介護役
山小屋には多くはないものの食糧の備蓄があり、山豚の燻製と芋を分けてもらった。ニュウニュウが「3日以内に出発したい」というので、それに間に合うように準備して再訪問することを約束して、街へと戻った。
『ライラ殿とテイラー殿も一緒に行くという話、してはいけなかったのでござるか?』
ハーディーが聞いてくる。
「いや……。最終的には、言わざるを得なかったと思うんだけど……」
俺はベンが無類の女好きで、でも、極度のコミュ障ゆえに素人の女性を付き合ったことがなく、娼館に入り浸っていた話をした。実はベンはライラとも一度、会っている。その時に穴が開くほどおっぱいをガン見していた話もした。ハーディーの表情がみるみるうちに曇っていく。
『その……。ライラ殿は仕方がないとして、もしもベン殿がテイラー殿を、その……いやらしい目で見始めたら、どうすればいいのでござろうか?』
「ござろうか?じゃねえよ。無視してひたすら耐えるか、さもなくばぶん殴るかのどちらかだ。まあ、ぶん殴ったところで、ベンはいやらしい目つきで見ることを止めることはないと思うけどな」
仕方がない。ミラキュラスはもう離れ離れにならないと決めたのだ。バラバラになってお互いに心配し合うよりも、変なやつが一人紛れ込んでいても、一緒にいた方がいい。山小屋からヘイシュリグに戻ると、昼過ぎになっていた。ライラとテイラーは朝食と昼食にありつけただろうか。そもそもアパートでは、水はまだ出ているのか。水場を確認するついでに、スティーブンさんの顔を見に行こう。確かライラが、宿舎街の黒猫亭というホテルにいると言っていたな。
街では早くもヴァジリへの移動が始まっていた。年寄りや子供を連れた親たちが、修道士や軍人に守られながら東へ向かっている。もしかしたらスティーブンさんも盗賊ギルドの連中と一緒に、出発してしまったかもしれない。なにしろ盗賊ギルドには、女性が多いからな……。
「おう、クリス」
黒猫亭は名前に反して、白壁のこざっぱりしたホテルだった。看板に黒い猫が描かれているのが、名前の由来だろう。玄関の前に何脚かベンチが置かれていて、そこでスティーブンさんがニーナを抱っこして座っていた。ニーナはフードのついたコートを着て、耳も尻尾も隠している。その隣にライラとテイラーがいた。
「あれ、みんないたんだ」
「ニーナに会いに来たら、お昼をごちそうになっちゃって」
ライラがニーナの頭を撫でながら言った。
「はーちゃん! くーちゃん!」
ニーナが俺たちを指差して言った。はーちゃんはハーディー、くーちゃんは俺か。
「おお、そうだぞ、ニーナ。よく覚えているな、はっはっは」
スティーブンさんはご機嫌でニーナの頭を撫でた。みんなに撫で回されて、ニーナはニヤニヤしている。お尻をゴソゴソ動かしているのは、尻尾を振っているのだろう。
「師匠、昨夜はお疲れさまでした」
とりあえずペコリと頭を下げた。
「おう、俺が出て行って、場が鎮まってよかったよ。咄嗟だったんだけどな。姫さまが泣いているのを見ていたら、こう、何というか、我慢できなくてなぁ」
我慢できなくて、飛び出して行けるところがすごい。飛び出して行って、あれだけの大衆を前にして、言うことを聞かせられるだけの影響力が、この人にはあるのだ。改めて、師匠はすごい人なんだなと思う。
「スティーブンさんは、姫さまとはお知り合いなんですか?」
ライラが聞いた。師匠との距離が近い。たぶん、すごく気に入られたのだろう。なにしろスティーブンさんは巨乳好きだから。
「知り合いも何も、あの子が生まれた時から知っているからなあ。生まれた日には、お城までお祝いに行ったんだよ。カインもそうだったから」
スティーブンさんはベンチにゆっくりと腰掛け直した。ニーナは膝の上から飛び降りると、こちらへとやってくる。今回は俺たちを警戒していない。ハーディーの前に立つと「抱っこ」と言って両手を広げた。ハーディーはうれしそうにニコッと笑って、軽々とニーナを抱き上げた。
