脱出
「さて、と。じゃあ、ウチらも帰ろうか」
タイタンが消えたのを見届けると、ニュウニュウは何事もなかったかのように言った。
えっ、ちょっと待って。なぜそんなに平然としていられるの? 今、とんでもない事態に陥ったよね? 雇い主を裏切って、伝説のお宝を抱え込んで、これからどうするのさ。ライラの体重がさらに重く感じられる。精神的な疲労もピークに近くなって、ライラを背負ったまま倒れてしまいそうだった。
「あの、あの。ちょっといいですか?」
背後から声をかけられて、振り向いた。3人のオークが、おっかなびっくりといった表情で、少し離れたところで立っている。全く接近に気が付かなかった。その事実に自分で愕然とした。
「なに?」
ニュウニュウは特に驚いた様子もなく、ニコッと笑いながら返事をした。オークたちは顔を見合わせて「お前が言えよ」「いや、お前が」と額を突き合わせて、ひとしきり何やら言い合っていた。しばらくして、あご髭を生やしたオークが前に進み出て、少し腰をかがめながら、ニュウニュウに言った。
「あ、あの。用事が済んだのなら、さっさと帰ってくれませんか? ここは俺たちの大事な場所なんで、あまりめちゃくちゃにされると困るんですよね……」
後ろで固唾を飲んで見守っていた別のオークが「さっさと帰れはないだろう!」とツッコんでいる。もう一匹も「もう少し丁寧にお願いしろ!」と責めた。俺たちに話しかけたオークは「ち、ちょっと、静かにしろよ!」と振り返って2匹をにらむ。
「ああ、もう帰るで。邪魔したな」
ニュウニュウは杖でトンと地面を突いた。
「はい。お願いします。ここは……このパンゲアは、俺たちにとっては大切な場所なんです。嫁さんと初めて旅行したのも、新婚旅行も、初めて子供を連れて旅行したのも、ここだったんで」
話が通じると思ったのだろう。オークは少し身を乗り出して、堰を切ったように話し始めた。後ろにいた2匹も「俺も初めての家族旅行がここだった」「俺は新婚旅行だった」と口をそろえる。
「わかった、わかった。めちゃくちゃにしないから。さっさと帰るから、あんたたちもウチらのことを、しばらくそっとしておいてくれへんか」
ニュウニュウはさっさとあっちへ行けと言わんばかりに、手を振った。それを見たオークたちは「へえ、よろしくお願いします」と言いながらホテルの方へ去っていく。
「帰るって、どうやって帰るの?」
俺が言った途端、アンがバタッと音を立ててその場にうつ伏せに倒れた。どうやらもう限界らしい。これでミラキュラスもライラ、アン(ハーディー)と2人が動けない。ニュウニュウはアンに近寄ると、その手から万物の源を取り上げた。俺を見て、ニヤッと笑う。
「ウチが元の姿になって、みんなを乗せて行く。それくらいの魔力は残っとるよ」
おお、なるほど。ニュウニュウはドラゴンだ。ドラゴンの姿に戻って、乗せていってくれるということなのだな。それならば、アン(ハーディー)もライラも乗せていけそうだ。ちょっとホッとした。
「わかったら、ほら、クリスもエリックも後ろを向いといてんか。女子が裸になるんやさかい。ジッと見られとったら、恥ずかしゅうてドラゴンに戻れんわ」
ニュウニュウは杖の先っぽで、俺とエリックのお腹をつついた。言われてみれば、その通りだな。後ろを向こうとしたその時、マリアンヌがツカツカと近づいてきた。
「ちょっと待って! まさか、あんたたちだけでここから脱出する気?」
眉を吊り上げて、怒っている。だが、なんで怒っているのか、意味がわからない。
「そうやけど、何か?」
ニュウニュウもキョトンとしている。
「私もハンセンも、シェイドと戦った時に防御魔法を使い倒して、もうほとんど魔力が残っていないのよ?! 置いてけぼりにされたら、飛び降りるしかないじゃない!」
置いてけぼりもなにも、先ほど、ニュウニュウと戦おうとしていたではないか。
「一緒に乗せて行きなさいよ!」
「マリアン、それは乗せてもらう者の態度ではないぞ」
ハンセンがマリアンヌの肩に手を置いた。
すっかり日は落ちて、夜の闇がパンゲアにも降りてきた。星がきれいだ。地上より高いところにあるせいか、とてもよく見える。吹き抜ける風が気持ちいい。これから帰るのだと思うと、急に胸が楽になった。
「え? いや、あんたら、さっきウチらを裏切ったよな?」
ニュウニュウは呆れた顔をしてマリアンヌ、ハンセンと指差す。ハンセンは無表情ななりに、なんとなく申し訳なさそうな雰囲気を漂わせた。マリアンヌは一瞬、「ぐっ」とうなって言葉に詰まったが、すぐに「先に裏切ったのはあんたじゃない!」と言い返した。
「いや……その……どっちが先に裏切ったとかじゃなくて、いまの話をすると、あんたらはウチらの敵とちゃうの? なんで敵を一緒に背負ってやらんとあかんの?」
「だって!」
マリアンヌは引き下がらない。拳を握りしめて、ニュウニュウに迫った。
「だって、さっきの話の通りなら、あと何時間後か、何日後かわかんないけど、パンゲアは地上に落ちちゃうんでしょ? 取り残されたら、死んじゃうじゃない! 敵とか味方とか言っている場合? あたしたち、同じ人間でしょ!?」
「その落ちる前までに魔力を回復して、飛んで逃げればええがな……」
ニュウニュウはとても面倒臭そうな顔をすると、改めて俺たちに「後ろ、向いといて」と言った。ハンセンにも同じことを伝える。
