新たなクエスト
椅子から転げ落ちて、顔面から木の床に突っ込む。これまで何度かライラにビンタされたことはあったが、今回の威力は半端ではなかった。血液が変成して、やはり魔族になってしまったのか。首がもげそうだ。懸命に受け身を取りながら、そんなことを考えた。
「大丈夫?!」
最初に声を上げたのは、シャインだった。椅子から腰を浮かせて驚いている。そりゃそうだろう。ビンタ一発で、小柄とはいえ男が吹っ飛んだのだから。普通ならあり得ない。頭がクラクラする。受け流してこれか。まともに食らっていれば、気絶していただろう。
「えっ? 大丈夫? クリス!」
一瞬、唖然としたライラだったが、すぐに自分のビンタが思った以上の破壊力を生み出したことに驚いて、駆け寄ってきた。四つん這いになって起き上がろうとする俺の肩に手を置いて、顔をのぞき込んでくる。珍しく優しい。たまにこういうことをしてくれるから、やめられないのだ。
「ああ、大丈夫、大丈夫」
ほほの痛みよりも、脳に浸透したダメージの方が大きい。まだふらふらするものの、これ以上、ライラに心配をかけまいと思って、懸命に返事をした。
おっぱいつかみは、やる時よりも、やった後の方が大事なのだ。きちんと「急に胸をつかんで済まなかった。君が冷静さを取り戻すためにやったんだよ」と説明しないと、ただの変態になってしまう。スティーブンさんから、何度も念押しされたことだった。
「ごめん、驚かせて。でも……」
「急に胸を触るからよ」
最後まで俺のセリフを言わせてほしい。それにしても、今日はかなりゴツいブラジャーをしているんだな。触った感触が硬い布だった。道理で揺れないなと思ったよ。
「痴話喧嘩は終わった? もう話していいかな?」
机の向こうで、エドワードが肘をついて腕を組んでいる。口調は穏やかで口元も笑っているのだが、目が笑っていない。俺とライラは改めて椅子に腰掛けた。よかった。とりあえずライラが落ち着いたぞ。おっぱいつかみの件は後で釈明するとして、ひとまず目的を果たせたので、よしとしよう。
「悪いけど、急いでいるんだ。クリス、キャルダモナに行ってきてほしい。これは王家から君に依頼するクエストだ」
エドワードはそこまでひと息で言った。
「ちょっと待って。どうして私たちがそんな依頼を受けないといけないの? あなた、自分がテイラーにどんなひどい仕打ちしたのか、わかってるの? 私たちがあなたのお願いを聞くと思ってる?」
俺が言いたかったことを、ライラが言った。またカッとしてエスカレートするのではないかと心配したが、思った以上に冷静だ。おっぱいつかみの効果、侮れないな。
「ライラ、君に話しているんじゃない。これはクリスへの依頼なんだ」
エドワードはバッサリとライラを拒否した。ライラはムッとしながらも、ひとまずは口を閉ざす。
「俺からも言わせてもらうけど、ここまでの仕打ちを思い返せば、そんな依頼を引き受ける義理はないと思うんだけどな」
やっと俺が話せたぞ。そうだ。テイラーを引きずり回され、ハーディーと一緒に投獄され、爪をはがされたのだ。そんなひどいことをしたやつの依頼を、なぜ受けなければならない? 普通なら断る。
「義理とかじゃないんだ、クリス。何か勘違いしているようだけど、君にはこのクエストを引き受けないという選択肢はないよ」
エドワードは俺をジロッとにらんだ。シャインが苦笑いして、椅子に腰掛け直す。
「どういうことだよ」
エドワードは俺の質問に、ピクリと眉を上げた。
「いいかい。まず、君は現在、脱獄囚という身分だ。万物の源を巡って、君はちょっとした国家反逆罪に問われている。本来ならここで再び拘束されて、牢屋に放り込まれてもおかしくない」
「うっ……」
言われてみれば、その通りだ。あまりに慌ただしくて、すっかり忘れていたけど。
「炎の神殿のクエストをクリアしたことで、そこそこの報酬をもらっていたと思うけど、資産や財産は全て凍結されている。つまり、君は今、無一文の脱獄囚なんだよ」
エドワードは指だけ動かして、俺を指差した。ぐうの音も出ない。
「だけど、今は緊急事態だ。キャルダモナに行くパーティーのリーダーが、ぜひ君をとリクエストしてきた。今回のクエストを達成できれば、ちょっとした国家反逆罪については目をつぶろう。だけど、これを断れば、本気の国家反逆罪に問われることになる。ちなみにハーディーも一緒だ」
そこまで話すと、エドワードは深いため息をついた。さっきからずっと肘をついたままで、姿勢が変わらない。さすがに疲れているのだろうか? おそらく俺と同じように昨夜、移動してきて、ほとんど寝てないだろう。
「パーティーのリーダー? ってことは、ミラキュラスとして仕事を引き受けるわけじゃないのか?」
「違う。君にはそのリーダーが編成したパーティーに加入してもらう」
「リーダーは誰?」
「ニュウニュウだ」
あぁ、なるほど。ニュウニュウがリーダーなのか。しかし、意外だな。一緒にパンゲアに行ったけど、そんなに俺は頼りになると思われたのだろうか。魔術師ギルドのトップならば、もっと優秀な盗賊を選んでもよさそうなものだが。いや、それにしても……。
「キャルダモナに何しに行くのさ」
大体、予想はつく。援軍の要請に行くのだろう。ここには修道士はたくさんいるが、彼や彼女らは回復魔法や防御魔法は得意でも、攻撃魔法は少ししか使えない。それに長けた者と言えば、やはり魔術師だ。
「クリス、ここからは私が話そう」
シャインが俺の方に体を向けた。エドワードは組んでいた手にガックリと顔を埋める。かなりしんどそうに見えた。そのまま眠ってしまいそうな雰囲気だ。
「知っての通り、女王陛下と陛下が亡くなった。急なことだが、マリシャが女王としてイースのトップに立つことになる」
少し沈痛な顔をする。そりゃそうだろう。死別による即位なのだ。幸せなことではない。
「そして、これも見てもらった通り、ここに逃げてきている国民の多くは、不安でいっぱいだ。これからどうなるのだろう。自分たちも魔族に食われて死ぬのではないか。みんなそう思っている。真っ先にやらなければいけないのは、その不安を取り除くことだ」
シャインは指先で机をコツンと叩いた。
「なので、マリシャに今夜、演説をしてもらう。今こそ結束して、魔族の脅威に立ち向かおうという内容だ」
「そんな言葉、みんな信じると思う? この状況で」
ライラが口を挟んだ。その通りだ。みんな魔族に追われて、王都から命からがら逃げてきたのだ。あちらは肉体的にも人間より強靭で、なおかつ魔法を使う。こちらは脆弱で、魔力でも劣っている。勝ち目はない。シャインもそう思っているのか、フッと笑った。
「まあ、普通なら無理だ。だけど、カインが帰ってきた」
「え!」
ライラが驚きの声を上げる。カインって、マリシャ姫の側近の一人だよな。シャインと一緒に北限を探検した戦士。ヴァジリ防衛に参戦していたが、行方不明になっていた人。やたらと腕が立つともっぱらの評判だが……。
「カインはとんでもない方向音痴だけど、それにさえ目をつぶれば、優秀な軍人で指揮官でもある。カインが軍を率いれば、魔族軍ともそこそこいい勝負ができる。そこにキャルダモナの魔術師部隊が加わってくれれば、押し返せる可能性はあるよ」
シャインは膝に手を置いて、身を乗り出してきた。
「なるほど。で、俺たちにキャルダモナに行って、タイタンさんに『援軍を出してください』って頼んできてほしいってわけだな」
俺がそういうと、シャインは膝を叩いて「話が早いね〜」と笑った。
