亀裂
「ブルルッ、ブルルッ!」
「どうどう、ヨーホー、ヨーホー」
エリックがなだめて、ようやくペッパーは止まった。馬も悪魔も汗でびっしょりになっている。かくいう俺もびっしょりだった。
し、死ぬかと思った。
冒険中に「死ぬ」と思ったことは1度や2度ではない。〝底なし〟でコンティニュアスに吸い込まれそうになった時や、炎の神殿で蟹に襲われた時も「死ぬかも」と思った。だけど、ここまで死ぬかもと思ったのは、初めてかもしれない。
「エリック、ありがとうな」
汗を拭うと、ペッパーから降りてこちらへやってくるエリックに声をかけた。
「全くだ。死ぬかと思ったぜ」
エリックは金色の目をむいた。荷台から自分のリュックを取り出すと、何か軟膏のようなものを取り出してペッパーの傷口に塗り始めた。
「何、それ。薬?」
「そうだ。悪魔と馬兼用の」
大真面目な顔をして言っているところをみると、冗談ではないらしい。ああ、そうだ。こんなところでひと息ついている場合ではない。早くハーディーたちのところに戻らないと。そういえば、コンティニュアスはどこへ行った。荷台を見ると、隅っこで小さくなっていた。
「死ぬかと思ったぜ」
シリアスな顔をして俺を見つめる。
「道具なのに死ぬことあるのか?」
呆れてツッコむと「ものの例えじゃないか」と罰の悪そうな顔をした。
負傷直後のペッパーを鞭打って走らせるわけにはいかない。エリックに「後から来てくれ」と馬車を任せて、来た道を走り出した。無事でいてくれ。ニュウニュウが助けに行ったから大丈夫だとは思うが、それでも気が気ではなかった。もしライラかハーディーがやられていたら。想像しただけで、胸が張り裂けそうだった。
俺がリーダーとして頼りないばっかりに。
川沿いの一本道だったはずだが、走ってみると思った以上に蛇行していて、なかなか別れた地点が見えてこない。息が切れて、足が熱く、重くなってくる。いや、ここで止まったらダメだ。仲間の無事を確かめるまでは、走り続けなければ。ゆったりとしたカーブを曲がりきったところでハーディーの背中が見えた時には、心の底からホッとした。「ハーディー!」。名前を呼びながら、涙が浮かんできていた。
『おお、クリス殿。無事でござったか』
ハーディーはあまり緊迫感のない声で返事をして、振り返った。近くに3つの死体が転がっている。2つは黒焦げだ。ニュウニュウがやったのだろう。そのニュウニュウはライラと一緒に、悪魔の死体をのぞき込んでいた。
「ライラ、ニュウニュウ、無事か?」
スピードを緩めながら、そばに駆け寄る。ライラは顔を上げると、俺をジロッと怖い目つきでにらんだ。
「私たちを置いていったでしょ。どういうつもり?」
「いや、本当にごめん。ペッパーがパニクって走り出しちゃったから……」
俺はライラに手を合わせて、頭を下げた。
「そうそう。こいつら、馬を攻撃したんや。それでペッパーちゃんがびっくりして走り出してしまってな。不可抗力やってん。そんな怖い顔せんと、許したって」
ニュウニュウが助け舟を出してくれる。
「けがはない?」
3人を見回す。見た限り、無傷のようだ。
『ご安心召されよ。ニュウニュウ殿に助けていただいたので、かすり傷一つござらぬ』
ハーディーは近づいてきて、俺の肩をポンポンと叩いた。ニュウニュウは「ウチが到着した時には、おっさんがもう2匹も倒した後やったやんか」と笑っている。
「でも、置き去りにされたと思って、すごく怖かったわ!」
ライラは眉を吊り上げて、声を上げた。
「ごめん。本当にごめん。俺が頼りないばかりに……」
もう一度、手を合わせて頭を下げる。ライラはほっぺたを膨らませると、プイッと横を向いてしまった。
「まあまあ。誰もなんともなかったんやし、もうええやんか。それより、ペッパーちゃんは無事なんか? 馬車のところへ行こうや」
ニュウニュウは杖をつくと、先頭に立って歩き出した。ライラ、ハーディーが続く。俺もトボトボとその後を追った。
「いや、ハーディー、本当にごめん。馬車から降りたのをもっと早く確認していれば、こんなことにはならなかったのに」
追いついて、ハーディーにも謝った。
『あのタイミングでは、止めようもなかったのでござる。仕方がなかったのでござる。クリス殿、そんなに気にしなくても構わないのでござる』
