例のあいつと再会した
目的地に着いた頃には、すでに日はとっぷりと暮れていた。こんなに暗くなっては、何かヤバいものと遭遇するのではないかとヒヤヒヤしていたので、見慣れた蔦のはった建物が見えた時には心の底からホッとした。そう、エリックの屋敷だ。
「クリス、お前、見かけによらず顔が広いんやな。ちょっと感心したで」
ニュウニュウはここに誰が住んでいるのか気づいたのか、ニヤニヤしながら俺の背中をつついた。隣ではライラが不審な顔をしている。魔力を感知できるので、おそらく何か普段と違うものを感じているのだろう。だけど、「まさか、そんな」という気持ちが強くて、受け入れられないのだ。
馬車を止めて小さな庭を通り抜け、重々しいドアの前に立つ。頭上に燭台があるが、灯りがない。来客の予定がないのだ。ということは、今は家族水入らずの時間を過ごしているはずだ。俺はゆっくり、しかし、はっきりと聞こえるようにノックした。しばらく待つとドアが音もなく開き、年老いた痩せた男が顔を出した。この時間でも、まだピシッと黒いスーツを着ている。頭の両横には灰色の角がのぞいていた。
「これはこれは、クリス様……! またこんな夜中に、なんのご用事でしょうか?」
銀色の瞳で、鋭くメンバーを見回す。前に来た時にもいた執事だ。俺のことを覚えてくれてはいたが、警戒しているのかスッと屋敷には入れてくれない。
「お久しぶりです。来る前に連絡できればよかったんだけど、手段がなくて。エリックはいますか?」
間違いなく俺だということをわからせるために、左指にはめた指輪をちらつかせながら聞いた。執事はそれをチラッと見てから「少々、お待ちください」と言ってドアを一度、閉めようとした。まさにその時だった。
「どなた?」
執事の背後、広間の奥から女の声がした。この声は聞き覚えがあるぞ。「どなた?」というより「どぉなたぁ~?」と表現した方がふさわしい。甘ったるい、体から力が抜けそうになる声。のぞき込むと、裾の長いナイトガウンをまとった女性が、こちらにやってくるところだった。
「奥様」
「ヴァネッサ!」
執事と俺がほぼ同時に声を上げた。ヴァネッサだ。思っていたより背が高い。ライラより少し大きいくらいだ。透き通るような真っ白い肌、少し垂れ目気味の大きな潤んだ瞳。スッと通った鼻筋にぽってりと肉厚の唇。黒々として、胸元まで覆うほどの巻き毛がしっとりと濡れている。ついさっきまで風呂に入っていたのだろう。そして、思った通りの巨乳! ライラ以上! 間違いない!
「あらぁ! もしかして、クリスさん?!」
ヴァネッサは口元に手を当てて、目を丸くした。小走りに駆け寄ってくると、おっぱいがゆさゆさと揺れる。それを見てコンティニュアスが「おいおい……」と口角を上げて、露骨にいやらしい笑い方をした。
「ヴァネッサ、初めまして。いや、そうじゃないな。こんばんは」
ヴァネッサの頭の両側には、黒い見事な渦巻き状の角があった。胸元に手を置くと、ニッコリと微笑んで「こんばんは。ようこそいらっしゃいました。さあ、どうぞ入って」と俺たちを屋敷に招き入れた。
「晩御飯は食べた? お腹は空いてない? 今夜はどこに泊まるのかしら? その感じではもちろん野営よね? よかったら泊まっていきませんか? お風呂はお使いになる?」
先に立って歩きながら、矢継ぎ早に質問してくる。おっとりとした語り口なのだが、切間がなくて口を挟むことができない。口籠もっているうちに豪華なソファが並んだ応接室に通され、ヴァネッサは「ちょっと待っててね」と言って出ていった。出て行く時に執事も連れていってしまったので、俺たちだけが残された。
「ちょっと、クリス!」
ライラは問答無用で俺の耳をつねった。
「痛い! なんだよ!」
「人間じゃないっていうから魔族なんだろうなと思っていたけど、よりにもよって、悪魔じゃない! どういうこと?!」
