上陸
初めて近くで見たフライングリザードは想像以上に大きくて長く、最初は怖かった。不気味な紫色の舌をチラチラとのぞかせていて、小さな子供ならひと飲みにしてしまいそうだ。だが、真っ黒な瞳はキュルンとしていて、見ようによってはかわいらしいと言えなくもない。ニュウニュウが「よしよし、よろしゅう頼むで」と頭を撫でても、大人しくしている。
「じゃあ、出発しますよ。みなさん、しっかりつかまっていてくださいね」
御者はゴブリンだった。リザードの背中に5つ、鞍があって、客はそれにまたがる。太い皮のベルトがあって、それで体を固定するのだが、ベルトがあるとはいえ、むき出しだ。前に乗っているライラが「ええっ、これ、大丈夫かな……?」と不安げに足元を見回していた。
「では、出発します!」
御者がピュッと軽く口笛を吹くと、フライングリザードは翼を広げてバサッ、バサッと羽ばたいた。2、3度ほどでフワッと浮き上がる。
「おお……」
思わずため息が出る。空を飛ぶのは初めてではない。スティーブンさんのところで、グライダーに乗る訓練をしたことがある。だが、これはまた違う感覚だ。股間の下でフライングリザードの体がモゾモゾと動いている。グライダーにはこんなのはない。
「うわぁぁ……」
ライラは背中を丸めて、鞍にしがみついた。
「ライラ、もったいねえぞ。しっかり背筋を伸ばして、景色を見ておきな」
俺の背後でコンティニュアスが言っている。確かにその通りだ。そんなに何度も来ることはないだろう。ここから見える景色を、目に焼き付けておかないと。冷たい風が全身を包んで、吹き抜けていく。俺はそれに逆らって目を細めて、周囲を見回した。
おお、壮観。
左手にはパンゲア。むき出しの土の部分に大小の木々が生え、その間を色とりどりの鳥が飛んでいる。右手は南の森だ。これをずっと行けば、海があるという。だが、ここからは果てしなく森しか見えない。空はまぶしいくらいに真っ青だ。
「なあ、コンティニュアス。パンゲアって、こんなに低かったかな?」
すぐ後ろに座っているコンティニュアスに聞いてみた。風切り音がすごいが、ちゃんと聞こえただろうか?
「いやぁ、前はもっと高かっただろ。俺が出てきちまったから、高度が落ちたんだ」
コンティニュアスが耳元に近づいてくれたおかげで、よく声が聞こえる。
「それって、どんな仕組みなの?」
なぜ、コンティニュアスが〝底なし〟から出てきたら、パンゲアの高度が下がるのか。よくわからない。
「簡単に言うとだな、俺が下で魔力を吸い込んで、上にいるやつが……インディペンデンスっていうんだけどな、そいつが吐き出すことで、これは空中に浮かんでいるんだよ」
「ふうん。こんなに巨大なものに浮力を生じさせるくらい、大量の魔力を放出しているってこと?」
「まあ、そういうことだ。これまでは俺が地べたで魔力をガンガン吸い込んでいたから、吐き出す魔力もたくさんあったんだけど、もう俺がいないからな。あいつがふうふう吹いたところで、そんなに浮かねえよ。もうすぐ落ちるな、こいつは」
コンティニュアスはサラッと大事なことを言った。
「えっ、落ちるの? パンゲアが?」
俺は鞍の上で体をねじって、後ろを向く。その拍子に足元を見てしまった。もう地面がずっと下にある。あまりの高さに、頭がクラッとした。
「すぐには落ちねえよ。だけど、俺がこうやってあちこちブラブラしている限り、少しずつ落ちていって、そのうち元の地面に着陸してしまうだろうな。たぶん」
コンティニュアスはハハッと笑った。いや、ちょっと待ってくれ。では、これが最後のパンゲア探検になるのではないか? あとで本にするためにも、できるだけたくさんのものを見て、記録しておかないと。
エリックによれば、飛べる魔族は自力で飛んでパンゲアへ行くらしい。「フライングリザードはいわばアトラクションのようなもので、これ自体がすでにパンゲアというリゾートのアミューズメントの一環なのだ」とカタカナを多用して説明してくれた。風を感じて、高さを感じて、展望を楽しみ、ちょっと楽しい。だが、ライラにとっては恐怖でしかなかったようで、さっきから鞍にしがみついて、目を固く閉じている。もしかして、高いところが怖いのかな?
