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吐血

 よく地獄絵図というけれど、俺は地獄絵図という絵を見たことがない。そもそも地獄を見て帰ってきた人間なんていないはずで、地獄絵図というのは、あくまでも誰かがものすごく恐ろしいことを想像して描いたものにすぎない。だけど、もし地獄というものがあるのなら、こんな場所かもしれない。


 アフリートを肩車したハーディーについて行った先には、そんな光景が広がっていた。


 「あははは! 逃げろ逃げろ! あははは! もっと必死で逃げろ!」


 魔族を追って、街の北部へ向かう。西に逃げた連中は放っておいても構わないが、北へ逃げたやつらは、首都に行ってしまうかもしれない。追うべきはこちらだ。ハーディーの肩の上で、アフリートは魔法を乱射した。宙に手をかざすと、ポワッとオレンジ色に輝く火球が現れる。「ほいっ」と声をかけて指差した方向に、火球は明るい軌跡を残して一直線に飛んでいく。着弾するとドォン!と腹に響く衝撃音がして、巨大な炎が立ち上った。


 「うわぁ!」「ぎゃああ!」


 建物の中にいたのは、逃げ込んだ魔族だけではなかった。この街に取り残されていた人間が集められていた建物もあって、アフリートが攻撃すると火だるまになった人間が次から次へと転がり出てきた。


 「アフリート、その……。できるだけ、人間は攻撃しないで……ね?」


 エドワードは苦笑いしながらそう言っているものの、すでに諦めているようだ。アフリートは完全に無視して「そりゃそりゃ!」と次々に手のひらから炎を吹き出して建物を燃やしている。そして、瓶をグビッとあおる。


 「ああ、やっぱり血は違うねえ! 生き血だったらもっといいんだがねぇ!」


 ローブで口元を拭うと、また「ほらほら、死ね、死んでしまえ!」とゲラゲラ笑いながら魔法を連発した。


 「ハーディー、アフリートが飲んでいるそれって……」


 本人がはっきりと言っているし、さっきアフリートの口元を拭いて、確認した。だから、聞かなくてもわかる。だけど、「もしかしたらそうでないかも」という気持ちがわずかにあった。自分の間違いであってほしかった。


 『血でござる。おそらく、ここで捕らえられていた人々のものでござろう』


 ハーディーは無機質な口調で答えた。


 『魔族たちが自分たちが飲むために、街の各所に瓶詰めして置いていたのでござる。それをアフリート殿が発見して……』


 アフリートの指示に従って右へ左へと歩きながら、ため息をつく。ハーディーも、もちろん乗り気ではないのだろう。当たり前だ。あれは、テイラーの体なのだ。いかに魔力が回復するとはいえ、テイラーの胃袋に人間の血が流れ込んでいると想像すると、ゾッとする。


 「やめろ、やめろ! 撃たないで!」


 北から騎馬隊が戻ってきた。先頭を走っているのはシャインだ。


 『アフリート殿、打ち方やめでござる』


 「ああん? なんだって?」


 ハーディーがトントンと足に触れると、アフリートは忌々そうに吐き捨てつつ、炎を打ち出すのをやめた。シャインは、エドワードのそばまでやってきた。チャップスに血が飛び散っているが、特にけがはなさそうだ。


 「エド、魔族が降伏したよ」


 シャインは手にしていた槍を肩にかけて、笑みを浮かべた。エドワードは特に表情を変えることもなく、腕を組み、あごをつまんで少しだけ考えている。


 「降伏したって、どのレベルで? もう武装解除しているの?」


 シャインを見上げて聞く。


 「いや、まだ代表者が『降伏したい』って言っているだけ」


 シャインの顔から笑みが消える。逆に今後はエドワードがニコッと微笑んだ。


 「じゃあ、僕らが行くまで、もう少し痛めつけておいて」


 「でも、エド……」


 「お願い、シャイン」


 エドワードはパチンと音をさせて、手を合わせた。シャインは納得のいかない顔をしたが、軽くうなずいて手綱を引くと、北の方へ戻っていった。それを見送っていると、アフリートがフワッとハーディーの肩の上から降りてきた。


 「なんだ、もう終わりなのかい?」


 ニヤリと笑って、また瓶をグビリとあおる。と、口を離した勢いで、アフリートは嘔吐した。上半身を折り曲げて、ゲロゲロと苦しそうな吐瀉音を立てながら、真っ赤な血を地面に向かって盛大に吐き出した。


