将軍リンチ
走るたびに背中でテイラーが揺れる。大丈夫なのか? 勢いで首が取れてしまわないかな?と気になって仕方がない。
城内はあちこちから火の手が上がっていた。敵は北西から攻めてきていたので、正門がある南側へ行けば攻撃の手は及んでいないと思っていたが、どうやらそうではないらしい。逃げている途中で次々に庭に侵入した魔族と鉢合わせして、その度にライラが鞭を振り回して追い払って、なんとか正門前の広場までたどり着いた。
「なんだ、こりゃあ……」
絶句した。城の南側は正門があり、その前は広場になっていて、普段は市民の憩いの場となっている。だが、すでにここも戦場だった。悪魔はもちろんオークやゴブリン、獣人もいる。人間と入り乱れて、白兵戦の真っ只中だった。エドワードも、ここまで来れば一段落できると思っていたのだろう。しかし、あまりにも予測と違う光景が広がっていて、立ち尽くしている。
「エド、街を出よう。ここは終わりよ」
ライラはエドワードの肩をつかんで揺さぶった。エドワードは呆然として、返事をしない。ライラの言う通りだ。ここは見ての通り、もう戦場だ。負傷者を連れた俺たちが、いつまでもいていいところではない。
「クリス」
ライラはチラッと俺に目配せした。その視線が〝行くわよ〟と告げている。俺はうなずいた。
『クリス殿!』
ハーディーが追いついてきた。返り血を多少、浴びてはいるが、本人は無傷のようだ。
「ハーディー、馬を確保したい。街を脱出しつつ、どこかで馬を拾おう」
俺はテイラーを背負い直した。
『承知。馬探しは任せてほしいのでござる』
ハーディーはうなずく。俺もうなずき返して、さあ行くぞと足を踏み出した、その時だった。
「止まれえっ、人間ども!」
よく通る声が、広場に響いた。正門の方だ。正門は広場から階段を数段、上がったところにあり、その階段の上に数人の悪魔が立っていた。
「止まれぇ!」
もう一度、声を上げた。話しているのは中央にいる悪魔だ。パッと見た感じは黒毛に銀の差し毛がある山羊の姿をしているが、目の周囲や首筋に鱗が露出している部分があって、ドラゴンの親戚に見えなくもない。こんなタイプの悪魔もいるんだな。初めて見たぞ。そいつは魔法で声を大きくしているのか、ものすごくよく通る声でもう一度、「戦闘、止めぇ!」と叫んだ。広場にいた魔族も人間も、何事かと一時、手を止めた。
ようやく注目を集めたその悪魔は、正門の上にある櫓にチラリと目を向けた。それを待っていたかのように、ブランと何かが吊り下げられた。
「あれは……!」
エドワードが息を飲んだ。ぶら下がったのは、人間だった。首を縄でくくられている。その首からおびただしい血が流れているのを見るに、もはや生きてはいないだろう。だが、戦慄したのは殺された人間が吊られたからではない。その人物が、俺でもよく知っている人だったからだ。
王さまじゃないか……!
栗色のウェーブがかかった髪に、同じ色の口髭。がっしりと幅広い肩。あれはイースのフェリペ国王だ。殺されて土気色の顔をしているが、端正な横顔は見間違えようがない。俺と同じように、広場にいた多くの人間が気づいて、ざわざわとざわめきが起こった。
「お父さま!」
よく見ると、悪魔たちの足元に何人か囚われている人間がいた。後ろ手に縛られて、ひざまずかされている。あっ、あの悪魔のすぐ隣にいるのは、マリシャ王女ではないか。その隣は女王さまだ。女王さまの向こうにいるのは、背格好からして大司教アダマスだろう。
「人間どもよ、よく聞け!」
さっきからしゃべっている悪魔が、両腕を広げた。どうやらこいつが今回の魔族軍のリーダーらしい。紺色の豪華な詰襟の上着に、同じ色のトラウザーを履いている。足元はよく磨かれた黒い皮のブーツだ。腰にサーベルを差していて、その柄も鞘もピカピカだった。着ているもの、身につけているものに高級感が漂っていて、明らかにこの集団では身分が高いことがわかる。
「我輩は魔族軍の将軍、リンチである!」
拳を握って名乗った。
「よくも我々の敬愛するアフリートさまを使って、こんな酷いことをやってくれたものだな! 我々はここに、アフリートさまと尊い魔族の宝を取り戻すためにやってきた!」
リンチはそういうと「ちょっと集まってこい」と広場にいる魔族と人間を手招きした。魔族はぞろぞろと正門に向かって歩き始めたが、人間は互いに顔を見合わせて動こうとしない。そりゃそうだ。なぜ悪魔の言うことを聞かなきゃいけないんだ。と思っていたら、リンチが「人間どもをここに集めろ!」と階段の下を指差して叫んだ。魔族たちは剣や魔道砲を突きつけて、人間を正門の前に集める。俺たちも悪魔に急かされて、リンチの近くへと移動した。