噛み付かんばかりの勢いで迫ってくる。エドワードには炎の神殿の行き帰りでエリックのことを話したが、ライラには話していなかった。ハーディーが『まあまあ、ライラ殿。落ち着くのでござる』とたしなめる。コンティニュアスとニュウニュウは、早くもソファにふんぞり返って座った。
「だから、人間じゃないって言ったじゃないか。さっきの人の旦那がパンゲアに出入りしていて、案内人としては最適なんだよ」
耳をさすりながら説明した。ライラは信じられないといった顔をして、腕を組む。いつも以上に寄せて上げているのは、先ほどヴァネッサの爆乳を見て、ライバル心を燃やしたのかもしれない。
「最適かもしれないけど、クリス、あなた知ってるの? 悪魔は人を騙して殺すのよ」
「もちろん知ってるさ。だけど、エリックはちょっと事情が違うの」
俺は角をへし折って、エリックを支配下に置いたことを簡単に説明した。ライラは最後まで黙って聞いていたが、目を細めて「それ、本当の話?」と疑いの眼差しを向けてきた。
そんな話をしていると、ヴァネッサがお盆にティーポットやカップを乗せて戻ってきた。いつの間にか着替えている。ナイトガウンではなく、淡い黄色のロングドレスに着替えていた。後ろから中年のメイドがついてくる。メイドのお盆には中身はよくわからないが、美味しそうなパイが切り分けられて乗っていた。
「さあ、みなさん、どうぞ。簡単なものしかありませんけど。今、サンドウィッチを作らせていますので、お待ちくださいね」
ヴァネッサはメイドに紅茶を淹れさせて、自分はソファに座った。ローテーブルに並べられたパイが、とても美味そうだ。晩飯を食べていないので、急にお腹が空いてきた。俺が何か言う前に、コンティニュアスはいきなり手を伸ばしてパイを取り上げ、手づかみのままかぶりついた。
「うん、美味ぇ! アップルパイだ!」
そうか、普通の食い物でよかったな。中身が人肉だったらどうしようかと思って、躊躇したのだ。コンティニュアスがガツガツ食べ出したのを見て、ニュウニュウも口をつけた。「あ、うめえ!」と目を丸くする。俺もありがたくいただくことにした。むっ、美味い。甘さの加減がちょうどいい。甘すぎず、りんごの香りを最大限に生かした上品なパイだ。生地もサクサクして、上質なバターを遠慮なく使っている。ヴァネッサが作ったのだろうか。ハーディーも食べ始めた。だが、ライラだけは困った顔をして、手をつけずにいる。
「クリスさん、いつぞやはうちの亭主が大変お世話になりまして、本当にありがとうございました」
俺たちが食べているのをニコニコしながら見ていたヴァネッサは、座ったまま深々と頭を下げた。大きく開いたドレスの襟元から、豊かな乳房の谷間が丸見えになる。刺激が強すぎて、思わず咀嚼していた口が止まった。
「い、いえ! とんでもない! 俺たちの方こそ、エリックには助けてもらったから」
嘘ではない。最初は敵として襲いかかってきたけど、角をへし折って以降は、パーティーの一員として働いてくれた。エリックの幸運の魔法のおかげであまり敵に遭遇せずに目的地までたどり着けたし、ベヒーモスに会えたりしたのだ。たぶん。
「そんなことありません。角を折られて、本当なら奴隷にされてもおかしくないのに、ここまで連れて帰ってきてくださって、しかも解放してくださるなんて。クリス様は、なんて心の広いお方なのでしょう」
ヴァネッサはほほに手を当てて、相変わらずニコニコしながら話している。そうか。悪魔の目線で見れば、俺はそんなに気前がよかったのか。もう少しエリックを振り回しても、バチは当たらなかったのかもしれない。
「それはそうと、ヴァネッサはパンゲアからスッと戻って来られたんですか? 酷い目にあったりしなかった?」
