幻術使い
エリックという悪魔は、生まれながらにしてのギャンブラーだった。何かを賭けて勝負することが大好きで、勝ったり負けたりしても、自らの幸運の魔法のおかげで最終的に大負けすることはなかった。カードゲームなんて、何千回どころか何万回もやっている。カードに触れただけで、それが何かわかるくらいだった。
スペードのエースだ。勝った。
その時も、そう思ったという。パンゲアのカジノのオーナーは滅法、ギャンブルに強くて負け知らずだ。そう聞いた時から一度、対戦したいと思っていた。元老院の推薦で爵位持ちとなり、何度もパンゲアに出入りして、ようやく目当ての悪魔、ラルフと対戦する機会を得た。
ラルフはカジノのオーナーであると同時に元老院のメンバーで、悪魔軍の将軍の一人でもあった。忙しくて、なかなか会うことができなかった。勝手に毛むくじゃらで獣人タイプの悪魔だと思っていたが、初めて会ったラルフはスラッと背が高く、肌の白い人型の悪魔だった。もちろん、頭上に黒い角がある。
「エリック、いい手ができたかい?」
ラルフは余裕綽々の表情で、革張りの豪華なチェアーに深々と腰掛けている。場所はパンゲアのカジノにあるVIPルームだった。周囲は黒山の人だかり……いや、悪魔だかりだ。夢幻卿ラルフとギャンブル卿エリック、互いに負け知らずの悪魔の対戦をひと目見ようと、多くの魔族が狭い室内にひしめいて、熱気でムンムンしていた。
開始してから2ゲーム先取して「何だ、噂と違うじゃないか。チョロいな」といい気分になっていたら、その後、5連敗。おかしい。さっきから「これだ」と思ったカードが来ない。正確にいえば「よし、来た」と思って開けてみると、思っていたものと違うのだ。
だが、この程度では心は折れない。何しろギャンブル卿なのだ。追い詰められてこそ真価を発揮する。どんなピンチでも表情に出さない。自信満々のオーラを漂わせて立ち向かえる。いつだって最後に大逆転する自信がある。手持ちのチップを全て出していた。
「もちろんだ、ラルフさん」
カードはスペードのエースだ。これを超えるのはスペードの2しかない。だが、それはない。エリックは相手のカードまで、雰囲気でわかる。ラルフはハートのキングだ。
「よし、では、勝負しよう」
ラルフはカードを表に向けた。
(えっ!)
心の中で声を上げた。スペードの2だったからだ。
「どうした、エリック?」
ラルフは不敵な笑みを浮かべている。嘘だろう。あっちは間違いなくハートのキングのはず。配られたカードを読み違えるなんて、ギャンブル卿がするはずがない。エリックは恐る恐るカードを表に向けた。
(……!)
スペードの5だった。負けだ。
「フッ。エリック、また私の勝ちだな」
周囲の魔族がドッと沸いた。ラルフは勝ち誇って立ち上がると、テーブルの上のチップをごっそりと手元へ引き寄せる。
「楽しかったよ。私から2つも勝つなんて、そこらの悪魔にはできない。さすがギャンブル卿だ」
見下ろされて、愕然とした。ギャンブルで負けた。エリックはギャンブルそのものだ。そんなはずがない。俺が負けるなんて。
「ま、待ってくれ!」
エリックは立ち上がった。
「何だ。まだやるのか? でも、もう賭ける金はないだろう」
ラルフは腰に手を当てて、呆れた顔をしている。何をいうか。無一文になったところからが、真骨頂じゃないか。大逆転してみせる。それでこそギャンブラーだ。エリックはチラリと後ろを見た。一緒にやってきたヴァネッサは、ギャンブルを娯楽程度にしかやらない。魔族のリゾートと呼ばれているパンゲアに来て、フリフリのドレスを着て、ついさっきまでご機嫌で遊んでいた。まさかこんな目に遭うとは思いもしなかっただろう。だが、ギャンブル卿の妻になった以上は、こんなこともあろうかと覚悟していたはずだ。知らんけど。
「もう一度、勝負してくれ。妻を賭けるから」
◇
「あんた、馬鹿じゃないの? そこは普通、もう終わりにして帰るところじゃないの?」
ライラは眉を吊り上げて、エリックに遠慮なくツッコんだ。さっきまで悪魔とご対面して面食らっていたのに、もう慣れたみたいだ。それもこれも、エリックがツッコミどころ満載だからなんだけれども。
「だからぁ、俺はギャンブル卿なの! ギャンブラーが負けっぱなしで帰ることなんて、あり得ないんだからぁ!」
エリックは駄々っ子のように言い返す。
『で、それが、ラルフ殿の幻術のせいだったと申すのでござるか?』
ハーディーが尋ねる。
「そう、そうなんだ! 俺がカードを読み間違えるなんて、あり得ない! あとで聞けば、ラルフさんは幻術の使い手だというじゃないか。何か俺の直感を狂わせるようなことを、仕掛けられていたんだよ!」