「ああ、そうか。カインは同じパーティーのメンバーの息子さんなんですよね」
ライラが聞くと、スティーブンさんは懐かしそうに目を細めた。
「そうそう。ルーカスのな」
ルーカスとは、ザ・レジェンズの剣士だった人だ。スティーブンさんとタイタン、そして修道女のソフィアという人とパーティーを組み、世界中を旅して回った。その冒険は『世界の歩き方』にまとめられ、現在も多くの冒険者が参考にしている。ルーカスはめちゃくちゃ腕の立つ人で、多くの魔族を討ち倒して英雄に認定され、女王の夫、つまり王様になった。しかし、若くして病に倒れて、この世を去った。女王との間に一人だけ子供がいて、それがカインだ。
で、そのルーカスさんが亡くなった後、女王が2人目の夫に迎えたフェリペとの間に生んだのが、マリシャ。スティーブンさんから見れば、かつての仕事仲間の息子と半分、血の繋がった妹がマリシャということになる。
「カインが今、こんなふうに国民を引っ張っているのを見ると、感慨深いものがあるんじゃないですか?」
ライラは随分とスティーブンさんと親しげに話している。確か、ニーナを預けに行った時が初対面だったはずだが。
「そうだなぁ。ルーカスが生きていれば、今頃、あいつがカインがやっていることをやっていただろうからねぇ」
ズボンを引っ張られたので振り向くと、ニーナがそばに来ていた。「くーちゃん、くーちゃん」と笑顔で話しかけてくる。また少し背が伸びたのではないか? ニコニコと笑いながら体をすり寄せてくるので、少し戸惑いつつもハグしてやった。ニーナは俺の胸に顔を埋めると、目を閉じた。
「そりゃそうと、クリスとハーディーさんはメシは食ったのか?」
スティーブンさんは、お決まりの質問をしてきた。さっきライラがお昼をごちそうになったと言っていたが、ごちそうするほど食糧があるのか? それとも盗賊王ならではの入手ルートがあるのだろうか。いずれにせよ、さっきニュウニュウの山小屋で腹一杯食わせてもらった後なので、丁重に断ろうとした、まさにその時だった。
「くーちゃん、キース、大丈夫?」
ニーナが俺の顔を見上げて聞いてきた。
「え?」
ニーナの口から予想もしない名前が出て、びっくりする。今、キースって言ったのか? キースって言えば、あのキースだろう? なぜ、ニーナがキースのことを知っているんだ?
「ニーナ、何だって?」
聞き直すと「キース、キースだよ」と目を丸くして、はっきりと「キース」と言う。これは聞き間違いではない。
「え……。キースは、大丈夫……だと思うよ。王都で別れてから、会ってないけど」
「キースって誰?」
ライラが割り込んでくる。が、説明は後だ。そんなことより、なぜニーナが知っているのか。
「ニーナ、どうしてキースのことを知っているの?」
俺はニーナの前にしゃがみ込んだ。ニーナは指を口に当てて「うーん?」と考え込んでから「なんで? どうして?」と言った。自分でもよくわからないらしい。
「なんだ。キースって知り合いなのか」
スティーブンさんが身を乗り出して聞いてきた。
「はい。王都の地下牢で助けた獣人がいたでしょう。あいつがキースですよ」
「ほう」
驚いた顔をして、ベンチにもたれかかる。
「えっ、そうなの? なんでそんな人のことを、ニーナが知っているの?」
ライラはニーナに聞いた。ニーナは困った顔をして「うーん? なんでだろう?」とつぶやいている。
「クリス、お前、たぶん、またあのウルヴェンに会うぞ」
スティーブンさんはベンチの背にもたれたまま言った。
「え。どうしてですか?」
みんなに問い詰められて困っているニーナを、ハーディーが抱き上げた。『どうしてでちょうね〜。不思議でちゅね〜』と言いながらあやしている。ちょっと待て。いつもの『ござる』はどこへ消えたんだよ!
