朝風呂
どれくらい経ったのだろう。意識が戻ってまず感じたのは、猛烈に頭が痛いということだった。まぶた越しにでも明るいのがわかる。目を開けてそれを受け入れたら、頭痛が爆発しそうだ。喉も腹も痛い。そして全身が重たい。立派な二日酔いだ。
ここはどこだろう。体の左側は硬い床だ。絨毯が敷いてあって、古めかしい匂いがした。無理矢理目を開ける。白い光が目を通して脳髄まで食い込んでくる。あまりのまぶしさに、顔を背けて目を閉じた。そしてもう一度、ゆっくり目を開ける。大きな窓から、陽光が差し込んできていた。太陽の高さから考えて、朝なのだろう。そして、ここは1階ではない。視界の高さを考えると2階以上だ。
それほど広くない部屋だった。宿屋のようだ。ベッドが一つ、壁際に化粧台。小さなテーブルと椅子が2脚。俺はベッドの足元の床に倒れていた。寒い。壁にかけられた時計を見ると、午前6時半すぎだった。ベッドの左側の床には、ハーディーが仰向けで転がっている。アンはもう体内に戻っていた。軋む体を動かして立ち上がる。ベッドではコンティニュアスとニュウニュウが布団をかぶって身を寄せ合い、ぬくぬくと眠っていた。
ライラはどこだ。ガンガンと痛む頭を抱えて見回すと、ベッドの反対側にいた。毛布にくるまって床で眠っている。
とりあえず小便がしたい。それから水。水が飲みたい。部屋の中にはトイレも洗面台もなかった。水差しがあったのでグラスに注いで飲み干すと、少し楽になった。足を引きずって部屋を出て、トレイに行く。ああ、間違いなく飲み過ぎだ。こんなになったのはいつ以来だろう。ポポナにいた頃以来かもしれない。クーメン時代にはあまり記憶にない。全身、酒臭かった。昨夜はシャワーを浴びていないのだろう。風呂に入って着替えたい。ヘイシュリグには、朝から入れる公衆浴場があったはずだ。
ヘイシュリグは前にも言ったけど、宗教都市だ。来訪者が多い。巨大な修道院を支えるために常時、多くの商人が出入りしているし、ここを巣立った修道士が勉強しなおすために定期的にやってきて、滞在する。宿屋街があるのはそのためだ。そして、徹夜で勉強する修道士のために、朝から開いている風呂屋があるのだ。
俺たちが寝ていた部屋は、やはり2階だった。トイレはなかった。階下へ降りてみると、昨夜の食堂だった。まだ仕込みも始まっていないのかシーンとして、明かりも消えている。その2階で泊めてもらったみたいだ。どういう経緯でそうなったのかは、安易に想像できるけど。アルコール臭い小便を出し切って部屋に戻ると、ニュウニュウとライラが起きていた。起きていたといっても、布団の上でまだ寝ぼけまなこをして、あくびを連発している。
「頭痛い……」
ライラがうつむいてうめいた。当たり前だろう。昨夜、あれだけ飲んだのだから。男女別々の部屋ではなく、食堂の2階の一室に転がり込んだくらいだから最後は全員、ベロンベロンだったに違いない。覚えてないけど。
「おはよう」
ライラとニュウニュウにあいさつする。ライラと違って、ニュウニュウはそれほどひどい二日酔いではなさそうだ。まだ眠そうではあるが比較的、ケロッとした顔をしている。
「おはよう、クリス。腹が減ったな」
ニュウニュウは上着のなかに手を突っ込んでボリボリとおなかのあたりを引っ掻きながら、素の顔で恐ろしいことを言った。あんなに飲んだ翌朝に腹が減っているなんて、信じられない。普通、何も食べたくないだろう?
「そうか。俺は二日酔いで何も食えそうにない」
ガンガンからズキズキくらいに収まってきた頭を抱える。ニュウニュウはずるりと布団から抜け出して、ベッドから飛び降りた。そして、ペタペタと俺の方に歩いてくる。
「なんだ? クリスは二日酔いなのか? そんなのすぐに楽にしてやろう」
トントンと俺の背中を叩いて、小さな声で「楽になぁれ!」とささやく。
……。
うぉっ、なんだ、これ!
突然、頭がスッキリして呼吸が楽になった。先ほどまで全く動く気配がなかった喉や胃袋が、すうっと軽くなるのを感じる。これはすごい! 歩くのさえ苦痛だったのに、飛び跳ねて踊り出したい気分だ!