ハーディーは俺の背中をポンと叩いた。気にするなと言ってくれるのは、ありがたい。だけど、気にするなと言われれば言われるほど、俺は自分を責めた。誰も死ななかったからよかったものの、これは明らかに俺のミスだ。ハーディーやライラが、イアソンのように死んでいてもおかしくなかったのだ。もっと気をつけないといけない。もっと細かく、素早く目配せをしなければいけない。奥歯を噛み締めて、自分に言い聞かせた。
その後、パンゲアが見えてくるまでに2度、賞金稼ぎに襲われた。1度は河原で野営している最中だった。夜警担当のハーディーがいち早く敵の接近に気がつき、ニュウニュウが煌々と魔法で明かりを灯して、真昼のように明るいなかで乱闘になった。1度目の襲撃で生半可な人数では太刀打ちできないと思ったのか、悪魔とオークの混成チームで10数人はいた。肉弾戦になり、ハーディーの獅子奮迅の働きで撃退した。相手の魔法をニュウニュウがねじ伏せてくれたことも、大きかった。
その間、俺はコンティニュアスと一緒に、ペッパーとチョコを守っていた。今回は馬車を襲ってくるやつらはおらず、興奮するペッパーをなだめながら周囲に目を配っているだけで終わってしまった。エリックとライラが傷だらけになって奮闘しているのを見て、ものすごく申し訳ない気持ちになった。
2度目は出発して間もない時間帯だった。賞金稼ぎは基本的に悪魔が多い印象があったので、こんな時間帯に襲ってくるとは思ってもいなかった。あっと気がついた時には藪から飛び出してきたオークが、太い槍でペッパーの横っ腹を突き刺した。
「ブヒヒィーン!」
今度はペッパーは走り出さなかった。走れないほど痛かったのだろう。その場で立ちすくみ、ブルブルと震えている。馬を攻撃する意味はわかる。馬車に乗っている人間を殺すには、まず馬車を止めなければいけない。そのためには、馬を攻撃するのが一番だ。それは理解できるが、馬は賞金首ではない。関係ない動物を傷つけることは、許せなかった。
「「ペッパー!」」
御者台にいたのは、エリックだった。俺とほぼ同時に叫ぶと、剣を抜いて飛び降りた。荷台からハーディーとライラが降りてくる。茂みから続々とオークと悪魔が飛び出してきて、激しい斬り合いが始まった。
ペッパーだけでなく、チョコまでやられたら完全に機動力を削がれてしまう。俺は荷台に向かって「コンティニュアス、降りろ!」と声をかけると、馬車を降りてチョコの頭絡を引いて戦場からの離脱を試みた。ペッパーは痛みを堪えながら、ヒョコヒョコとついてくる。
「頑張れ、ペッパー。ここにいたらやられちまう!」
コンティニュアスが隣に来て、一緒にチョコを誘導する。ペッパーの腹から黒い液体がポタポタとこぼれ落ちている。血だ。チョコをコンティニュアスに預けるとペッパーに駆け寄り、傷口にタオルを押し当てた。ドクドクと脈打っている。出血が多い。止血剤は持っている。俺のリュックに入っている。荷台にある。だけど、それを取りに行っている時間はあるか? 追いついてきた悪魔が切り掛かってきた。頭を下げてなんとか交わす。その一撃はペッパーの腰に当たって、また新たな傷口を作った。パッと鮮血が飛び散る。
「てめえ、この野郎!」
短剣を抜いて、斬り合いになった。あちらは長剣、こちらは短剣。いくら俺が素早くても、それを上回るパワーの差があった。すぐに防戦一方になったところでハーディーが助けに来てくれて、なんとか死なずに済んだ。この時は相手の数が多く、しかも本気で俺たちを仕留めに来ていたので攻撃が執拗で、戦闘は小一時間に及んだ。敵味方入り乱れて、ニュウニュウが魔法を使いにくかったということも長期戦になった原因の一つだった。ようやく撃退した時にはハーディーはもちろん、ライラもエリックも傷だらけでヘトヘトだった。
その夜、ペッパーは力尽きた。
俺は少し躊躇したものの、ペッパーを解体して食糧にした。ハーディーは少し怒りをにじませて、ライラは目を三角にして怒って反対したが、ニュウニュウとコンティニュアスは肉が食えると喜んでいた。エリックは反対派と賛成派のどちらにつけばいいのか決めかねて、複雑な顔をしてペッパーだった肉塊にかぶりついた。ハーディーとライラは、俺が料理したペッパーに口をつけなかった。
馬車はチョコの一頭曳きになり、極端にスピードが落ちた。馬への負担を減らすと言い出して、ハーディーとライラは荷台から降りて歩き始めた。エリックも追随した。
