ァギャハッティの信じた人
タイタンはローブを翻して、輪になっていた俺たちの真ん中あたりにストンと降り立った。でっぷりとした腹からはとても想像できない、軽やかな着地だ。ローブを直して帽子をかぶり直すと、ぐるっと俺たちを見回す。マリアンヌに目を止めて、太い指でビシッと指差した。
「ボヘミアンズ!」
「カナリヤンズです」
即座にツッコんだマリアンヌを無視して、アンの方に向き直る。「で、どこだ?」と言いながら、アンの返事を待たずにオリジンの前に行った。
「おお、これか。本当に湧き出すのか? ちょっとやってみてくれんか?」
タイタンのペースに巻き込まれて、オリジンは目をパチクリとさせながらも、ニュウニュウにやったように、大きな鼻に向けてふうふうと息を吹きかけた。
「うわっ、本当だ!」
タイタンは自分の鼻を押さえて、目を丸くする。そして、なぜか俺の方をチラッと見た。
「その方が万物の源ことオリジンです」
ようやくアンが紹介した。タイタンはそれを無視して「もう一度、やってくれんか?」と要求した。オリジンは少し困った顔をしながらも、笑顔でふうふうを繰り返す。タイタンは目を閉じてそれを受け止めると、薄目を開いて恍惚の表情を浮かべた。両手を広げて天を仰ぎ、「はぁぁ」とため息をついた。
「すごい! これはすごい! 本当にあったんだ! 魔力が無尽蔵にあふれ出す伝説の魔道具! これでわしは無敵だ!」
誰に向かって話しかけているのかよくわからないが、宵闇の迫った空に向かって、腕を震わせながら声を上げている。もう一度、「はぁぁ」と深いため息をつき、ゆっくりとアンの方を向いた。
「よくやった、アン王女」
本当は今にも大笑いしたのだろう。必死に押し殺しているが、口角は吊り上がり、目は狂気をたたえてギラギラと輝いている。
「はい。お約束通り、ロリアンドーロの奪回にご協力いただきたいと思います」
アンは少し目を伏せて、小さな声で訴えた。タイタンはそれを聞いていたのか聞いていないのか、俯いてうんうんと一人でうなずくと、オリジンの手を優しく取った。
「新時代がやってくるぞ。よし、では帰ろうか」
オリジンの手を引いて、輪から抜け出そうとする。えっ、ちょっと待ってくれ。俺たちはどうすればいいんだ? キャルダモナまでついて行かなければいけないのか? できればここで報酬の話をしてしまいたいのだが。
「ちょっと待たんかい!」
声を上げて立ち塞がったのはニュウニュウだった。タイタンは足を止めた。
「なんだ。用があるならキャルダモナで聞いてやる。後から来い」
タイタンは目を細めて、忌々しそうに言った。
「久々に会ったのに、えらい物のいいようやな。後やったら遅いねん」
ニュウニュウは杖を構えた。それを見たタイタンは片方の眉を吊り上げて、露骨に不快な表情をした。
「その子、渡さへんで。ここに置いて行ってもらおうか」
スッと腰を落として狙いを定める。おいおい、マジか……。いや、でも、なんとなく、こんな展開になるのではないかと思っていたのだ。万物の源は無尽蔵に魔力を生み出す魔道具ではないが、魔力を集めることができる。持っていれば、魔力が尽きる心配をしなくていい。魔法使いならば、誰でも手元に置いておきたいだろう。
「ドラゴンの小娘、いつからそんなに偉くなったんだ? 野良だったお前を育ててやった恩を忘れたのか?」
タイタンはオリジンを捕まえていた手を話すと、右足を引いて半身になって構えた。サッと左手を振ると、ローブの内側からニュッと杖が飛び出した。節くれだった太い枝の先端に、青い宝石がついている。それが夕日を受けてギラッと光った。
「育てたって? オモチャにしたんとちゃあうんか? ウチはあんたに育ててもらった覚えはないで?」