「ニーナには不思議な力があるんだよ。俺が思うに、予知能力だ」
スティーブンさんは視線だけギョロッと俺の方に向けた。
「ニーナは先に起こることがわかる。今回、盗賊ギルドはニーナの言う通りに、ひと足早く王都を逃げ出した。おかげで一人も脱落者はいない」
大きな手のひらで顔を覆う。フーッと息を吐いた。そういえばスティーブンさんが俺とハーディーを助けに来たのは、ニーナに教えられたからだ。今にして思い返せば俺とハーディーが城に戻る前、ニーナはぐずって俺たちを行かせようとしなかった。
「ニーナ、未来のことがわかるの?」
ハーディーに抱きかかえられた背中を撫でで、聞いてみる。ニーナは俺の方に顔を向けると「みらい?」と不思議そうな顔をした。
「これからキャルダモナってところまで行くんだけど、無事に帰って来られるかな?」
半信半疑だったが、占いみたいなものだろうと思って聞いてみた。ニーナは俺の顔をじっと見てから「きゃるだもな!」と言った。
ダメだ、こりゃ。苦笑いしてしまう。
「何だ、タイタンのところに行くのか」
スティーブンさんが聞いてきた。真面目な顔をしているが、いつの間にかライラの肩に手を回している。ちょっと待て。いくら俺の師匠とはいえ、許さないぞ。言わないけど。
「はい。援軍要請してこいって」
ライラが嫌そうな顔をしていないのが、またモヤモヤする。スティーブンさんは「ライラちゃんも行くの?」と聞いた。ライラはニコッと愛想よく笑うと「ハイ」と答える。スティーブンさんは露骨に嫌そうな顔をして「えーっ」と言った。
「おじさんと一緒に、ヴァジリに行こうよぉ! キャルダモナなんて、魔術師しかいない寒〜い街だよ! おじさんと一緒なら、たとえ城塞都市とはいえ、惨めな思いはさせないよ!」
なぜ弟子の彼女を口説いているのか。いや、彼女じゃないけど。でも、これから彼女にするので、そういうことはやめてください。マジで。視線を感じて見ると、テイラーがものすごい勢いでニヤニヤして俺を見ていた。くそっ、何だこいつ! 面白がりやがって!
「お誘いはありがたいんですけど、私はクリスのパーティーの一員なので……。私が抜けたら、クリスが寂しいと思いますから……」
ライラは笑っているものの、口元を引きつらせながら断っている。
「いやいや! クリスは強〜い男に育てたから、ライラちゃんがいなくても大丈夫だよ! それよりも、おじさんの介護役がほしいな。ライラちゃんみたいに美人で包容力がありそうな女性がいいな〜んンッ!」
スティーブンさんはライラに向かってキメ顔をしながら、本格的に口説き出した。こうやってこれまで数多の女性を落としてきたのだ。盗賊界のドンファンとか歩く媚薬とか、本人には聞かせられない、いろいろな二つ名を付けられている。
「いやいやいやいや! スティーブンさんには介護役なんてあと100年くらい、いらないでしょ! それに私、包容力ないし!」
ライラはスティーブンさんの手を優しく振り解くと、立ち上がった。おお、意外だな。わが師匠の誘惑をはねつけるとは。まあ、以前からお堅い女だとは思っていたけど、この世でおそらく筆頭格の色男を袖にするなんて、なかなか大したものだぞ。
「そういうわけで、ごちそうさまでした! テイラー、クリス、行くわよ!」
ライラはまだ何か言いかけているスティーブンさんを振り切って、ものすごいスピードで歩き出した。テイラーがそれをあわてて追いかけていく。少しフラフラしているが、大丈夫なのか?
「すみません、師匠。また来ます」
申し訳なかったり、ちょっとざまあみろという気持ちもあったり。複雑な思いで頭を下げて、チラッと師匠の顔を見る。スティーブンさんはベンチに悠然と腰掛けて、苦笑いしていた。
「フラれたぞ、クリス。お前の女に」
面白そうに、クックックと声を殺して笑っている。それを見ていると、俺まで何だかおかしくて仕方がない気持ちになった。
「はい。俺の女です」
ニヤニヤしながら、胸を張る。
「大事にしろよ」
スティーブンさんはベンチから立ち上がると、ポンと俺の肩に手を置いた。




