お前も来い
思わぬ人物の登場に唖然とした。えっ、なんでこんなところに師匠が? 頭が真っ白になって、体が動かない。スティーブンさんはしゃがみ込むと、手にしていた短い金属の棒を使って簡単に牢屋の鍵を開けた。
「ボーッとするんじゃない。行くぞ」
俺に声をかけると、隣の牢屋の方へと早足で移動する。俺は鉄格子を押し開けて、牢屋の外に出た。すでにスティーブンさんはハーディーを助け出している。
「えっ、なんで師匠が……?」
ようやく声が出た。スティーブンさんは振り向くと、何食わぬ顔で「ニーナが教えてくれたんだ」と言った。
ちょっと待ってください。なぜ、そこでニーナが登場する? ニーナってあれですよね。俺たちが炎の神殿の集落で拾ってきた、獣人と人間のハーフの子のことでしょ。
「ニーナが? 師匠に? 俺たちのことを?」
はてなマークがいっぱい頭に浮かんでくる。スティーブンさんは小さく咳払いして「ここで詳しい話をしている暇はないんだが」と言いながらも、説明を始めた。
「ニーナが『ぱっぱ、おり、おり』と言って何度も俺の袖を引っ張るんだよ。最初は何を言っているのかわからなかったんだけど、城に出入りしている部下に探らせてみたら、お前とハーディーさんが捕まっているって言うじゃないか。それで俺がわざわざ自ら出張ってきたってわけよ」
親指を立てて、ウインクする。ああ、そうなんだ。いや、そうなんだじゃない。ではなぜ、スティーブンさんが自らこんなところまで来ているのか。信頼できる部下はいくらでもいる。誰かにやらせればいいのに。
「なんで師匠が自ら……」
歩き出そうとしていたスティーブンさんの背中に、声をかける。師匠は立ち止まると、少し焦った表情をしながらも、口を開いた。
「他の連中は、みんなヘイシュリグに避難させたんだよ。クリス、ゆっくりしゃべっている暇はない。急ぐぞ。すぐにここは戦場になる。全く、今の城の連中は馬鹿ばっかりだ」
俺に向かって手招きした。そうか。やはり午前のざわめきは、軍隊が集まってきていたせいだったんだ。となると、魔族軍は王都のすぐそばまで来ているのだろう。アフリートで痛恨の一撃作戦は、今夜にも決行されるに違いない。
「うごっは、はっが」
ハーディーも『早く行くのでござる』と言っている。
「ちょっと待ってください」
再び歩み去ろうとしているスティーブンさんの背中に声をかけた。スティーブンさんは「ああ、もう、なんだ!」と声を荒げた。
「あいつも逃してやってくれませんか?」
キースの牢屋を指差した。スティーブンさんは覗き込んで「なんだ、ウルヴェンじゃねえか」と言いながら、手早く鍵を開けた。
「キース、さあ、行くぞ」
鉄格子を開けて一歩踏み込むと、声をかける。キースは牢屋の奥の影になった部分に引きこもって、じっとこちらをうかがっていた。
「キース!」
手を伸ばす。俺はキースを放っておけなかった。こいつには新生ダッチに会うという目的がある。人間と魔族という違いこそあれ、そこには冒険者に通じる何かを感じた。キースは動こうとしない。不意に現れたスティーブンさんを警戒しているのか、牢屋の隅にうずくまっている。
「クリス、行くぞ」
スティーブンさんに肩をつかまれた。有無を言わせぬ力でキースの牢屋から引きずり出される。確かに師匠の言う通りだ。早く逃げ出さないと、ここは近いうちに戦場になる。城はおそらくその準備でバタバタしている。どさくさに紛れて逃げなければ。わざわざリスクを冒して助けにきてくれたスティーブンさんの努力を、無にするわけにはいかない。後ろ髪を引かれる思いで、牢屋から離れた。キース、どうか無事に逃げ延びてくれよ。目線でそう訴えかけながら、スティーブンさんとハーディーの後を追った。
地上に出ると、思った通り城内は騒然としていた。みんな忙しげに立ち働いていて、脱獄してきた俺たちに気づいていない。スティーブンさんは何食わぬ顔をしてスタスタと歩いて、いつぞや俺たちが炎の神殿に行く前に立ち寄った、旅の道具部屋に入った。
「何か適当なものを着ろ。変装するんだ」
自分は手近にあった魔術師のローブを来て、修道士の帽子をかぶる。髪をくくって眼鏡をかけると、普段のスティーブンさんとは印象が一変した。快活なおっさんなのに、ミステリアスな紳士に見える。俺もそれに倣って修道士のコートを着た。ハーディーはプレートアーマーを装着して、羽飾りのついた頭巾をかぶった。どこかの騎士に見えなくもない。