「さあ、アフリートさまと尊い宝はどこだ! すぐに出せ! 出さないとああなるぞ!」
リンチは櫓に吊るしたフェリペ国王を指差した。そしてアダマスの襟首をつかんで、前へと引きずり出す。アダマスは「た、助けてくれ……」と消え入りそうな声を出し、顔を上げた。
アダマスは両目をくり抜かれていた。頬骨のあたりが血で濡れている。大司教は見えなくなった目で、リンチの方を見た。
「さもなくば、こうだ!」
リンチはアダマスの両目に人差し指と中指を突っ込んで、グイと持ち上げた。アダマスは「キィーッ!」と耳障りな悲鳴を上げた。ライラだけではなく、大勢の人間が思わず目を背ける。どうするんだ。アフリートはタイタンが持ち去ったので、出しようがない。尊い魔族の宝というのは、万物の源のことだろう。それはエドワードが持っている。だが、差し出したところで、この状況だ。生きて解放してくれるのか?
冷静に考えよう。いつかエドワードが言っていたな。自分が悪魔だったらどうするか。リンチならどうする? アフリートと万物の源を回収しに来て、思わぬ反撃を食らった。とりあえず敵の本拠地を制圧して、1つだけでも目的のものを手に入れた。だが、もう1つがない。見つけ出すまで、ここを解放するわけにはいかない。
と、なるだろう。どっちみち、俺たちはここで殺されるか、拘束されるかのどっちかだ。
ならば、どうする? 俺は周囲を見回した。魔族軍に取り囲まれている。こっそり逃げ出すのは難しい。混乱に乗じて突破するのが、最も現実的に思えた。混乱か。どうやって混乱を起こす?
どうするんだ、エドワード。チラッと見ると、まだ呆然と立ち尽くしている。リンチはアダマスを乱暴に放り投げて、サーベルを抜いた。
「出さなければ、一人ずつ殺す!」
言うや否や、振り向いて女王の喉元にサーベルを突き刺した。
「お母さま!」
マリシャの絶叫が響き渡る。女王は目を見開いて歯を食いしばったが、すぐに白目をむくと、顔面から地面に突っ伏した。マリシャが駆け寄ろうとするのを、悪魔たちが押さえつける。
「いやぁ! お母さま!!」
「吊るせ」
リンチが指示すると、周囲に控えていた魔族が女王の死体を櫓へと持っていった。しばらくすると、国王の死体の隣に、女王の亡骸もブランとぶら下がった。
「あ〜……。我輩はせっかちでな。待っていられない。次はこの小娘を殺す」
リンチは複数の魔族によって、地面に押さえつけられているマリシャの後頭部に、サーベルの先を向けた。
「待て!」
間髪を入れずに声を上げたのは、エドワードだった。瞳が生気を取り戻している。エドワードはマントの内ポケットに手を突っ込むと、万物の源を取り出した。手のひらに乗せて、リンチに見えるように差し出す。
「お前たちが探しているのは、これだろう?」
声が怒りで震えている。それを必死に押し殺しているのが、隣にいてよくわかった。リンチはエドワードを見ると、ニヤリと笑った。
「おお、そうだ。そこにあったか。尊い宝よ」
スッと手を差し出すと「さあ、ここまで持ってこい」と言う。エドワードはごくりと唾を飲み込むと、ゆっくりとかぶりを振った。
「その女性と交換だ。先に女性を解放しろ」
エドワードは声のトーンを落とした。それを聞いたリンチは、スッと目を細めて、不愉快そうな顔をした。
「何? 人間風情が、悪魔と取引しようと言うのか?」
「人間風情かどうかなんて、関係ない。これがほしいんだろう? 使い方を知っているぞ。その女性を解放しなければ、この場で人間も魔族も関係なしに吸い込んでやる」
エドワードも口角を上げて、ニヤリと笑った。凶暴な顔だ。こいつ、こんな顔ができるのか。そりゃ、友人の俺の爪もはぐわな。確かにその手はアリかもしれない。万物の源を悪魔の手に返すくらいなら、ここで全部吸い込んで、人間も魔族も滅んでしまった方が、マシかもしれない。
いやいや、やっぱりそれはやめて。勘弁して。俺はまだ死にたくない。少なくともテイラーの意識が戻るまでは。
「どうだ?」
リンチがすぐに返事をしなかったので、エドワードは万物の源を掲げたまま、ずいっと一歩踏み出した。俺の斜め前に来る。どうするつもりなんだ、エドワード。みんな吸い込むなんて、ブラフなんだろう? 何を考えている? 俺はどうすればいい?