 「うわっ、テイラー!」


 『テイラー殿!』


 俺とハーディーが駆け寄って、背中をさすってやる。こんなに飲んでいたのかというくらい、ドボドボと口から血が流れ出した。


 『やっぱり、テイラー殿の体は、人間の血は受け付けないのでござる。一時的に魔力が復活したように思えても、こんなふうに反動が出てしまうのでござる。拙者が許してしまったせいでござる。面目ない……』


 ハーディーはペコペコと頭を下げた。アフリートは、まだげえげえと苦しそうに吐いている。立っていられずに、その場に四つん這いになった。手のひらやスカートの膝が、血溜まりに落ちて汚れた。


 「クリス、ハーディー。アフリートを後から連れてきてね」


 エドワードは冷たくいい放つと「君、一緒に来てくれないか」とベンをお供に、シャインが消えた方へと足早に歩き始めた。


 アフリートは、内臓ごと吐き出してしまうのではないかと思うくらい長い間、吐いていた。実際にはそれほど長い時間ではなかったのかもしれないけど、随分と長い時間に思えた。ようやく止まった。背中を大きく波打たせて、苦しい息をしている。


 「ハーディー、俺たちもエドワードを追おう」


 俺がそういうとハーディーは一瞬、考えた。アフリートがこんな状態だから、少しここで休ませた方がいいのではないか。そう思ったのだろう。実は、俺もそう思う。だけど、嫌な予感がした。ここでモタモタしてはいられない。早くエドワードを追いかけなければいけない気がした。俺の気持ちが伝わったのか、ハーディーはうなずいた。


 『テイラー殿をおんぶするので、手伝ってほしいのでござる』


 そう言って、しゃがんで背中を差し出す。


 「OK。そのままの姿勢でいて」


 アフリートを抱えると、ハーディーの背中に乗せた。ぜいぜいと苦しそうな息をしている。


 エドワードを追って街の北部に向かいながら、ハーディーからクーメンに突入した時の話を聞いた。


 本隊はクーメンにギリギリまで近づいて、街道脇に一度、姿を隠した。街の入り口には斥候の報告通り、木材で作られたバリケードがあった。そこに等間隔に人間が括り付けられている。騎馬や歩兵で突入できないようにしてあるのだ。ただ、見張りは最低限で、守備は手薄だった。


 「思った通りだ。さて、あの捕虜をどうするかが問題かな……」


 エドワードは腕を組み、あごをつまみながら考えた。考えごとをしている時に必ずするポーズだ。


 「ハーディー、よく見えないな。肩車してくれないかい?」


 アフリートはハーディーの服の裾を引っ張った。『いいでござるよ』。ハーディーは身を屈めて、アフリートを肩に乗せた。肩からかけた袋には、戦闘に突入する剣士には不釣合いな量の蒸した芋と、干し魚が入っていた。アフリートから「魔力切れを起こすかもしれない。食べ物を持っていってほしい」とリクエストがあったからだ。


 魔力は無尽蔵ではない。いかに魔族四天王の一人といえども、魔力には限界がある。そして、魔力の量は、テイラーに準じている。アフリートが言うには、テイラーは純度は高いが、量は大したことないのだそうだ。


 「純度が高い分、高濃度の炎を打ち出すから、すぐに魔力が尽きてしまうと思うねえ。だから、食べ物を持って行ってほしい。魔力が切れると、とにかく腹が減るからねえ」


 魔力は基本的に、時間とともに回復する。だが、戦闘中に一気に回復させたい場合は、ポーションという薬を飲む。値段が高いので、貧乏なパーティーはまず装備していない。だが、ここはマリシャ姫の側近が2人もいる部隊だ。もちろん、城から持参していた。ところが、アフリートはこれを飲もうとしなかった。


 「不味い」


 神殿からの帰り道にエドワードが飲ませてみると、すごく嫌そうな顔をした。


 「いや、不味いじゃなくて、魔族にもこれが効くかどうかを知りたいんだけど」


 エドワードが食い下がったが、アフリートはジトッとした目をしてにらむばかりで、それ以来、絶対に口にしようとしなかった。


 ハーディーに肩車されたアフリートは、しばらく目を細めてバリケードの方を見ていた。おもむろにスッと手を挙げると、ポッと手のひらにオレンジ色の明かりが現れた。


 「わ、何するんだ、アフリート。消して」


 エドワードは最初、明かりを灯したのだと思ったらしい。夜が更けて、月は森の向こうに沈んでいた。明かりといえば、バリケードの向こうにある篝火だけだ。待機している場所は暗い。バリケードが見えづらい。だから、明かりと灯した。