そうだ。俺がエリックと出会った頃、ヴァネッサは借金のカタとしてパンゲアに捕えられていた。エリックは妻を取り戻す道中で俺たちと遭遇し、ハーディーに部下を殺されて、ヴァネッサを取り戻す金を奪われたのだ。そう考えると、俺たち、結構ひどいことやっているな。
「いえいえ、全然。パンゲアは極楽みたいな場所ですから、酷い目なんて全然、あいませんでしたよ」
ヴァネッサはオホホと上品に笑って、顔の前で手を横に振った。隣でニュウニュウが、ライラのパイを取り上げて「うん、マジで美味いやん。これ」と言いながら食べている。
「パンゲアって、いいところなの?」
事前情報はたくさんあるに越したことはない。ヴァネッサ視点の話も聞いておこうとしたその時、ドアがバン!と乱暴に開いて、エリックが登場した。バスローブをまとって、今まさに風呂上がりといった趣だ。
「なんだよ、お前ら! 来るなら来るって先に言っておいてくれよ! そしたらちゃんとディナーも用意しておくのに!」
あわてて出てきたようで、髪が濡れている。ライラの顔が引きつった。やむを得まい。ヴァネッサや執事は人間の顔に角が生えているので、百歩譲ってヒトに見えなくもない。だが、エリックは羊の顔なのだ。どこからどう見ても悪魔だし、いかにも悪魔っぽい。
「ん? あれ? なんか、メンバーが変わってないか? テイラーはどこだ?」
エリックは首にかけたタオルで髪を拭きながら、近寄ってきた。その後ろからメイドがサンドウィッチが盛り付けられた皿を持ってくる。
「テイラーはちょっと事情があって、今回のクエストには参加していない。代わりに、このニュウニュウが今回の魔法使いだ」
俺が紹介すると、ニュウニュウは「チャオ!」と笑顔で手を上げた。エリックは座りかけて、驚いた顔をして立ち上がる。
「えっ、ちょっと待って! この人、ドラゴンじゃないの?!」
「おお、ほほう。すぐバレたか」
ニュウニュウは笑いながら頭をかいている。
「そして、こっちが修道女のライラ。ライラ、こいつがエリック。パンゲアに出入りしていたことがある悪魔だ」
エリックは「あ、どうも」と言いながら、ヴァネッサの隣に腰掛けた。ライラの顔をチラッと見て、サンドウィッチに手を伸ばしかけて、ギョッとしてまたライラを見た。
「え……。ちょっと待って」
震える指で、ライラを指差す。さっきからパイをニュウニュウに食われ、サンドウィッチにも手を出しかねているライラは、ほっぺたを膨らませて実に不満そうな顔をした。
「チチのデカい人間の女と、化け物みたいな仮面の剣士がいるパーティー……。お、おい、クリス。お前たち、もしかして」
エリックは目を見開いて、ごくりと唾を飲み込んだ。なんだ、どうした。何をおびえているんだ。
「もしかしてお前たち、ミラキュラスなのか?!」
エリックはタオルを取り落として、立ち上がった。相変わらず立ったり座ったり、騒がしいやつだ。立ち上がるだけでは飽き足らず、ソファの後ろに回り込んでヴァネッサの背後に隠れてしまった。
「なんだよ。そうだよ。俺たちのパーティー名は、確かにミラキュラスだ」
仮だけどな。
エリックは目を見開いて、ブルブル震えている。ヴァネッサはその前でオホホと笑いながら「まあ、あなた。大袈裟なんだから」とおっぱいを揺らした。
「大袈裟なもんか! 魔族殺しのミラキュラスが、俺の屋敷に来ているんだぞ!」
エリックはガバッと立ち上がって、端からコンティニュアス、ニュウニュウ、ハーディー、俺、ライラと震える指で一人ずつ指差した。
「お前たちの首に、賞金が懸かっているんだぞ! 知っているのか?!」
……?
何を言っているのか一瞬、理解できなかった。賞金? 俺たちの首に? 要するに俺たちを殺したら、賞金がもらえるってこと?
「え! ええ〜っ?!」
俺より先に、ライラが声を上げた。




