。
「うわあ!」
警備員は間一髪のところで避けた。イアソンは息をつく間もなく追い討ちをかける。槍を跳ね上げて、胸元に深々と突き刺した。
「キャーッ!」
「あ、悪魔殺しだぁ!」
周囲で叫び声が上がる。ギャンブルに興じていた客たちは、逃げ出した。チップを持てるだけ持とうとする者、その場に残して駆け出す者。入れ替わりに先ほどの獣人警備員たちがドカドカとカジノに入ってくる。
「そいつらは人間だ! 殺しても構わん!」
獣人の一人が叫んだ。ニュウニュウが「ウチは魔族なんやけどなぁ」と苦笑いしている。
前後を挟まれて、斬り合いが始まった。だが、ここの魔族は思ったほど強くない。それとも、俺たちが強いのか? イアソンはひらりひらりと悪魔の槍を交わすと、一瞬の隙をついて喉元にズブリと突き刺した。強い。魔族にスピードで負けていないし、勘がいい。前回、一緒に冒険した時には戦いっぷりを見る機会がなかったが、改めて辺境一と言われる実力を目の当たりにして、舌を巻いた。後方から来た獣人警備員は、ハーディーとハンセンが始末してしまった。
「クリス!」
イアソンは近くにあったテーブルに、ひらりと飛び乗った。カジノはすでにほぼ無人だ。天井からの明かりが、まるでスポットライトのようにイアソンを照らし出した。
「これぞ、冒険だ! 予測不可能、一寸先は闇! そこを勇気で切り拓いてこそ、冒険者ではないかな!?」
剣を担いで、俺に向かってウインクする。俺はそんなイアソンに見惚れるしかなかった。カッコいい。俺とは全くタイプが違うが、これぞリーダー。これぞ冒険者だ。
「さあ、一気に行こうじゃないか! 万物の源を手に入れて、僕らもアンカウンタブルの仲間入りだ!」
イアソンは剣を突き上げると、ポンとテーブルから飛び降りた。と、その時、目の端に黒いものが動くのが見えた。なんだ? そちらに目を向けると、カジノの奥のドアを開けて、大柄な魔族が入ってきたところだった。
牛だ、牛。黒くて大きな牛が、立って歩いている。頭には立派な角があり、ものすごい筋肉隆々の体をしている。仕立てはいいが、襟の高い緑色のジャケットに赤いスラックスという、趣味の悪い漫画みたいな配色のコーディネートだった。
「あっ、ラルフさん!」
エリックが声を上げた。えっ、なんだって? これがラルフ?
「エリック、お前、ラルフさんって人型の悪魔だって言ってなかったか?」
確か以前、エリックがラルフと勝負をして負けた話をしてくれた時、エリックはラルフを「スラッと背の高い、人型の悪魔」と言っていたはずだ。
「そうだよ。人型じゃん。えっ、人型だよな?」
エリックは俺とラルフを見比べながら、不思議そうな顔をした。いや、違う。俺には全然、人型に見えない。デカい牛だ。真っ黒な体毛が、照明を浴びてテカテカと光っている。
「いや、俺には人型に見えない。牛だ。デカい牛に見えるけど」
「はぁ? 何言ってるんだ? もうラルフさんの幻術にかかっちまったのか?」
エリックとそんな話をしている間に、ラルフはのっしのっしと近づいてきた。近くで見ると、改めてデカい。ハーディーよりも大きいかもしれない。体毛が黒いせいもあって、威圧感が半端ではなかった。
「あんたがラルフかい? 万物の源をいただきに来たよ」
イアソンは全く腰の引けたそぶりを見せず、剣をちらつかせながら言い放った。ラルフはそれを無視して俺たちをぐるりと見回すと、エリックに目を止めた。
「ギャンブル卿ではないか。こんなところで何をしている?」
空気がビリビリと震えるほどの、重低音だった。腹の底に響くような声だ。エリックは困った顔をした。そりゃそうだろう。爵位持ちの悪魔が、食い逃げ犯の人間たちと行動をともにしているんだから。
「えーっとですね……ええっと……。その、なんというか、腐れ縁ってやつで……」
何か気の利いた言い訳でもするのかと思っていたら、エリックは言い訳とも本音ともつかない微妙なことを言い始めた。
「なぜ、人間と一緒にいる?」
ラルフは改めて聞いた。よく見ると、顔は牛なのに牙が生えている。口だけ虎とか獅子のように、鋭い歯が生えていた。
「はぁ。えーっと……。その、アレへの案内役をすることになってですね……。それで、こいつらを連れてきたってわけで……」
めちゃくちゃ本当のことをしゃべっているじゃないか。大丈夫なのか? あとで裏切り者として処罰されるのではないか?