 ところが、違った。次の瞬間、オレンジ色に輝く球から、一直線にバリケードに向かって真っ白な光線が走った。


 『おわっ!』


 さすがのハーディーも、驚いて声が出たという。光線はバリケードに突き刺さると、そこに括り付けられた捕虜もろとも一気になぎ倒した。木材に着火し、パッと火の手が上がる。


 「どうだ、これでもう、捕まっている人間を気にしなくても良くなったねえ」


 エドワードとハーディーが呆気に取られているうちに、アフリートは一番、手前にあった建物に光線を打ち込んだ。ドォン!という衝撃音が上がって壁が崩れ落ち、バッと炎が上がる。建物はあっという間に、メラメラと燃え始めた。ようやく魔族たちが飛び出してきて「敵襲だ!」と叫ぶ。


 それが、俺たちが南部の山間で、最初に見た火だったようだ。


 「さあ、エドワード、ハーディー! 行こうかねえ! 宴の始まりだ!」


 アフリートはハーディーの頭をペチペチと叩くと「あはははは!」と狂気じみた笑い声を上げた。


 そんな感じで、なし崩し的に攻撃は始まった。幸いなことにアフリートの攻撃で魔族は浮き足立って、簡単にバリケードを突破できた。逃げ惑う魔族を追撃し、焼き殺し、斬り殺した。バリケードの近くの建物は、捕虜を閉じ込めるために使われていたものがあって、アフリートはそこも攻撃してしまった。崩れた壁から火だるまになった人間が何人も飛び出してきて、初めて人がいるとわかった。


 「アフリート、人間がいる! 人間は攻撃しないで!」


 エドワードは血相を変えて叫んだ。


 「そんなの、無理だねぇ。見えないのに、どうやって魔族か、人間か、見分けりゃいいのかねぇ。グヘヘ」


 アフリートは鼻で笑うと、次から次に光線を発射して建物を破壊し、燃やしていく。エドワードは真っ青になった。次第にその光線が真っ白から黄色に変わり、火力が目に見えて落ちてきた。


 「ああ、もう終わりか。ハーディー、何か食べるものをくれ」


 『アフリート殿、拙者からもお願いするのでござる。人間は攻撃してほしくないのでござる』


 ハーディーは干し魚を取り出すと、肩の上のアフリートに手渡した。アフリートは干し魚をモグモグとかじっていたが、不意に「ああ、こんなのでは全然、足らん!」と肩からフワッと飛び降りた。


 「あ、どこに行くの?!」


 スタスタとどこかへ行こうとするので、慌ててエドワードとハーディーが追いかける。


 「人間を食べるんだねえ」


 アフリートは目を細めて、不機嫌そのものという顔をして言った。


 「だから、それはダメだって言ったじゃないか! 人間は食べないって。食糧でなんとかするって!」


 エドワードは追いついて、アフリートの肩に手を置いた。その手をアフリートはパチンとはねのける。


 「人間を食べないと、あたしは燃えないよ?! もっともっと魔族を殺すんじゃなかったのかい? 人を食うか、魔族を殺すか。どっちなんだい?!」


 アフリートはキッとエドワードをにらんだ。気圧されたエドワードは言葉に詰まる。ハーディーも、言葉がなかった。こんなに早々に魔力切れになるとは思ってもいなかった。戦いは始まったばかりだ。まだアフリートの力は必要だ。ここは目をつぶって、犠牲を差し出さないといけないのか……。


 と、アフリートが何かに気づいた。また、スタスタと歩き出す。


 『アフリート殿!』


 ハーディーとエドワードは、またその背中を追いかける。アフリートは、まだ破壊されていない建物の前にあった瓶を取り上げた。そこは魔族が物資を置いていたようで、他にも木箱や木桶がたくさん積み上がっていた。アフリートは瓶の栓を開けると、クンクンと匂いを嗅いだ。


 「お、これは!」


 急にうれしそうな顔をして、口をつけるとあおってラッパ飲みした。グビグビと喉を鳴らして美味そうに飲む。口の端から、真っ赤な粘っこい液体がこぼれ落ちた。


 『ア、アフリート殿……!』


 「ハーディー、これは血だ! いいぞ、また力がみなぎってきた!」


 アフリートが話していたことがある。魔力を一気に回復するには、人間の肉を食べるのが一番いい。理由はわからない。とにかく他の肉よりも、人間の肉が一番、魔力がみなぎるのだそうだ。次が、人間の血。生き血をすすると、肉を食うほどではないが、これまた魔力が一気に回復するのだという。


 そのタイミングで、俺が駆けつけてきた。というわけだ。

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