ニュウニュウはニヤリと笑ったが、表情には緊張感が漂っている。オリジンは小走りで、アンのそばまで逃げてきた。それを見たマリアンヌが、ハンセンの腕を小突いてタイタンの背後につく。マリアンヌはタイタンと並ぶと、ニュウニュウに対峙した。そりゃあ、そうなるよな。カナリヤンズはタイタンに雇われているんだ。タイタン側につかないと大変なことになる。だけど、俺たちはどうしたらいい? 本来の仕事は万物の源を回収して、タイタンに渡すことだ。その通りであるならば、俺もタイタンの隣に並んで、ニュウニュウに立ち向かうのが筋だ。
だけど、足が動かなかった。
「ニュウニュウさん、万物の源を横取りするつもり? あれはそもそも、ずっとタイタンさんが追い求めていたものなのよ?」
マリアンヌも杖を構えた。その先っぽから、ポワッと小さな炎が立ち上る。
「アン、ホンマにこのおっさんにオリジンを渡すつもりなんか? ロリアンドーロなんか、絶対に取り戻してくれへんで!」
ニュウニュウはチラッとアンを見て、声を上げた。アンはオリジンを見て、タイタンを見て、困った顔をして俯いた。
「何を言っているんだ! 万物の源があれば、魔法で魔族に対抗できる! ロリアンドーロなど朝飯前で取り戻してやるわ!」
タイタンはジリッと前に出た。ニュウニュウは少し後退する。俺の方をチラッと見て「クリス、あんたはどっちの味方や?! もちろん、ウチやんな!」と聞いてきた。
ちょっと待ってくれ……。
俺の雇い主はタイタンだ。万物の源を回収して、手渡す。今、その目的が、まさに達成できそうになっている。ニュウニュウと敵対して、オリジンを引き渡せばいい。だが、俺はアンとロリアンドーロを復興するという約束もした。万物の源がタイタンの手に渡った場合、本当にそれは叶うのか? タイタンがロリアンドーロを奪回してくれなかったら? 魔族に占領されたロリアンドーロを、なんの力もない俺がどうやって取り戻す?
無理だ。
「角折りよ! 報酬は弾むぞ!」
タイタンが俺を横目で見て、ニヤリと笑う。
「あんなぁ、魔族に奪われた国を取り戻してくれるんなら、なんで滅ぼされそうになった時に助けに来てくれへんかったんや? ロリアンドーロを見殺しにした男が今更、助けてくれると思うんか? 嘘や! この男は、単純に魔力が湧き出す奇跡の道具を、手に入れたいだけなんや! 自分のためにな!」
ニュウニュウは杖を構え直して、声を上げた。タイタンは一瞬、ピクッと眉間にシワを寄せたが、すぐにあごを引いて獰猛な表情を取り戻した。人間とは思えない、獣人のようなギラついた視線でニュウニュウをにらむ。その横顔を見て確信した。そうだ。タイタンが本当にロリアンドーロのことを親身に考えてくれるのであれば、こんな交換条件は出さない。魔族がうようよしている危険な場所に行って、伝説の魔道具を取ってこいなんてハードルの高い条件を出さない。嘘だ。タイタンは自分のために、万物の源を探させただけなんだ。
「せやけど、それは奇跡の道具とは違うんやけどな! ホンマは! あんたに使いこなせるんかな?」
ニュウニュウはまた一歩、詰め寄った。俺は腹を決めた。心臓がバクバクと音を立て始める。これからやることは正解なのか、それとも間違っているのか、全くわからない。だけど、自分の直感を信じることにした。エリックを促すと、ライラを背負い直してニュウニュウの隣に駆け寄った。
「なんのつもりだ、角折り!」
「クリス、どういうつもり?!」
タイタンとマリアンヌが同時に怒りの声を上げる。体が重いのは、疲れているだけではない。伝説の冒険家の指示に逆らって、そのプレッシャーに対抗しようとしているせいだ。俺は唾を飲み込んで、足を踏ん張った。
「タイタンさん、あんた、本当にロリアンドーロを復興してくれんのか?」
自分の声ではないみたいだった。乾いて、かすれて、小さくて。緊張で、胃袋が何もしていないのに、ねじくれている感じがする。タイタンはキョトンとした顔をしてから、「はