秘技
「えっ、エドワードが? やだ」
背中を向けているので表情はわからない。だけど、速攻で断ったところを見ると、やはりライラは、エドワードがテイラーにした仕打ちを許せないのだろう。修道女は露骨に困った顔をした。
「いや、私はただの伝達係なので。私に断られても、困るんです」
こんな反応を予測していたのだろう。ウィンプルの端を指でいじりながら、修道女も即座に言い返した。
「今夜、マリシャさまが広場で演説をされるんです。エドワードさんは、その前にあなたたちに会いたいと」
小声だが、早口で一気にまくし立てた。伝えることを伝えて、とっととここから立ち去りたいという気持ちが口調に現れている。俺は立ち上がると、ライラのそばに行った。
「エドワードは会いたいのかもしれないけど、私たちは会いたくないの!」
「わかった。行くよ」
頑なに拒否するライラの肩に手を置いてそう返事をすると、修道女はホッとした顔をして「では、できるだけ早く、お願いします」と言って、逃げるように帰って行った。ライラが俺のことをにらんでいる。もういつものことなのでへっちゃらだ。というか、ライラは俺のことをにらんでいない時間の方が少ない。俺を見るたびに、にらんでいるような気がする。
「ちょっと! わかってるの?」
耳をつまもうとするので、サッと身を翻してかわした。
「わかってるさ。テイラーを道具みたいに使ったエドワードとは当分、会いたくないっていうんだろ」
つかみかかってくる手をすり抜けて、リビングへと戻る。ライラは諦めて、ドアを閉めてスタスタと後についてきた。
「そうよ。どうせまた『なにかやってくれ』っていうに決まっているわ。なぜいつも、あの子のいいなりにならなきゃいけないの? そんな義理、ないでしょ? あの子がテイラーにやったこと、ひどいと思ってないの?」
両手を広げて訴えてくる。
「思っているさ。だけど、エドワードはテイラーが死にそうになった時、逃げ出さずに命がけで蘇生してくれたんだ。その恩は返しておかないといけないだろ」
俺がいうと、ライラはグッと言葉に詰まった。
『確かにそうなのでござる。エドワード殿が使い倒したのはアフリート殿であって、テイラー殿ではないのでござる。その証拠に、ヴァジリでもテイラー殿の体調が悪くなったら、引き上げているのでござる』
ハーディーが同調した。少しいいように受け止めすぎているような気がしないでもないが、とりあえずうなずいておく。ライラは腕を組むと、呆れてため息をついた。
「あんたたちって、本当にお人好しね」
部屋に西日が差し込んできて、まぶしい。テイラーの様子を見に行くと、目を開けて俺のことを見ていた。
「ライラが行かなくても、俺とハーディーだけでも行く。その間、テイラーのことを見ていてくれないか?」
テイラーのほほを撫でる。テイラーはじっと俺の顔を見ていたが、声を出さずにニコッと笑った。
「ああ、もう! 行く。私も行くわよ」
ライラはムッとした顔をしながらも、床に放り出していたコートを取り上げた。
「いや、待ってくれ。ライラも行くとなれば、誰がテイラーを見ておくんだよ。一人にはできないぜ」
そうだ。意識が戻ったとはいえ、体調は万全ではない。それに、ここだっていつ戦場になるかわからないのだ。今、バラバラに行動するのは危険だ。
『では、拙者が見ておくのでござる』
ハーディーが手を上げた。
「でも、さっきの子、『あちらの方々』って言ってたよね。ハーディーも含まれているんじゃないの?」
ライラがコートを着ながら言った。
「じゃあ、ライラが残ったら?」
「いやだから、私たち3人に来いって言っているんじゃないの?」
……。
窓の外で、誰かが大声で話しながら移動している。マリシャ姫が今夜、演説をするので、みんな広場に集まれという内容を触れて回っているようだった。
『じゃあ、テイラー殿も連れて行けばいいのではござらぬか?』
ハーディーは立ち上がると、ベッドサイドへと歩み寄った。ライラもやってくる。大丈夫だろうか。テイラーはみんなにのぞき込まれて目をパチパチさせたが、ニヤッと笑うと「い……ぐぅ……」とうめいた。
『行くと言っているのでござる』
「さすがにそれくらいはわかるよ」
冷えないように毛布でくるみ、ハーディーがお姫さま抱っこした。最初、俺が背負って行くつもりだったのだが、ハーディーが『大丈夫、拙者が抱っこするのでござる』とヒョイと抱え上げてしまった。テイラーはハーディーの腕のなかでニヤニヤしている。
くっ。なんだ、この負けた感は?
別にハーディーと奪い合いをしているわけではないのだが、テイラーが抱っこされて幸せそうにしていると、モヤモヤした。俺の方が上手におんぶしてやれるんだぞ? 王都からここまでは、俺が抱っこして連れてきてやったんだからな。忘れんなよ?
アパートを出て、広場へ向かう。俺たちが到着した今朝に比べて、明らかに人の数が増えている。王都から逃げてきた人が一気に押し寄せたのだろう。路上は肩を寄せ合って座り込んでいる人でビッシリだった。修道士があちこちで毛布やパンを配っているが、難民がこの街のキャパシティを越えるのは時間の問題に思えた。
広場を通り抜けて修道院に入る。礼拝堂も人でいっぱいで、足の踏み場もないほどだった。ここは主にけが人や病人を収容していて、あちこちからうめき声が聞こえる。包帯だらけになっている人が椅子の上にも廊下にも、ゴロゴロと芋のように転がっていた。
「ハーディーはここで待ってて」
礼拝堂の片隅にハーディーが座れそうなスペースがあったので、そこを示す。ここまで連れて来ておいてなんだけど、やはりテイラーをエドワードに会わせたくなかった。いかに命を助けてくれたとはいえ、それまで自分を酷使した人には会いたくないはずだ。
ライラと2人で2階のエドワードの仕事部屋に行くと、ドアが開いていた。忙しげに修道士が出たり入ったりしている。軽くノックしてのぞき込むと、机を挟んでエドワードとシャインが座っていた。その周囲にサポートらしき数人の修道士がいる。
「ああ、よく来てくれたね」
エドワードは何か修道士に話しかけていたが、中断してこっちを向いた。うわっ、なんだ。ボロボロじゃないか。エドワードは頭にも首にも包帯を巻いている。右目の上には分厚いガーゼが貼られていた。シャツの裾からのぞいている左手も、包帯でぐるぐる巻きだ。
「いい気味だわ。ちょっとは痛いということの意味がわかった?」
ライラはツカツカと歩み寄ると、腕を組んで、怖い目つきでエドワードを見下ろした。シャインが苦笑いしながら、椅子を勧める。エドワードはライラの言葉を完全に無視して「ちょっと外してくれ」と修道士たちを追い出した。ドアは開きっぱなしなものの、室内には俺とライラ、エドワードとシャインだけになった。
「生きててよかった」
シャインが俺に優しく微笑みかける。
「ああ、もう爪をはがされた時は、死ぬかと思ったけどな」
思い切り皮肉を込めて言ってやった。エドワードを見ると、アハハと苦笑いしている。ライラは明らかにムッとした。
「テイラーをあんな危ない目に合わせたこと、絶対に許さないんだから」
身を乗り出して、エドワードに食ってかかった。それを「まあまあ」と押しとどめる。
「恨みつらみはいろいろあると思うけど、その話をするのは後にしよう」
エドワードは両手を広げると、ケロッとした顔で言った。ライラが「この……!」と怒りの形相で飛びかかろうとするので、抱きついて懸命に止めた。
「今は緊急事態なんだ。使えるものはなんでも使いたいし、できる人にやれることをやってほしいんだ」
エドワードは全く表情を変えずに言った。こいつ、よく平気な顔をしてそんなことが言えるよな。そう言ってアフリートを回収しに行って、テイラーを駆り出して、その結果がこれだぞ? 次は死ぬぞ。隣でわかりやすくライラが激昂したのがわかった。顔を真っ赤にして、椅子を蹴立てて立ち上がった。
「ライラ!」
「何よ! ぎゃっ!!」
俺は左手を伸ばすと、ライラのおっぱいをぎゅっとつかんだ。そう。頭に血が上った女性に冷静さを取り戻させる秘技。スティーブンさんにこっそり教えてもらった〝おっぱいつかみ〟。大概の女性は、これで急に覚める。覚めるというか、怒りの矛先が変わるのだ。
バチィン!
思った通り全力のビンタが飛んできた。
クリス、この秘技を使うときは、必ずその後にビンタが飛んでくる。だから、それに備えるのだ。おっぱいをつかむことに全集中してはいけない。飛んでくるビンタを上手に受け止めることに、集中するんだ。本番はそこだ。
「師匠、ビンタを避けてはいけないのですか?」
これを教えてもらった時、俺はスティーブンさんに聞いた。ビンタを避ければ、何一つ失うことなく、おっぱいに触れるではないか。
「ダメだ」
スティーブンさんは静かに微笑みながら、首を横に振った。
「甘んじてビンタを受けるのだ。女の持て余す怒りを全身で受け止めてこそ、紳士の中の紳士だぞ、クリス」
ライラの右の手のひらが、俺の右のほほへと飛んでくる。思った以上に速いっ! しかし、受け止められる! 俺がライラのことをどれだけ好きか、ここで証明してやる! 全力で集中したおかげで、スローモーションのように、手のひらがほほに当たるところが見える。受け止めた瞬間、顔を右に振って衝撃を受け流す。それでも、徹夜で王都からヘイシュリグまで走ったライラのパワーは半端ではなかった。脳みそが揺れる。目の前がグラグラと揺れながら、俺は自分の体が吹っ飛ぶのを感じた。




