魔族になる
気がつくと、薄い毛布にくるまって、木の床の上で眠っていた。肩や腰が押し潰されたように痛む。いかん。知らないうちに眠ってしまった。ライラを見ておかないといけなかったのに。ギシギシと軋む体を無理やり動かして、起き上がった。口の中がなにやらもやもやする。そういえば、長らく歯も磨いていない。
「おう、起きたんか。もっとゆっくり眠っていたらいいのに」
ベッドサイドの椅子に、ニュウニュウが座っていた。女の子の姿に戻って、ベージュのゆったりとしたワンピースを着ている。俺が寝ている間にライラを見てくれていたみたいだ。ベッドに目を向けると、ライラが眠っていた。胸の下あたりまで布団を下げて、両腕を布団の上に出している。額に、目が隠れるほど大きな氷嚢を乗せていた。
「どうなったの?」
窓の外を見ると、陽の光がオレンジ色がかっていた。もう夕暮れなのだ。随分と長い間、意識を失っていた。
「ライラちゃんは医者に診てもらった。まあ、なんと言うたらええんかな……。とりあえず、治療はしたで」
ニュウニュウは薄笑いを浮かべ、うつむいて決まり悪そうにワンピースをいじった。なんだ、その奥歯にものが挟まったような言い方は。とりあえずって、どういうことだ。
「えっ……。治療は、したんでしょ? じゃあ、もう大丈夫なんじゃないの?」
喜んでいいのか、それとも困ればいいのか、よくわからない。
「うん。でも、エリックと別れた時に、あいつが言うてたやろ。その通りやったわ。ライラちゃん、なんかの呪いがかかっとるわ」
俺に、寂しげなまなざしを向けた。パンゲアからの帰り道、エリックを屋敷で下ろした。その時に言っていたのだ。
「あのな、ライラのことだけど」
「なんだよ」
ニュウニュウの背中から降りてから、俺に話しかけてきた。
「あの……。ラルフさんは悪魔だけど、吸血鬼でもあるんだ。血を吸う。血を吸って、吸った相手を操る。たぶん、ライラの血を吸った時に、何かした。ライラが目を覚さないのは、きっとそのせいだ」
そこで言葉を切って、申し訳なさそうな顔をした。そして「腕のいい医者に診せるんだな。無事を祈っているよ」と言った。
やはり、呪いがかかっていたのか。呪いは魔法の一種だ。ただ、通常の魔法が一時的な効果しかないのに比べて、呪いの効果は長期間に及ぶ。場合によっては、術師が解除しなければ永遠に続くこともある。
「え、なんかの呪いって、どういうこと?」
ニュウニュウは確かに〝なんかの呪い〟と言った。呪いは老化とか石化とか、調べればどんな種類なのか大概、わかるのに。
「いやぁ、それがな、よくわからんのや。いろんなものが混ざっているみたいでな。ライラちゃん、血液の質が変わってしもてんねん。魔族の血ぃみたいになっとってな」
ニュウニュウは手持ち無沙汰な感じで、自分の前髪を触った。きれいな黒髪が、窓の外から差し込む夕日を受けてキラキラと輝いている。
「え、なんだって……? 魔族……?」
いろいろと不思議なことを見てきたが、こんなことは初めてだ。悪魔に噛まれて、魔族になったというのか? 頭の中で情報の整理が追いつかない。
「うん、そう。魔族。ウチとおんなじ」
ニュウニュウは自分を指差して、罰が悪そうに笑った。
「じゃあ、ライラは魔族になってしまうということ?」
信じられない。修道女から魔族への転身なんて、正反対も甚だしい。というか、人間が魔族になるなんて、聞いたことがない。確かにゴーストは死んだ人間が、魔族というか魔物に転身したものだが、あれは死を通じてそうなるのであって、死んでしまえば人間はもはや人間ではない。だが、今回の場合は、ニュウニュウの言葉をそのまま信じるのであれば、生きたまま人間から魔族になるのだ。
「うーん、どうなんやろ。本人が目を覚さへんから、よくわからへん。だけど、血液だけ見れば、ライラちゃんは魔族になりつつある。目が覚めて、動いてみて、人間と明らかに違うようなら、それはすなわち魔族になったということやろうな」
ニュウニュウは椅子の上で落ち着きなく体を前後に揺らした。椅子が床とこすれてキィキィと音を立てる。それがやけに大きく、聞こえた。
