拷問
エドワードは俺の隣に立つと、腰を屈めて机に手をついた。机の上には何かの書類がきれいにまとめて置かれている。タグがいっぱい挟んであるのを見るに、丁寧に一つずつ目を通しているのだろう。
「僕は悪魔になったと思って、想像した」
エドワードは俺の耳元に顔を寄せて、内緒話をするように少し声を潜めた。何やら深刻な話をする気配がして、口を挟めない。
「大切な万物の源が奪われた。悪魔たちはどうする? 当然、奪い返しにくるはずだ。だって、人間はあれを使って、魔族が強く、人間が弱いという、この世界の秩序を変えようとしているんだから」
それは俺も考えた。タイタンと取り合いになったのだから、悪魔も取り戻しにくるだろう。ただ、コンティニュアスを入手した時点で、魔族はそれほど敏感に反応して来なかった。だから、あまり執着はないのかなと思っていた。その点ではエドワードと見解が違う。
「万物の源をパンゲアから持ち出して、今日で3日目だ。悪魔の集団は今、ロリアンドーロにいる。すぐに軍勢を整えて進軍すれば、もうイースの外で戦闘態勢に入っている頃だろう」
えっ、もうそんな状態なのか? 確かに悪魔たちが迅速に動けば、それくらいの時間でイースにたどり着けるだろう。だけど、本当にそんな事態になっているのか? エドワードの妄想が、信じられなかった。
「ちょっと待ってくれ」
「最後まで聞いて」
ピシャリとはねつけられた。有無を言わさぬ迫力に気圧されて、口をつぐむ。
「だけど、それは僕はチャンスだと思っている。だって、本気の悪魔軍に手痛い一撃を食らわせるチャンスなんだから。やつらがイースの外に集まってきたところへ、アフリートの炎を嫌と言うほど浴びせかける。そのためには万物の源が、僕らの思った通りに機能しないといけない」
そこまで言うと、エドワードは机から手を離して、体を起こした。口元は笑みを浮かべているが、冷たい目で俺を見下ろす。
「つまり、時間はそれほどない。僕は君が思った以上に急いでいる。わかるね?」
そういうと、背中を向けて、自分の席へと戻っていく。
「ハーディーを、ひいてはアンを説得してほしい。僕の、あるいはマリシャの指揮下にいる人間の言う通りに、万物の源が機能するように命じてほしいと。あるいは、万物の源への指揮権を、全面的にこちらに譲渡してほしい。ほしいと言っているけど、お願いじゃないよ。友人の君にこんなことを言うのは気が引けるけど、これは命令だ」
スッと音もなく腰掛けると、背筋を伸ばしてそう言った。穏やかな笑みをたたえた表情は、何一つ変わらない。そして「質問は一つだけ受け付けよう」と付け加えた。
質問? 質問なら一杯ある。まず、魔族が侵攻してくるのはどこなんだ? まるで王都にやってくるような言い方をしたが、本当にそうなのか? 本気の悪魔軍と言ったけど、どれくらいの規模なんだ? クーメンで戦ったのは、本気ではないのか? 急いでいるって、どれくらい? お願いじゃなくて命令だと言ったけど、断ったらどうなるの? やっぱり拷問されるのか? 目をくり抜くのか?
「魔族が侵攻してくるって、本当に?」
頭の中を整理しないうちに、最初の疑問がポロッと口から出てしまった。ああ、しまった。もっとしっかり考えて、最重要事項を聞かないといけなかったのに。エドワードは俺の質問を聞くと、はっきりうなずいた。
「実は、君の古巣である盗賊ギルドに協力を要請して、状況を偵察してもらっている。すでにロリアンドーロから魔族の軍勢は出発しているよ」
え……。
身内が協力している件も寝耳に水だったが、それ以上に、本当にそんな事態になっていることが衝撃的だった。ちょっと待ってくれ。それって、俺たちがパンゲアから万物の源を持ち出したから、そんなことになっているのではないか? もしかして、俺たちのせい?
「昨日の感じでは、ハーディーでは話にならない。彼はなんなんだろうね? 魔族に自分の国を滅ぼされて、主君ともども殺されたというのに、なぜ魔族と戦うことにあれほどためらうのだろう。意味がわからないよ。もし、指をパチンと鳴らして魔族が全部、死に絶えるならば、僕は躊躇なくそうするんだけど。彼はそうではないらしいよ」
エドワードは急に話題を変えた。背中を反らせて椅子の背にもたれると、ふうーっとため息をついた。なるほど、ハーディーはそういう断り方をしたんだな。確かにハーディーは、魔族とはいえ、生き物を殺すことに抵抗を感じる人物だ。無駄な殺生を避けるシーンを、何度も見てきた。殺しを生業にしている軍人なのに、性根が優しいのだ。
「うーん。だから、クリスが口で言っても、聞かないだろうね。なので、君に説得できるような材料を持たせることにしたよ。材料というか、君自身がハーディーとアンを動かす動機になってもらう」
意味がよくわからない話を始めた。エドワードが俺の両隣にいた修道士に目配せする。2人は両脇から俺を抱えると、力任せに腕をつかんで、机の上に押し付けた。2人ともハンセン並みに体が大きくて屈強だ。抵抗できない。
「! 何すんだよ!」
何をするんだというフレーズは、とっさに口から出てしまう。だけど、これを口にした瞬間に、すでに敗北が決定しているような気がする。
「手早く済ませるよ。せめてもの情けで、選ばせてあげよう。手か足か、どっちがいい?」
手とか足とか、何の話だ? これから何をされる? 状況を考えれば、指でもへし折られるのではないか。足ならばスピーディーに動けなくなる。手ならば細かい作業ができなくなる。逃げ出すことを考えれば、足はまずい。しかし、素直に「手」といえば、足の指を折られそうだ。逆だ。逆を言おう。
「手、手だ!」
俺の右側、視界に入っている修道士が懐から何か取り出した。錐だ。黒く尖った鉄器は、ギラリと光ったりしない。だが、その黒々と沈黙した佇まいが、逆に恐怖をかき立てた。
「手だそうだ。やってくれ」
くそっ、注文通りになった。だが、救いといえば救いだ。足に何かされないのであれば、まだ走って逃げ出すことができる。そんなことを考えている間に、錐を手にした修道士はガシッと俺の手をわしづかみにすると、人差し指の爪と肉の間に錐の切っ先を差し込んだ。
「ぐわあぁぁっ!」
爪の下に冷たい感覚が走った直後、肛門から膝の下まで痛みが駆け降りて、ドッと冷たい汗が吹き出した。情けない悲鳴を上げてしまうが、今回ばかりは仕方がない。自分を許してやろう。だって、本当にめちゃくちゃ痛いんだもの。だが、これで終わりではなかった。修道士は錐をぐりぐりと動かして、俺の爪を引きはがしにかかった。
「うぎゃあああああああっ!」
指先なんて細かいところを攻められているのに、苦痛は全身を駆け巡る。体が震えて、自分でも驚くほど額から、背中から、股間から、汗が吹き出す。耐えられない。全力で振り解こうと抵抗するが、机に押さえつけられたまま、身動きができない。あっという間に机の上に俺の汗で水たまりができた。
爪って、思った以上に体にしっかりついているんだな。もっと簡単にはがれてくれたらいいのに。激痛と屈辱で歯をガチガチと鳴らしながら、そんなことを考える。指先が血で濡れて、冷たい。だが、どうなっているか自分で確認する勇気がない。見たら気絶してしまいそうだ。歯を食いしばって耐える。手を握りしめて我慢したが、両側から押さえつけられて、できない。もう無理だ。頭の中が真っ白になって、小便を漏らしてしまいそうだった。
人差し指の先がジンジンして感覚がなくなった頃、ようやく爪が取れた。ようだった。ブチッと音がして、取れた感覚があった。
はぁはぁはぁ……。
痛い。ジンジンとうずく痛みはまだ続いているが、少しだけ耐えられるようになってきた。こういう拷問があると知ってはいた。こんなに辛いのか。盗賊ギルドでは、さまざまな拷問の方法も学ぶ。実際にはやらないが、やられた時にどうすればいいかという対処法を学ぶ。爪をはがされるのは、それほど大した拷問ではないと聞いていた。なぜなら、爪はまた生えてくるし、痛みさえ耐え抜けば、後遺症の残るものではないからだ。指をへし折られるとか、目をくり抜かれるとか、体の一部を奪われるよりは、ずっとマシだと聞いた。
嘘だ。この拷問、マジでキツい。自分の体内にこんなに水分があったのかと、目の前に落ちて水溜りを作っている汗を見て、そんなことを考えた。その時だった。ガシッ。中指をつかまれた。嘘だろ? 人差し指で終わりではないのか?