「え、ちょっと待って……」
マリアンヌが食い下がっているが、俺たちは後ろを向くことにした。2人はしばらく何か言い争っていたが、急に熱風が吹いてマリアンヌが「きゃあ!」と悲鳴を上げて、静かになった。
「もうええで」
頭上からニュウニュウの声がする。振り返ってみると、深紅の鱗に覆われたドラゴンがいた。俺に鼻面を寄せていて、青みがかった瞳が目の前にあった。首を伸ばせば、背丈はゆうに俺の3倍はあるだろう。その足元でマリアンヌがまた尻餅をついている。
「さあ、はよ乗って。帰ろう」
ドラゴン……ニュウニュウはびっしりと生えそろった鋭い牙をちらちらとのぞかせながら、話しかけてきた。話すたびに口の間から熱風と言っていい吐息が漏れる。ニュウニュウは首を伸ばして倒れているアンを咥えると、器用に自分の背中に乗せた。
と、その時、バサッバサッと何かが羽ばたく音がした。フライングリザードの羽音に似ている。音がする方向を見ると、一匹のフライングリザードが上陸してきたところだった。降り立ったのは一人だ。ポッと魔法の炎を灯す。エドワードだった。
「やあ、みんな」
まるで街角で出会ったかのように、にこやかに笑って手を上げた。
「〝やあ〟やないで。もう全部終わったわ」
ニュウニュウが首をもたげて答える。
「見ればわかるよ。最後の最後とはいえ、合流できてよかった。で、首尾は?」
近づいてきながら、俺たちを見回す。一瞬、エリックに目を止めた。〝これが例の悪魔かい?〟という視線を、俺に向ける。
「上々や。やけど、ライラちゃんがちょっとヤバいかもしれへん。はよ帰らへんと」
エドワードは俺たちのところまで来ると、まずニュウニュウの鼻面をなでた。そして俺のそばにやってきて、ライラの顔をのぞき込む。何かゴソゴソやっている。おそらく額に手を当てたりしているのだろう。
「ああ、本当だね。これは確かに厄介かもしれない。とりあえず帰ろう。で、万物の源はどこ? 手に入れた?」
エドワードは俺を見て、ニュウニュウを見る。ニュウニュウは背中の方にあごをしゃくって「アンが今、持っとるわ」と言った。エドワードはタッタッタとニュウニュウの方に駆けていくと、肩のあたりに手をかけてヒョイと飛び乗った。ニュウニュウの背中に飛び乗って「クリス、行くよ!」と声をかけてきた。
「ああ、わかった。エリック、行くぞ」
俺はエリックを促して歩き始めた。エリックは「え? 俺も乗っていいのか? あいつ、修道士だろう?」と目を丸くしている。
「大丈夫。エドワードにはお前のことは話してある。敵じゃないってな」
炎の神殿への道中で、エリックのことは話した。悪魔とチームを組んだという貴重な体験を、エドワードは実に面白がって聞いてくれた。その時に「敵ではない」と伝えてある。先にライラを乗せていると、マリアンヌが駆け寄ってきた。
「ねえ、マジで置いていく気?」
「あまりしつこいと噛み殺すで、ネエちゃん」
ニュウニュウは顔を寄せてすごんだ。吐息でマリアンヌのヴェールがふわりと浮き上がる。ついさっきまで強気の姿勢を崩さなかったマリアンヌは「殺す」と言われて、急に泣きそうな顔をした。それを見て、俺はなんだかたまらない気持ちになった。
「なあ、ニュウニュウ。キャルダモナまでとは言わないから、どこか人間の居住域の近くまで、乗せてやってくれないか?」
ニュウニュウのたくましい腕に触れる。ドラゴンは爬虫類なので冷たいのだろうと思っていたが、予想外に温かい。馬よりも温かいくらいだ。ニュウニュウは首を伸ばして夜空を見ていたが、こちらに振り向いた。
「それ、マジで言ってるんか?」
「お人好しなのはわかってる。でも、カナリヤンズには以前、世話になったことがあるんだ」
ニュウニュウは呆れたようにブフーッと鼻から熱い息を吹き出した。確かにマリアンヌとはさっき敵対した。だけど、それまでは一緒に旅をしてきた仲間だ。追放されたとはいえ、チャンスをもらったこともある。ここに置いていくのは、忍びなかった。
「クリス、あんた、頭おかしいやろ」
ニュウニュウはそう言いながらも、四肢を深く折って姿勢を低くした。そして「ほら、気が変わらへんうちに、はよ」と言う。俺はマリアンヌを見て、うなずいた。マリアンヌもうなずき返す。ハンセンが「ありがたい」と小さく手を合わせた。
俺たちはニュウニュウに乗って、パンゲアを脱出した。エリックを屋敷で、マリアンヌとハンセンをクーメンで下ろし、王都に到着した頃には真夜中を過ぎていた。飛ぶのは寒いということをこの時、初めて知った。冷たい風を切っているうちに、手足の指先や鼻の感覚がなくなってくる。エドワードは飛んでいる間、着ていたマントを頭からかぶっていた。準備がいい。飛んだことがある冒険者の証拠だ。
その夜は魔術師ギルドの部屋を借りた。まだ意識が戻らないハーディーをエドワードと一緒に運び込み、ライラをベッドに寝かせた。ライラはいつの間にか高熱を出していて、体がものすごく熱い。
「何か良くないものが体に入ったみたいだなあ。今夜が峠になるかもしれない」
エドワードが不吉なことを言うので、眠気が吹っ飛んだ。とりあえずエドワードが持ってきた氷嚢を頭に乗せて寝かせたが、時々、うなり声を上げて苦しそうだ。枕元で気を揉んでいるうちに、空が白んできた。
気がつけば、俺も意識を失っていた。




