ライラの部屋
テイラーを背負って外に出ると、夜が明けかけていた。空がうっすらと紫色に変わりつつある。ライラの後をついて広場を横切っていたら、見慣れた大きな人影を見つけた。
「おーい、ハーディー!」
広場の中央に噴水がある。その淵に腰掛けていたハーディーは、すぐに俺たちに気がついて、人混みをかき分けてやってきた。
『いやいや、無事でよかったのでござる』
ハーディーは大きなけがこそなさそうだったが、ボロボロだった。いつの間にかプレートアーマーは脱ぎ捨てていて、シャツの右腕が引きちぎれてなかった。ズボンも右足は引き裂けて、膝がしらが見えている。あちこちに返り血を浴びていた。
「ハーディーこそ。もしかして、マリシャ王女と一緒にここまで逃げてきたのか?」
ハーディーはうなずきながら、俺が背負ったテイラーに視線を落とす。顔を寄せて、背中に優しく触れた。俺の質問には答えずに『テイラー殿は大丈夫でござるか?』と聞いた。
「たぶん大丈夫だ。まだ意識は取り戻していないけど、ちゃんと生きている」
俺が答えると、ハーディーはホッとした顔をした。いや、仮面を着けているので……以下略。
ライラの部屋は修道院から少し離れたところにあるアパートの3階だった。ハーディーは道中で、マリシャを抱えてヘイシュリグまで走った話をしてくれた。途中から幸運なことにシャインと合流できて、姫さまは無事に修道院にたどり着いたらしい。目の前で父親と母親を一気に失ったショックで、呆然としていたそうだ。ハーディーはシャインに「お礼がしたいので、待っててくれ」と言われて修道院の礼拝堂で待機していたのだが、いつまで経ってもシャインが戻ってこないので、外の空気を吸おうと広場に出たところで俺と再会した。
「シャインが探しているんじゃないの?」
すっぽかしてきていいのか。
『いや、あのマリシャ殿の感じでは、しばらくは手が離せないのでござる。シャイン殿とは知らない仲ではござらぬし、お礼はまたの機会でいいのでござる』
アパートの狭い階段を登りながら、ハーディーは悠長なことを言った。
「ここよ。狭いけど、入って」
ライラが招き入れてくれた部屋は、確かに4人で入るには手狭ではあったが、掃除が行き届いていて、いかにもライラらしい小綺麗な部屋だった。ドアを開けてすぐ左手にはトイレとシャワー室があり、右手がクローゼット。そこを通り抜けると、左手はキッチンだ。その向こうはすぐリビングで、大きな窓の下にベッドがある。いかにも若い女の子が好きそうな、薄い緑色のシーツがかかっていた。
テイラーをベッドに寝かせると、フワッと森のなかのようないい香りが広がった。ライラが使っているフレグランスだろうか? 俺も一緒にベッドに埋もれたくなる。
「クリス、いつまで女子のベッドの上でダラダラしないで」
気がつけばテイラーに添い寝していた。ライラが怖い顔をしてにらんでいる。
「ああ、ごめん、ごめん」
あわててベッドから飛び降りた。
俺とハーディーは先にシャワーを使わせてもらった。ライラが「クリス、どうぞ最初に使って」というので、ありがたく真っ先に入った。冷たい夜風の中を走ってきたのであまり意識しなかったが、服を脱いでみると肌はベトベトだった。思った以上に汗をかいたのだろう。シャワーはなかなか温かくならない。いつまで経っても凍えるような冷たい水しか出てこなかった。
「ライラ、このシャワー、温水は出ないの?」
ドアを開けて、バスタオルで前を隠しながら聞く。ライラがやってきて「運がよければ出るわ。そんなことより、水を無駄遣いしないで」とジトッとした目で俺をにらんだ。
俺は身を切るような冷水で体を洗った。出る頃になって、ようやく水が温もってきたような気がした。ハーディーが使った時には温水が出たようで、ホカホカした顔をしながら『いいお湯だったのでござる』と言いながら帰ってきた。もちろん、最後にライラが浴びた時にはホッカホカの温水だ。だって、出てきたライラのほほが、いい感じで上気していたんだもの。
……。
ライラは基本、外食派で、部屋にはろくな食料がなかった。袋の底に残っていたオートミールを3人で分けて食べた。量が少ないので、思い切りお湯で伸ばした。
「勘違いしてほしくないんだけど、私がテイラーにやっているあれ、キスじゃないんだからね」
オートミールをすすりながら、ライラがやはりジトッとした目つきで言う。
「わかってるよ……。でも、あれ、何やってるの?」
もしかして、俺がテイラーにキスしようとしているところを、見られたのか?