「ち、ち、ち、ちょっと待って……」
限界突破するほど叫んだせいか、喉が枯れている。声がかすれていた。俺の言葉が終わるのを待たずに、中指の爪の間に錐がねじ込まれる。
「ぎゃあああああああぁ〜!」
もう我慢できない。情けないほど叫び声を上げてしまう。耐えきれずに涙も出てきた。続いて爪をはがすグリグリが始まる。
「ぐああああああ〜!」
もうやめて! 何でも言うこと聞くから! そう叫びたいのに、口が動かない。悲鳴を上げることしかできない。無駄だと分かっていても、全身をのたうち回らせて修道士の手から逃れようとする。暴れ回っているうちに、チラリとエドワードの顔が見えた。
いつもと何ら変わらぬ穏やかな笑みをたたえて、俺を見つめていた。
結局、俺は右手の爪を全てはがされて、牢屋に戻された。右手には大きすぎるくらいの包帯が巻かれ、血がにじんでいる。エドワードの執務室から連れ出される時、やつは背後から「ハーディーによろしく」と言った。痛くてうつむいていて、表情をうかがう余裕はなかった。背中を丸めて、ドクドクとうずく5本の指を押さえて、トボトボと牢屋へと帰った。汗で服が上下ともビッショリだ。
ハーディーには何も言わないつもりだった。できるだけ、何もなかったふりをして通り過ぎなければ。俺が酷い目にあったと知れば、ハーディーはエドワードの言うことを聞くだろう。それでは相手の思うつぼだ。それだけは避けなければならない。歯を食いしばり、震える膝に力をこめて、背筋を伸ばす。俺は左手で右手を隠しながら、何気ない顔をしてハーディーの牢屋の前を通り過ぎようとした。
ハーディーは俺が帰ってくるのを待っていたようで、鉄格子にかじりついていた。
「おごっ、おおっ」
何か話しかけてくる。おそらく『大丈夫でござるか?』と聞いているのだ。雰囲気で何となくわかる。俺は無理やりニコッと笑うと、うなずいた。
「大丈夫だ。何ともない」
ハーディーは俺の右手をじっと見つめている。スタスタと通り過ぎたが、間違いなく気がついた。その証拠に、まだ「はがっ、ああがあ」と話しかけてくる。『その手はどうしたのでござるか?』と聞いているのだろう。
「大丈夫だ、ハーディー。本当に大丈夫だから」
俺は振り返らずにそう言い残すと、自分の牢屋に入った。背後でガチャンと鍵が閉まる音がする。あの鍵、道具さえあればすぐに開けられるんだけどな。だが、俺の盗賊道具はここに入れられた時に、全て取り上げられてしまった。薄い毛布の上に横になって、ようやくひと息つく。ふう〜っと深いため息が漏れた。
「シヒヒヒ……」
獣人の笑い声が聞こえる。
「血の匂いがするぞ。シヒヒヒ……。痛かろう。痛かろうなぁ、さぞかし……」
腹は立つが、何かを言い返す気力がなかった。横になったまま、左手で顔を覆う。あいつ、俺と違って目玉をくり抜かれたんだよな。修道士どもに寄ってたかって押さえつけられて、あの錐でくり抜かれたのだろうか。ものすごい苦痛だったのではないか? しかも両目だろう? 生きる気力さえ、へし折られたのではないか。よく笑っていられるな。
ものすごく体が重い。全力で抵抗したせいだろうか。右手がジンジンと痛む。早く意識がなくなればいいのに。そう思っているうちに、ありがたいことに意識を失った。