「ハッハッハッ……」
リンチはサーベルをくるくると回すと、胸を張って笑い出した。
「悪魔相手に脅しをかけるとは、肝が座っているのか、それともただの馬鹿なのか。どっちだろうな。なあ、人間よ」
リンチはサーベルを仕舞った。そしてマリシャの首をつかむと、猫のように軽々と持ち上げた。
「返してやろう、人間。その代わり、変な真似をすれば、即座にお前たちを殺す!」
エドワードはチラッとハーディーに目配せした。そして俺の方を振り返ると、小声で「すぐに逃げて」とだけ言い残して、ハーディーを連れて歩き出した。2人は人の輪をかき分けて、階段の下まで歩み寄る。
「エドワードだ」
エドワードは名乗った。リンチはフンと鼻を鳴らすと「人間の名前など、覚える価値もない」と言いながら、マリシャをエドワードに向かって投げ捨てた。マリシャは後ろ手に縛られたまま、ゴロゴロと階段を転がり落ちる。ハーディーはそれを受け止めると、すぐに人の輪の中へと後退した。
「さあ、よこせ」
リンチは手を差し出す。エドワードは万物の源をポンと投げた。黒い球体はリンチまで届かずに、階段の半ばあたりに落ちた。
「みんな、逃げろ!」
エドワードが振り向いて絶叫した。それを合図に、俺たちは一斉に四方八方へと逃げ出した。
「ライラ、ついて来て!」
俺はライラに声をかけて、広場を突っ切る。このコースを行けば、ハーディーと合流できるはずだ。大混乱になった。戦場離脱を図る人間と、それを逃すまいとする魔族があちこちでぶつかって、もう誰が味方で誰が敵なのか、わからないくらいごちゃごちゃになっている。
この時ほど、自分が小さくてよかったと思ったことはなかった。小さいから目立たない。大柄な人間や大きな魔族の脇の下をかいくぐって、目立たぬように逃げることができる。とはいえ、限界がある。何しろ取り囲んでいる魔族の数が多い。真っ直ぐ突っ切ったつもりだったのにハーディーと合流できていないし、気がつけば逃げ道もない。
「クリス、私が進路を作るから!」
ライラが鞭を抜いて、俺の前に出た。いやいや、待ってくれ。女の子にそんな危ないことをさせるわけにはいかない。そう言おうとした時、右手から「ヒヒーン!」と馬がいななく声が聞こえた。
この声は、まさか……!
目を上げると、群衆を突っ切って栗毛の馬が一頭、こちらに走ってくるところだった。ああ、お前は。お前はチョコじゃないか。
「チョコ!」
「ヒヒーン!」
チョコは周囲に詰めかけていた魔族を蹴散らすと、俺の前まで来て止まった。
「よく来てくれた、チョコ!」
チョコは鞍をつけていなかった。だが、今そんな贅沢は言っていられない。俺はライラに手伝ってもらって、テイラーをチョコに乗せた。そして、俺も乗る。
「さあ、ライラも」
手を差し伸べたが、ライラは首を横に振った。
「私は並走して、テイラーを守るから」
何言っているんだ。馬と並走するだって? 意味わかんねえ。わがまま言わずに一緒に乗れと言おうとした瞬間、ライラは自分の鞭でチョコの尻を叩いた。
「ヒヒーン!」
勢いでチョコは走り始める。
「うわあ、嘘だろ、ライラ!」
チョコの背中は予想以上に揺れた。ライラのことも心配だけど、まずはテイラーを守らないと。テイラーの首がまた落ちないように、俺は馬上でテイラーをしっかりと抱えた。
「眷属どもよ、人間を食っていいぞ! 宴の始まりだ!」
背後でリンチの声が響いた。気のせいか、喜びに震えているように聞こえた。