「えっ、なに、これ! ニュウニュウ、俺に何をしたの?」
頭を振ってみる。全く痛くない。信じられない。魔法でこんなことができるとは。ニュウニュウは膝を抱えてうずくまっていたライラのそばに行き、同じように「楽になぁれ」をやった。ひと呼吸置いて、ライラが顔を上げる。驚いて目を見開いていた。
「何、これ……! すごい!」
少しよろめきながらも、立ち上がる。
「言葉に出した通り、『楽になる魔法』だ。二日酔いには効果てきめんやねん。ちなみに1時間後にひどい反動が出るからな。それまでにやることをやってしまおう」
何やら聞き捨てならないことを言ったが、とりあえず動けるようになったので、朝の準備をすることにした。ハーディーとコンティニュアスを起こして、風呂に行くことにする。「朝風呂なんて遊び人のすることよ」とライラが反対するのではないかと思っていたが、「私は仕事に行かなきゃいけないから」と言い出した。言われてみれば、そうだったな。
食堂を出たところで、ライラと別れた。一度、自分の部屋に戻って着替えてから出勤するという。休職届けを出して、昼過ぎには再び修道院で合流することになっていた。
「ライラ、じゃあ、よろしく頼むよ」
立ち去ろうとする背中に声をかけた。ライラは振り返ると、俺をジロッと見つめた。
「言っておくけど、好き好んで行くわけじゃないんだからね。エドが抜けて大変だから、ついて行ってあげるんだから。そこんところは、ちゃんとわきまえておいてよね」
ボソッと言い残して、帰って行った。でた、ライラのツンデレ。いや、ツンしかないんだけど。俺に対しては。
宿屋街にあった公衆浴場は年季は入っていたが、清潔に整備されていて、浴場も広くて気持ちがよかった。そして、湯に浸かっている最中にニュウニュウが言っていた通り、反動がやってきた。頭痛い。気持ち悪い。
『昨夜は姫がいろいろやらかしたようで、申し訳ないのでござる』
俺の隣で湯に浸かりながら、ハーディーが謝ってきた。
「ああ、別にいいよ。俺は途中から記憶がないから」
アンがあんなに酒癖が悪いとは知らなかった。だけど、アンの姫オーラを存分に浴びられたのは楽しかった。お酒が入っていなければ、あんなに楽しくはなかっただろう。
『姫はその……。こう言ってはなんなのでござるが、ぶっちゃけて言うと、あまり酒癖がよくないのでござる。酔っ払うと周囲にも飲むことを強いるのでござる。基本的に楽しいお酒なのでござるが、その、飲む量が半端ではないので、周りが大変なのでござる』
ハーディーは申し訳なさそうにうつむいた。
「生きていた時というか、ハーディーと一緒でなかった時も、そんな感じ?」
『うぅむ。あまり言うと姫様の悪口みたいになって気が引けるのでござるが、まあ、なんというか、そうでござったな。姫様がパーティーをすると言い出せば、ちょっとした覚悟が必要でござった』
そうなのか。だが、なんだか楽しそうで、うらやましい。アンとハーディーがバラバラだった頃の生活を想像する。普段はお淑やかだが、酔うと豹変する姫。それに振り回される屈強な家臣。笑ってしまう。
「ハーディーは軍人だったんだろ? それなのにアンのパーティーに参加したりしていたのか?」
軍隊は基本的に王様の直属の組織だ。そこに所属していたハーディーがアンのパーティーに参加するなんて一体、どういう機会なのだろうか。
『拙者は、姫様の護衛部隊にいたのでござる。だから、姫様のパーティーにはたびたび参加していたのでござる。それこそ、姫様が小さい頃から。そう、小さい頃は小規模なお茶会でござったのでござるが、成人されてからはお酒を嗜むようになられて……』
なるほど。今までアンとハーディーは王女と一介の兵士で、顔見知り程度だと思っていたが、意外に近しい存在だったのか。
「そうなんだ。じゃあ、ハーディーは小さい頃からアンを知っているんだ」
『そうでござる。最初にお会いしたのは、姫様が6歳でござったな。長くおそばで仕えさせていただいたのでござるが、まさかこんなふうに姫様を体内でお守りすることになるとは、思いもしなかったのでござる』
ハーディーは大きな手で、愛おしそうに胸を撫でた。今頃、アンもそこで二日酔いに苦しんでいるのだろうか。俺は「アンも今、二日酔い?」と聞いてみた。
『いや、姫様はめちゃくちゃお酒に強いのでござる。それに多少の二日酔いは、魔法でお治しになられるので……。まあ、それよりも、今は少し反省されているようでござる。昨夜は飲みすぎたと』
ハーディーは微笑んだ。いや、仮面だし、口元が緩んだわけでもないのだけど、確かにフッと笑った気配がした。その向こうで、コンティニュアスが「ぶはぁ~」とため息をついている。こいつも二日酔い知らずで、朝からピンピンしていた。
風呂から上がると、ニュウニュウとロビーで待っていた。手に牛乳瓶が握られている。すでに飲み干したあとだった。
「さあ、クリス。メシにしよう!」
髪をタオルで巻いたまま、眉をキリリと引き締めた。わかった、わかった。元気なやつだな。俺は反動でヘロヘロで、とてもそれどころではないのに。
風呂屋の近くに朝からやっている食堂があったので、そこに入って遅い朝食を取った。俺とハーディーはおかゆを食べているのに、ニュウニュウとコンティニュアスはバターを塗ったパンに太いソーセージ、目玉焼き、フライドポテトという脂っこいものをガツガツ食べている。こいつらの胃袋、どうなっているんだ? やはり魔族は人間とは体の仕組みが違うらしい。
それはさておき、これでとりあえずメンバーはそろったぞ。戦士、魔術師、修道士、盗賊。あと、普段は戦力にならない魔法道具。欲を言えばハーディーに何かあった時のために、もう一人、前衛がほしい。俺の頭には、そのもう一人がはっきり浮かんでいた。パンゲアに行くなら、最適な人物がいるではないか。ライラとニュウニュウが受け入れてくれるかどうかが一番のハードルだけど、あいつを捨て置いてパンゲアに行くことは、考えられなかった。