ライラはフライングリザードから降りるなり、その場で膝をついてうずくまってしまった。
「大丈夫?」
「うう……。吐きそう……」
ライラを休ませながら、他のメンバーが到着するのを待つ。パンゲアは浮いているので、足元がフワフワするのかなと思っていたが、普通の地面と変わらなかった。踏み締めてみてもしっかりしていて、揺れない。眺めは当然ならが、最高だった。炎の神殿に登った時にも素晴らしい展望だと思ったが、ここはさらにすごい。雲がちょうど目線にある高さだ。ものすごく遠くまで見渡せる。特に南側。どこまで行っても緑の森。蛇のように木々の間をうねっているのはモッセ川だろう。西側は遠くに山脈が見える。白っぽいのは、木々が生えていないのだろう。東の山は黒っぽい。こちらもあまり緑がない。
炎の神殿が見えるかと思ったが、北側は展望がなかった。緩やかな坂になっていて、目の前には王都の城の庭の何倍あろうかという庭園が広がっていて、よく手入れされた木や花が植えられていた。その向こうは聞いていた通りプールだ。こんな大きくて広いプールは、初めて見た。スティーブンさんの屋敷の庭にもプールがあるが、それとは比べようもない。何十人、いや、何百人同時に入れるほどの大きさだ。実際にオークやゴブリン、悪魔らが思い思いの水着姿で、ペチャクチャとおしゃべりしながら遊んでいる。
冷たい風が吹いていた下界と違って、ここは日差しが強く、ポカポカと暖かい。なるほど、だからプールなのか。これくらい暖かいと、水浴びをしたくなる。プールの向こう側には3階建ての白壁の建物が並んでいた。あれがホテルだな。裏にカジノがあるはずだが、ここからは見えない。ホテルの向こう側に、尖塔が見える。こちらはホテルと違って、人間の世界にもあるような石造りだった。先っぽしか見えないので、城の全体像は見えない。
「おお、こっちから入ると、こんなににぎやかなんだな!」
偽物の黒い角を生やしたイアソンが、駆け寄ってきた。後からマリアンヌとハンセンとリアムとハーディーがぞろぞろとついてくる。イアソンは少年のように目をキラキラと輝かせて「せっかく来たんだから、あちこち見て回ろう!」と言い出した。
「おいおい、俺たちは、いつバレるかわかんねえ身分なんだぜ。そんなにゆっくりしていていいのかい?」
リアムは口ではそう言っているものの、ニヤニヤとして実に楽しそうだ。隣で呆れたようにマリアンヌがため息をついた。
「いいじゃないか。僕らは冒険者だ! 見知らぬ土地に来たのなら、その全てをこの目と耳に焼き付けていかないと!」
誰にも気づかれずにパンゲアの地を踏んで気が大きくなったのか、イアソンは両手を広げて満面の笑みだ。呆れてしまう。確かに俺も目に焼き付けておかないととは思っていたものの、できるだけこっそりと忍び込んで、早々に帰ろうと考えていた。大違いだ。
イアソンは先頭に立って、意気揚々と歩き始めた。とりあえず、ついていく。なぜか、オークたちがハーディーに「こんにちは」と愛想よくあいさつをしていく。仲間だと思われているのだろうか? ハーディーは何食わぬ顔をして『あ、どうも』とか『お世話になるのでござる』とか返事をしていた。
「おお〜、すごい! すごいぞ!」
イアソンはどんどん大胆になっていった。庭園を巡って花を愛で、プールサイドに貸し水着屋があるのを見つけると「宿泊客だ。代金は部屋につけておいてくれ」と適当にサインをして、水着を借りてプールで泳ぎ始めた。
「うん、気持ちいい! みんな、どうした? 一緒に泳ごう!」
イアソンと一緒にノリノリで遊んでいるのは、リアムとニュウニュウとコンティニュアスだけだ。俺たちが呆れて見ていると、イアソンはプールの中から呼びかけてきた。
「え……? プールで遊ぶなんて、計画にないよね。こんなことしていて、いいの?」
マリアンヌに聞くわけにもいかず、ハンセンに聞いてみた。ハンセンは俺の顔をじっと見ていたが、やおら上着を脱ぎ始めた。
「リーダーが泳ごうと言っているんだ。従うしかないだろう」
荷物をプールサイドに置くと、スタスタと貸し水着コーナーへと行ってしまう。マリアンヌが「ちょっとぉ、ハンセン! 待って!」と追いかけて行った。
『荷物を見ておく人が必要なのでござる。拙者がやっておくので、クリス殿やライラ殿も泳いできたらいいのでござる』
ハーディーがそばに来て言った。ライラが「え? 泳ぐの? ここで? 私が?」と目を丸くしている。
さっきから、体がうずうずしていた。だって、水浴びなのだ。こんな、見たこともない大きなプールで、みんな思う存分、水浴びをしている。気持ちよくないわけがない。いや、こんなに眺めのいいところで思い切り泳いだら、それこそ天にも昇る心地だろう。周囲が魔族だらけとか、関係ない。ここで死ぬことになっても、水浴びしないわけにはいかないとまで、俺は思い始めていた。
「ライラ……。俺たちも、泳ごう!」
俺はライラの手を取ると、力を込めて言った。そして、「え、ちょ、ちょっと、待って」と戸惑っているライラを引っ張って、有無を言わさず貸し水着コーナーへと向かう。ちょうど入れ替わりに、更衣室から黒いビキニパンツを履いたハンセンが出てくるところだった。薄紫色のワンピースの水着に身を包んだマリアンヌが、その後を追いかけてくる。マリアンヌ、残念ながらぺったんこだ。
「ハンセン、似合ってるじゃねえか」
「クリス、先に水の中で待っているぞ」
そして、俺たちはプールで思う存分、遊んだ。貸し水着コーナーでビーチボールも借りて、ヘトヘトになるまで遊んだ。ライラは「わけわかんない! なんでこんなところで水遊びしないといけないの?!」とか言いながらも、ついてきた。地味な茶色いビキニを借りたのだが、逆に白い肌が際立って、エロさMAXである。魔族のメスはおしなべて巨乳が多いのだが、大きさも張りも全く負けていない。魔族のオスどもがライラをチラ見しているのを確認して、俺はなんだか得意げな気分になった。
「よおし、目一杯遊んだぞ! となると、次はなんだ!」
プールサイドに上がったイアソンは、俺たちを見回して言う。
「イアソン、腹が減った!」
即座に答えたのはニュウニュウだった。コンティニュアスも「そうだな。遊んだ後はメシだろう」とニヤニヤ笑いながら同調している。
「そうだ! よく遊び、よく食べろ! それでこそ冒険者だ!」
イアソンは拳を握って突き上げた。「レストランへ、レッツゴーだ!」と言って、水着姿のままズンズンとホテルへ向かって歩き始める。ちょっと待ってくれ。着替えなくていいのか? それに、武器とかなんだかんだ荷物一式、プールサイドに置きっぱなしなんだが。