「そういうわけだ! ラルフとやら、通してもらうぞ! それとも一戦交えるか?」
イアソンは剣先をラルフの胸元に突きつけた。緑色のジャケットに、鈍く光る切っ先が食い込む。ラルフは虫でも止まったかのようにそれをチラッと見ると、ゆっくりと表情を崩して笑い始めた。
「グフッ。グフフフ。グフェフェフェ」
何が面白いのか。呆気に取られていると、ラルフは腹を抱えて大笑いし始めた。
「グハハハハ! グファハハッハハ!」
「何がおかしい!」
イアソンは珍しくムッとして、さらに強く剣先を胸元に食い込ませた。もうひと押しすればジャケットを突き破って、分厚い胸板に刺さりそうな勢いだ。それでもラルフは笑うことをやめない。ジョークがツボにはまったかのように、体を揺さぶって大笑いした。
「あ〜。申し訳ない、人間。あまりにも面白いので、笑ってしまった……」
ラルフはようやく笑うのを止めると、太い指先で涙を拭いた。手先は蹄ではなく、人間のような5本の指がある。そして、それぞれにギラギラと輝くゴツい指輪をはめていた。
「いやぁ、愉快、愉快。人間ごときがこのラルフ様に話しかけるとは。実に愉快だ」
ラルフはもう一度、俺たちをぐるりと見回した。そして一人一人と指差していく。
「オス、メス、オス、オス。おや、眷属がいるではないか。お前はドラゴンだな?」
ニュウニュウのところで指先が止まった。魔法使いは「悪魔ごときに眷属なんて言われたくないわ〜」と口をへの字にして心底、嫌そうな顔をした。
「グハハ……。悪魔ごときと言いよるか。ならば、悪魔ごときがどれほどのものか、我が身で味わってみるか? 今すぐ平身低頭して詫びるならば、見逃してやってもよいぞ」
ラルフは楽しげに笑うと、続けてコンティニュアスを指差した。
「お前のせいか。最近、高度が落ちているのは」
「そうだ」
コンティニュアスは穏やかな笑みを浮かべたまま、即答した。
「困るな。ここは魔族の楽園なんだ。永遠に続く都なんだぞ? 勝手なことをされると、困るなぁ」
そう言いながら、ラルフは両手をすーっと掲げた。背後のエリックが「クリス!」と小さな声で呼びかけてくる。
「なんだ?」
振り返ると、そこにエリックはいなかった。エリックどころか、みんないない。あれっ? 前を向くと、ラルフもイアソンもいなくなっていた。場所は先ほどまでのカジノのままだ。だが、俺以外、誰もいない。
やられた。これがラルフの幻術か。
救いはある。これが幻術だとわかっているということだ。ならば、現実に戻る方法を考えればいい。幻を見せる魔法は、魔術師や修道士が解除できる。ニュウニュウやマリアンヌ、ライラやハンセンが無事ならば、すぐに解除してくれるはずだ。仮に彼らが術の中に囚われていたとしても、脱出する方法はある。手にしていた短剣を、鞘に収める。振り上げると、俺は鞘で自分の脛を思い切り叩いた。
「痛ってぇ!」
目から火花が出る。だが、これがスティーブンさんのところで教えてもらった、原始的だけど、一番よく効く幻術からの脱出方法なのだ。実際の痛みを与えることで、幻から抜け出す。そう。抜け出すはずなのに。
あれ? 何も変わらないぞ?
周囲を見回してみるが、相変わらず誰もいない。シーンとしたままだ。おかしいな。1発では効かないのか。しかし、2発、3発とあれはやりたくないな。そんなことを考えていると、少し離れたテーブルでカサッと何かが動く音がした。ハッとして短剣を抜いて身構える。
「誰だ? ニュウニュウか?」
姿が見えない。あのテーブルの向こうに姿を隠せるのは、体が小さいニュウニュウか、さもなくばマリアンヌくらいだろう。俺は剣を構えたまま、ジリジリと近づいた。と、テーブルの向こうからピョンと魔術師の帽子が飛び出した。マリアンヌ? いや、マリアンヌの帽子はこんな形ではなかった。
帽子の下からひょこっと顔を出したのは、ここにはいないはずのテイラーだった。そう、テイラーだ。だって、肌が発光していない。ということは、アフリートではないのだ。
「クリス、こんなところで何をしているんだ?」
テイラーはテーブルをぐるっと回って、こちらに歩いてくる。おお、間違いない。これはテイラーだ。少し左足を引きずった歩き方。眼帯。モシャモシャの赤毛。火傷の跡がきれいに治った、きれいな顔のテイラーだ。
「クリス、会いたかったぞ!」
テイラーは目を細めて、ニッコリと笑った。