「そういうこと。まあ、交渉するのはニュウニュウだけどね。彼女とタイタンは先輩後輩の関係だから。タイタンは自分の利益にならないことはしない男だけど、そこはこちらも考えがある。緊急事態だからね。譲歩するところは譲歩するつもりだよ」
そうなのか。パンゲアでは一触即発になったけど、大丈夫なのだろうか。ライラを見ると俺と同じことを考えていたのか、そんなにうまくいくのか?という疑わしげな顔をしている。
「ニュウニュウが交渉するのなら、あいつがドラゴンになってひとっ飛びで行けばいいんじゃないの?」
そうだ。わざわざパーティーを組んで陸路を行く必要はないだろう。
「そりゃそうだけど、空は隠れるところがないからね。王都を制圧された直後でしょ? やつらが上空も警戒していたら、あっという間に見つかっちゃう」
シャインは指をくるくると動かしながら言って「あ、これは全部、ニュウニュウの受け売りだけどね」と笑った。なるほど。だから陸路なわけか。
「俺が俺以外のメンバーを連れて行ってもいいのか?」
エドワードに聞いた。ニュウニュウがどんなメンバーを集めているのか知らないが、ハーディー以上に頼りになる前衛を俺は知らない。可能ならばハーディーとコンビで行きたかった。エドワードは手に顔を埋めたまま、目を閉じている。眠ってしまったのだろうか。
「どうだろうね。ニュウニュウに聞いてみてオーケーだったらいいんじゃない?」
シャインが代わりに返事をした。
とりあえず、行くしかない。シャインによれば、ニュウニュウはヘイシュリグの郊外にある山小屋で待機しているらしい。自分が魔族なので、街に入ることを遠慮しているのだそうだ。「少し準備に時間がほしい」と言うと、シャインは快諾してくれた。
部屋を出る時も、エドワードは「うむ」とうなずいただけで、顔を上げなかった。シャインが俺たちを見送りにきてくれた。部屋を出てすぐに俺とライラを近くに呼び寄せると「許してやってね。あの子、今、お腹に穴が開いてるの」と言った。
「えっ、そうなんですか?」
「王都で槍で刺されてね。ここに到着した時には、内臓がはみ出していたんだよ。よくあんな状態で仕事するよね。私ならみんなに任せて寝ているけど」
呆れた顔をする。姿勢を変えなかったのは、そのせいか。動くと痛いのだ。ずっとしんどそうにしていたことにも、納得した。
「よほどお姫さまのことが好きなのね」
ライラがつぶやいた。シャインは眉を上げて、ニヤッと笑う。
「そう、それなのよ」
うれしそうに、ライラの胸元を指差した。
「えっ、なんのこと?」
話についていけずに、聞いた。ライラは一瞬、キョトンとした。
「あれ、知らないの? エドワードはマリシャ姫のことが好きなんだよ」
……。はぁ? 初耳だぞ!
なんだって、あの色恋沙汰には全く興味がなさそうな顔をしているエドワードに、好きな人がいるだって? しかも、相手は王女さまだと? 身分違いも甚だしい!
「え? え?」
戸惑っているうちに礼拝堂に出て、ハーディーと合流した。シャインは小走りに駆け寄るとハーディーの肩に手を置き、テイラーの髪を撫でた。
「ごめんね、ひどいことをして。大変だったでしょう?」
申し訳なさそうな顔をして、2人に頭を下げた。
『ああ、いや。シャイン殿に謝ってもらう必要はないのでござる』
「ハーディーさんには報酬を出さなきゃいけないのに、まだバタバタしていて、まとまっていなくて。ごめんなさいね」
手を合わせて、また頭を下げる。ハーディーはわかりやすく恐縮した。
と、その時、礼拝堂の入り口あたりでどよめきが上がった。「カイン様だ」「帰ってこられたぞ」と声がする。見ると、黒いプレートアーマーをつけた背の高い騎士が入ってくるところだった。後ろからお供らしき3人の騎士がついてくる。
「ああ、紹介しよう。彼がカインだ」
シャインが先頭の黒い騎士を指差した。