「あれは治癒魔法を直接、体内に流し込んでいるの。普通は手をかざして送り込むものなんだけど、あれだけの大けがでは、そんなことしていたら間に合わないから。だから直接、口移しで」
ライラは自分の唇を指差しながら説明した。
『なるほど。それでものすごい魔力を使っていたのでござるな』
ハーディーがうなずく。
「そうそう。万物の源があって、本当によかったよ。あれがなかったら、私が倒れちゃっていたかもしれない」
食事を終えて口をゆすぐと、ライラが毛布を貸してくれたので、少し眠った。ライラはテイラーと添い寝。俺とハーディーは床だ。
ああ、助かった。とりあえず一命は取り留めた。そして、仲間は誰も死んでいない。少なくともミラキュラスのメンバーは今、みんなここにいる。その安心感で、俺はぐっすりと眠った。
◇
「大丈夫。しゃべらなくていいよ。ちゃんとわかるからね。うん、大丈夫」
ライラが誰かに話しかけている声で、目が覚めた。背中が猛烈に痛い。昨夜、徹夜でチョコの手綱を握っていたせいだろうか。痛む体を動かして声の方を見ると、ライラがベッドに腰掛けてテイラーに話しかけていた。ハーディーも枕元にいる。
『無事でよかったのでござる』
ハーディーは手を伸ばしてテイラーの髪を撫でていた。いやいや、そうじゃない。テイラーが目覚めたのなら、俺も起こしてくれよ。毛布をはねのけて立ち上がると、顔をこすりながらベッドサイドへ向かった。
『クリス殿、おはようなのでござる』
「もうおはようって時間じゃないけどね」
2人が笑顔で話しかけてくる。窓の外を見ると、日が傾きかけていた。もう午後の遅い時間なのだろう。ベッドのテイラーは、目を開けていた。いつの間にかアフリートのドレスから、地味なベージュのパジャマに着替えさせてもらっている。2、3度瞬きをして、俺にニコッと微笑みかけた。
「く……くぃす」
声が出ていないし、舌も回っていない。首を切られたせいだろうか。それでも一生懸命、俺の名前を呼ぼうとしたテイラーが愛おしかった。
「首を切られたせいで、うまく話せないみたいなの。でも、傷口がしっかり治れば、また普通に話せるようになると思うよ」
ライラは子供をあやすように、テイラーの胸をポンポンと叩く。テイラーはライラを見て、ニコニコと微笑んだ。よかった。笑っている。ちゃんと意識が戻っている。改めてホッとした。
「あ……あ……あぐっ」
テイラーは俺に向かって何か話そうとしているが、うまく声が出ない。苦しそうに口をパクパクさせて、ムッとした顔をした。
「ああ、いいよ、テイラー。話ならまた後で聞くから。無理にしゃべるな。傷口が開いたら困るだろ」
そっと頭を撫でてやる。テイラーは不満そうではあったが、こくりとうなずいた。
「さて、これからどうしよう……」
俺は誰とはなしにつぶやいて、ハーディーとライラを見回した。2人ともなぜか俺のことをジッと見ている。
『とりあえず、テイラー殿をゆっくりと療養させられるところへ移動させるのが、最優先ではないでござろうか』
ハーディーが言った。
「そうね。おそらく追撃して来ることはないと思うけど、ここはイースのすぐそばだから。魔族だらけの街の隣では、安心してテイラーを療養させられないわ」
ライラが同調する。