「なんかギスギスした雰囲気になってきたやないか。大丈夫か、リーダー?」
ニュウニュウが頬杖をついて俺のことを見つめている。確かにペッパーを食べたのは、まずかったかもしれない。あのまま埋葬してやればよかったのかもしれない。だけど、ここまで一緒に旅をしてきて、志半ばで倒れた仲間を埋めていくなんて、俺にはとてもできなかった。ならば、せめて食糧として体に取り入れてやった方が、ペッパーも喜ぶのではないか? そう思ってやったまでのことだったのだが、ハーディーとライラには「それは違う。間違っている」と反対された。
「これから真剣勝負の瞬間が待ってるんやで。なのに、戦う前からこのバランバランな感じ……。ホンマ、大丈夫かいな」
何も言えなかった。どうすればいいのか、わからなかった。夜、ものすごく疲れているはずなのに、目が冴えて眠れない。ようやくうつらうつらしたかと思えば、いつも息苦しい夢を見て目が覚めた。大体、同じ夢だった。テイラーが枕元に立って「どうしてテイラーを置いて行ったんだ?」と聞くのだ。夢に出てくるテイラーは、火傷をした顔のままだった。引きつれた顔を歪めて、俺を責めた。
「ああ……」
また目が覚めた。月のない夜空に、星が瞬いていた。寒い。上半身を起こすと両手で顔を覆って、夢に出てきたテイラーを思い出す。今頃、何をしているのだろう。腹一杯、メシを食わせてもらっているだろうか。寂しがってはいないだろうか。こんなに心配になるなら、さっさとアフリートを追い出して、連れて来たらよかった。テイラーがいれば、このギスギスした雰囲気を和ませてくれたかもしれない。
やっとパンゲアが見える位置に来ていた。だが、何かおかしい。パンゲアって、もっと遠くから見えていなかったか? それに、なんだか高度が低くなっていないか? 焚き火の向こうに黒々とそびえるパンゲアを眺める。まだ上陸してからのプランは完成していない。ハーディー、ライラとの間柄がギクシャクして、その話がなかなか進まなくなっていた。
『最近、眠れていないようでござるな』
焚き火の向こうから、夜警のハーディーが声をかけてきた。エリックと一緒だ。ライラでないのが、せめてもの救いだった。これがハーディーとライラのコンビなら、俺は何も話さずに毛布の中に戻っていただろう。ライラはペッパーの一件以降、全く俺と口をきかなくなっていた。
「ああ……。なんか毎晩、テイラーが夢に出てくるんだよ……」
背中を丸めて、ため息をつく。俺らしくない。ため息をするたびに、幸せは逃げていくのではなかったのか?
『クリス殿、ちょっと気を張りすぎだと思うのでござる。こういうと語弊があるかもしれぬけど、もう少しリラックスされてはどうでござろうか?』
確かにハーディーの言う通り、エリックの屋敷からは気を張りっぱなしだ。だけど、俺がリラックスしていたら、みんながやられてしまう。俺がしっかりしないと、誰かが死んでしまう。そんなことは、できなかった。
「いや、大丈夫だよ、ハーディー。それに、俺は……」
リーダーだからと言おうとして、ハッと気がついた。何者かが接近してくる。これは、悪魔やオークではない。訓練されたやつだ。そう、盗賊の足音に似ている。
「誰か来るぞ」
毛布をはいで短剣を取り出す。ハーディーとエリックも体を起こして剣を手にした。
『みんなを起こした方がよいでござるか?』
ハーディーが聞いた。いや、ちょっと待ってくれ。これは……。これは人間だ。似ているのではない。盗賊だ。盗賊がやってくる。
「待って。たぶん、これは敵じゃない」
俺はハーディーを手で制した。右手だ。右手の森の中からやってくる。しばらくすると暗闇の中から「おい、そっちに行ってもいいか? 敵じゃない。助けてほしい」としわがれた男の声が聞こえた。姿を見せずに声だけかけてくる。間違いない。こいつは盗賊だ。
「いいぞ。ただし、ゆっくりだ」
返事をする。夜の闇がゆらりと揺れ、焚き火の明かりを受けて、森の中からそれほど若くはない小柄な痩せた男が現れた。額が後退し始めていて、頭頂にチョロッと茶色の髪が残っている。細く鋭い目に太い鉤鼻。白っぽいシャツに皮製のベスト、下は茶色のズボンに皮のブーツ。正統派な盗賊の出立ちだ。
「おやおや、人間と悪魔の混成パーティーとはね。こりゃあ、驚いたな」
男は口角を上げて、ニヤリと笑った。