「盗賊ギルドの連中は、みんなヘイシュリグに避難させた。俺もこれから後を追う。クリス、お前も来い」
スティーブンさんは俺の肩に手を置くと、顔を寄せて言った。
……。
まあ、そうだろう。そう来ると思っていた。俺の知っている師匠なら、必ずそう言う。デキが悪くても、弟子は一人も見捨てない人だ。だけど、ハイとは言えない。スティーブンさんが俺を心配してくれる気持ちは、その真剣な眼差しからも痛いほどわかる。だからこそ、簡単には返事ができずに、俺はごくりと唾を飲み込んでから口を開いた。
「え、いえ……。すみません、師匠。俺、一緒に行けません」
スティーブンさんは、そんな返事を予感していたのか、フッと表情を緩めた。そして、これもあえて聞いているのだろう、優しく微笑んで「なぜだ?」と尋ねてきた。
「あの……。ライラの無事を確認しなければならないんで。あと、テイラーも連れて行かないと」
そうだ。ライラのことは言うまでもない。そして、おそらくこれから、アフリートは前線に立つ。エドワードとオリジンがそばにいるから大丈夫だとは思うが、パーティーのリーダーとしては彼女が無事に仕事を終わらせるのを、見届けなければいけない。
スティーブンさんは俺の肩から手を離すと、背筋を伸ばして腕を組んだ。フーッと息をつく。背が高いので、ものすごく見下される感じになる。と思いきや、スティーブンさんは腰を折って、俺に顔を近づけた。
「ま、そう言うと思ったわ」
ボソッと言ってから、フッと笑った。
「まあまあ、惚れた女を見捨てていくようじゃあ、俺の弟子じゃねえからな。心配だけど、仕方ねえ。わかったよ、クリス」
ポンポンと俺の両肩を叩く。そして、少し寂しそうに笑った。
「でも、無理はすんなよ。命あってのものだねだぞ」
「はい」
わかってくれるだろうとは思っていたが、実際にそうなると、ホッとした。同時に申し出を断った以上、何がなんでも生きてもう一度、会わなければならないとも思った。
「師匠、ニーナは大丈夫ですか?」
一つ気になっていたことを聞いた。
「ああ、先にミランダたちとヘイシュリグに行ったよ。あっちで合流する手はずだ」
「俺の両親は……」
「弟子たちと一緒に行ったよ。安心しろ」
スティーブンさんはローブの裾を翻して、歩き始めた。ドアを開けて広間に出る。そのあとを追う。
「すみません。よろしくお願いします」
その背中に向かって、手を合わせた。スティーブンさんは足を止めて、振り返った。
「ここでお別れか?」
また寂しそうに笑う。弟子たちが大好きな人なのだ。研修所にはたくさんの生徒がいて、屋敷には俺を含めて世代の違う奉公人がいっぱいいた。その全員の名前、出身地、嗜好を覚えていて、誕生日には欠かさずプレゼントをくれた。一人とはいえ、自分が育てた人間を置いていくのは、断腸の思いだろう。
「はい。すみません」
俺はもう一度、頭を下げた。
「そうか」
スティーブンさんはチラッと門の方を見た。大勢の兵士や修道士が忙しく出入りしていて、引き続き俺たちに気をとめる者はいない。それを確認して、こちらへ歩いてきた。腕を広げて、俺をギュッと抱きしめた。
「ヘイシュリグで会おう」
「はい」
大きな背中に腕を回す。70歳を超えているとは思えない引き締まった体、たくましい背中。俺がここで死んだら、スティーブンの弟子はこんなものかと思われてしまう。ここまで育ててもらった恩を返すためにも、俺は俺がやるべきことを、やり切らないといけない。それが、ひいては盗賊王スティーブンの名声を高めることにもなるのだ。
「じゃあな」
スティーブンさんは俺を離すと、最後にもう一度、ポンと肩を叩いた。ハーディーに向かって帽子を少し上げて、「うちのクリスを、よろしく頼みます」と頭を下げる。そして、クルリと踵を返すと、門の方へと足早に歩いて行った。
「うごごっ、がっが」
これはおそらく『素敵な師匠でござるな』と言ったのだろう。間違いない。だが、さっきからハーディーが言っていることが全て想像なのは、不便すぎる。ライラとテイラーを回収する前に、耳飾りとエリックの指輪を取り戻さなければ。
「行こう、ハーディー」
俺はハーディーの太い腕をポンと叩くと、小走りで魔法具庫へ向かった。