エリックは身を乗り出して、必死に訴えてくる。
「それ、何か根拠はあるんか? あんたがそういうふうに推測しとるだけとちゃうんか? そのラルフとやらにちゃんと確認したんか? 『幻術で騙したんですか?』って」
ニュウニュウが疑わしげな目を向ける。
「いや、確認はしてないけど……。そんなこと、できるわけないじゃん」
エリックは言い淀む。
「じゃあ、幻術じゃないかもしれないな。単に弱くて負けただけかもしれない」
コンティニュアスまで口を挟んできた。
「いやいやいや、そんなわけない! 俺がどれだけカードをやってきたと思っているんだ! 裏返しになっていても、触れただけで大体、何のカードかはわかるの! そんな俺がカードを読み間違えるわけないの!」
どれだけ必死でエリックが言い返してみても、幻術にやられたという証拠がない以上、言い訳にしか聞こえない。ヴァネッサも困った顔をしている。
「わかったわかった。とりあえず、ラルフと会う時には、幻術に気をつけろ。それでいいか? エリック」
俺は一度、話を終わらせようとした。
「いやいや、クリスはラルフさんの恐ろしさをわかっていないんだ! あの方がどうして何百年も生きているか、わかるか?」
エリックは話を蒸し返す。
「そりゃあ、悪魔だからだろ? 悪魔って何百年も生きるもんなんじゃないのか?」
気がつけば、メイドたちがテーブルの上をきれいに片付けている。ソファの端っこでは、コンティニュアスがだらしなく居眠りを始めていた。ここに着いた時にはすでに日が暮れていたし、もう随分と遅い時間のはずだ。俺も疲れてきた。そろそろ風呂に入りたい。
「違う、違う! 悪魔は確かに人間よりは長生きするけど、そんなに何百年も生きるやつは稀なんだよ! あの方は、幻術で周囲を思った通りに操っているから、死ぬ危険に直面することがないんだ」
「確かに、悪魔は200〜300年くらいが寿命だって聞くしなぁ」
ニュウニュウがうなずく。エリックは身を乗り出した。
「いいか、ラルフさんは、心の弱みにつけ込む。魔族でも人間でも、知性のある生き物には心がある。そして、心には必ずといっていいほど、弱みがあるんだ」
隣でライラが、居住まいを正した気配があった。さっきまで風呂がどうとか考えていた俺も、急に頭がはっきりしてきた。何だって? 心の弱みにつけ込む? 脳裏に浮かんだのは、クレアの顔だった。
「あの時は『カードを読み間違えるはずがない』『絶対に負けない』という俺の自信を揺さぶってきた。読み間違えるはずがないのに、間違えた。それが幻術だったのか、それとも本当にたまたま俺が間違えたのかは、もう確かめる術はない。だけど、自信が揺らいだところに弱みができた。そこにつけ込まれたんだと思っている」
ローテーブルの周囲が、シーンとした。窓の外から、フクロウの鳴く声がやけに大きく聞こえてくる。メイドが暖炉に新しい薪をくべた。パチッと火の粉の爆ぜる音がする。
「なんか、術にハマったら厄介な気がしてきたなぁ」
ニュウニュウは腕を組んで、口元に指を当てて考え込んだ。確かにそうだ。誰にだって心に負った傷の一つや二つはある。物理的な攻撃ならいくらでも避けようがあるが、そんなところを攻められたら、防ぎようがない。
「そう。だから、ラルフさん対策で一番、大切なことは、会わないことなんだよ」
エリックは、眠っているコンティニュアス以外の俺たちを見回して言った。
『しかし、会わなければ倒せないのでござる』
ハーディーが口を開く。
「何か方法はないのか? その幻術にハマらないようにする、その、何かは」
俺が聞くと、エリックは目をむいて「そんなものがあれば今頃、もう誰かがラルフさんを殺しているさ」と言って肩をすくめた。
「魔法を封じる魔法が、効かないってことなんか?」
ニュウニュウが聞く。
「効かないというか、それ以上の魔力でもって抑え込まれるって感じかな。俺の幸運の魔法でさえ、はね返されたんだから」
エリックはもう一度、肩をすくめた。
「何か対策を考えていかないと、マズいことになりそうね……」
ライラがうめく。その通りだ。だが、パッと妙案は思いつかない。
「まあ、これは提案だが」
エリックはソファに座り直すと、俺の方に体を向けた。
「パンゲアには行く。だけど、ラルフさんには会わない。できるだけこっそりと城に忍び込んで、アレを回収して逃げる。俺は、それがいいと思う」
確かに、現段階ではそれがベストに思える。俺たちに課されたクエストは万物の源を持ち帰ることであって、ラルフを倒すことではない。ただ目的と果たすだけであれば、エリックのプランで十分だ。ラルフはエドワードたちに任せておいて、俺たちは〝逃げ帰れば〟いい。
だが、それでいいのか?