「えっ、そんなこと、あり得るの? 人間が生きたまま魔族になるなんて、あるの?」
信じられなかった。
「あるもないも、目の前で今、それが起ころうとしているんやから、仕方ないやん」
ニュウニュウは口元にこそ笑みをたたえたままだったが、少し困った顔をした。今回の旅を通じて、俺がライラに恋していると知っている。こんなことになってどう伝えればいいのか、さすがのギルドマスターも戸惑っているのだろう。重い足を引きずって、ベッドサイドに行く。氷嚢をそっと持ち上げてライラの表情をうかがった。顔色が悪い。白いのを通り越して、くすんでいる。土気色ってこういうことを言うのだろう。死体みたいだが、ほほに手を当ててみると、温かかった。
「ライラ、大丈夫?」
聞こえているはずはないと思いつつ、声をかけた。ライラは目を閉じたままだ。なんの反応もない。俺はガックリと肩を落とした。
なんということだ。俺が冒険に駆り出したばっかりに、ライラの人生をめちゃくちゃにしてしまった。修道女のライラが魔族になるだなんて、それは彼女にとっては死ぬよりも辛いことではないのだろうか。目の敵にしてきた生物に変貌してしまうのだ。修道院にいられなくなるし、交友関係も全てぶち壊しになってしまう。
「すまん……!」
謝っても手遅れなことは、痛いくらいわかっていた。だけど、口にしないと気が済まなかった。目の奥から熱いものが込み上げてくる。やめろ、俺が泣いてもどうにもならない。泣きたいのはライラの方だろう。必死に押しとどめようとしても、唇は震え、涙は意志に反してあふれ出した。ニュウニュウが、ため息をついているのが聞こえた。
「クリス、あんたのせいやない。今回のクエストについてきたのは、最終的にライラちゃんの判断や。断らへんかったから、こうなった。気に病まんでも、ええ」
俺は顔を上げた。ニュウニュウは椅子の上で股を広げて、足をぶらぶらさせている。人一人の人生が台無しになっているのに、どうしてそんな平気な顔をしていられるのだろう。俺にはとてもできない。両拳を強く握りしめる。どうしたらいい? 俺はライラに何をしてやれる? つきっきりで看病する以外、何も思いつかなかった。
「まあ、あんたも今回のクエストで大変な思いをしたし、ちょっと休みぃや。ライラちゃんはウチがここで看とったるさかい、温泉でも行って骨休めしてきたらどうや」
いやいや、そんなことしている場合じゃないでしょ。朝から晩までつきっきりで看病しないと。ライラが目覚めたら、本当に魔族になってしまったのか、確認しないと。もし本当にそうなっていれば、本人はものすごくショックなはずだ。まずは平謝りしてから、ケアをしてやらないと。
そういえば、ハーディーはどこだろう。
「ハーディーは?」
ふと思い出して、ニュウニュウに尋ねた。
「ああ、おっさんなら風呂に行ったで。帰りにテイラーちゃんに会いに行くって言うとったわ。まあ、おっさんがゆっくりできるのは、今夜だけやろな。明日からは万物の源の研究で、エドワードに引っ張り回されるやろ。間違いなく」
話題がライラから変わって気が楽になったのか、ニュウニュウは肩の力を抜いて、アハハと笑った。そうか。風呂か……。確かに頭がものすごく臭い。着の身着のままで、股間がキシキシする。風呂に入って歯を磨けば、何か妙案が浮かぶかもしれない。ここに至って、ようやく猛烈に腹が減っていることにも気がついた。
「ニュウニュウ、俺も風呂に入ってきていい? あと、メシも食いたい」
そうだ。腹が減っては戦はできぬ。食って清潔にして、そしてヤル気を出さないと。
「ええで。ゆっくり行ってきいや」
ニュウニュウは少し身を乗り出して、ニコッと笑った。
◇
中途半端な時間だったせいか、城の風呂場は空いていた。手拭いで体をこすると、茶色い垢がボロボロと取れた。これでは気分も憂鬱になるわ。垢で茶色くなった湯水が足元を流れていくのを見つめながら、そんなことを考えた。歯を磨いて、食堂に行く。ビュッフェでポテトサラダを山盛りにして、それとオムレツをパンに乗せて食べた。大量の糖質を胃袋に叩き込むと、ようやく気持ちが落ち着いた。
確かに、テイラーの顔も見たかった。とはいえ、アフリートなのだろう? テイラーならばあのモシャモシャ頭を撫で回して、思い切り吸いたいと思うが、アフリートは熱すぎる。ああ、テイラーに会いたいな。本格的に出て行ってもらう計画を考えなければと思いながら、アフリートの部屋に向かう。
『おお、クリス殿。目が覚められたのでござるな』
到着してみると、テラスのテーブルでハーディーとアフリートがお茶を飲んでいた。アフリートは胸元が大きく開いた、紫色のドレス姿だ。「こっちへ来い」というので、俺もテーブルについた。やはりこれはテイラーではない。テイラーはこんなに大人っぽくない。妖艶に微笑むアフリートの視線を受け止めながら、そう思った。
「今、パンゲアの土産話を聞いていたところなんだ」
アフリートは茶を勧めながら言った。紅茶だった。種類は分からないが、いい香りだ。
「アフリート、パンゲアでラルフという悪魔に襲われて、俺の仲間が呪いをかけられたんだ」
お茶に手をつけずに、単刀直入に聞いた。アフリートは小首を傾げて、俺を見つめる。
「血液が魔族になる呪いだ。このままでは彼女は魔族になってしまう。どうすればいい? 何か解決方法を知らないか?」
よく見ると、パンゲアに行く前に比べて、アフリートは随分とふっくらしたように見える。いいものを食べさせてもらっていたのだろう。彼女の近況をまず聞くのが礼儀なのだろうが、今の俺にはそんな余裕はなかった。ハーディーは黙って俺の言葉を聞いている。
「魔族になるのは、悪いことなのかい?」
アフリートは薄笑いを浮かべながら、逆に質問してきた。
「えっ、そりゃあ、悪いでしょ。魔族は人間の敵なんだから……」
いきなり当たり前のことを聞かれて、拍子抜けした。アフリートは、スッと笑みを引っ込めた。真顔になって腕を組むと、あごを指でつまんで考え込んだ。
「魔族になればもっとたくさん魔力を貯められて、魔力を使えて、人間よりもいろいろな面で優れた種族になれるんだよ? それがどうして悪いことなんだい?」
俺を指差して、聞いてくる。言われてみれば確かにそうだ。魔族になれば、魔族に負けない力を手に入れられる。だが、しかし。
「でも、そうなったら、人間として生きていくことはできないじゃないか。人間の社会から追い出されるだろうし、魔族のなかにも入っていけない。どっちも味方ではなくなってしまうだろ」
アフリートは馬鹿なのだろうか。それとも魔族なので、こんな当たり前のことがわからないのか? 一生懸命反論しながら、自分が何を言っているのか、わからなくなる。
「じゃあ、そういう人間でもない、魔族でもない種族を作ればいいじゃないか。そいつらが人間と魔族を繋ぐ存在になれば、やれ人間だ、やれ魔族だと争うこともなくなるんじゃないかねえ」
アフリートはそう言ってニヤニヤと笑った。
え……。
ちょっと待ってくれ。今、アフリートがすごく大事なことを言ったような気がするぞ。人間でもない、魔族でもない存在だって? 確かにそんな連中がいれば……。そう、そんな連中がたくさんいれば、もう人間だからとか、魔族だからとか、対立する必要はないのではないか。そして、俺は知っている。そういうやつを。ニーナだ。ニーナは人間であり、魔族だ。
『なるほど……でござる』
俺の代わりにハーディーがうなずいた。
その夜、俺たちは随分と遅くまで語り合った。アフリートはヴァジリで随分と酷使されたらしく、テイラーが体を壊して、ようやく王都に帰ることになった経緯を話してくれた。なんだと。聞き捨てならんな。エドワードがそばにいて、それはどういうことだ。ひとこと文句を言ってやらないと気が済まないぞと憤っているところに、当のエドワードが現れた。
「ああ、ここにいたのか。明日、万物の源の調査をするから、僕の部屋まで来てくれないか? 午前9時ね。いや、10時だ。待ってるよ」
にこやかな笑顔で一方的にそう告げると、こちらが文句を言う前にさっさと出ていってしまった。
「どんなにいいものを食わせてくれたとしても、もうあの男に使われるのは嫌だねえ。クリス、ハーディー、私と一緒に世界の果てを探しに行かないかい?」
アフリートは苦笑いしながら、冗談とも本気ともつかないことを言った。