俺はまだ寝起きて頭がぼんやりしていた。だが、言われてみればそうだ。ミラキュラスとして今、一番やらなければいけないことは、テイラーを十分に回復させることであり、そのためには安全な場所に移動させなければならない。だが、どこへ? 最も守りが堅いと思われた王都は、おそらくすでに陥落している。ヘイシュリグは学研都市なので、城壁とか砦とかいう防衛機能はほとんどない。いつまでもここにいるわけにはいかない。防衛機能を備えた最も近い街は、ヴァジリだ。
「では、ヴァジリに行くか?」
俺がそう言うと、2人ともうなずいた。
ヴァジリか。2度ほどしか行ったことがない。イースの東のはずれにあり、山肌に沿って作られたほぼ要塞といっていい街だ。東からの魔族の侵入に対抗するために、城塞都市として作られた。ここを越えるとすでにイースではなく、東方という、ほとんど人が住まない荒れた山地になる。
『これは拙者の案なのでござるが』
ハーディーが口を開いた。
『ヴァジリも越えて、どこか東方の山の中に隠れた方がいいと思うのでござる。何もない地域ゆえ、魔族も追って来ないと思うのでござる』
「ハーディーは東方に行ったことがあるの?」
俺はない。俺の冒険の東端はヴァジリだ。そこを越えれば、荒れた山しかないと言われていた。実際に『世界の歩き方』にも〝水や食料を確保するのに苦労する荒地〟と紹介されている。
『いや、なのでござる。申し訳ないけど、聞いた話でござる』
ハーディーは頭をかいた。
「でも、私もどうせ逃げるなら、東方まで行ききった方がいいと思うわ」
ライラはテイラーの横に肘をついて添い寝した。テイラーの顔にむにゅっとおっぱいが接触する。テイラーはわかりやすくニヤニヤと笑うと、さらに顔をこすりつけた。くそっ、どさくさにまぎれていいことしやがって。
違う。そんな話をしていたんじゃない。
「そういえば、他の人は無事だったの? エドワードは大丈夫だったのかな?」
ふと思い出して聞いてみた。
「ああ、うん。無事だと思うよ。実はクリスが寝ている間に、ちょっと外に様子を見に行っていたんだ。修道院で見かけたよ。話はしなかったけど……」
ライラは気まずそうに目を伏せた。まあ、そりゃ気まずいよな。テイラーを引きずり回して命の危機に晒したのは、他ならぬエドワードなのだから。
「それより、スティーブンさんたちに会ったよ。ニーナにも会えた。黒猫亭という宿舎にいるよ。会いに行ってみれば?」
ライラは起き上がると、強引に話を逸らした。エドワードの話をしたくないのが、丸見えだ。まあ、確かにそうかもな。やっとテイラーを取り戻してホッとしている時に、あいつのことを思い出すのは、あまりいい気分ではない。ただ、俺はシンプルに友達として、エドワードが無事なのか気になった。だって、王都で最後に見たときには、リンチの一番近くにいたんだぞ。全く無傷というわけにはいかないだろう。
その時、トントンとドアを叩く音がした。ライラとハーディーと顔を見合わせる。ライラはコクッとうなずくと、立ち上がってドアの方へと歩いて行った。背後から見守る。ドアを開けると、そこにいたのは若い修道女だった。ライラと同じくらいの年頃か。
「あ、ライラ先輩。お疲れさまです」
職場の知り合いなのか、その子はライラのことを「先輩」と呼んだ。
「どうしたの?」
「あのう、実は……」
修道女はライラを通り越して、チラリと俺たちの方に視線を投げかけた。
「エドワードさんが、呼んでおられます。そのぅ、あちらの方々も一緒に、と」
その子は俺とハーディーを指差した。




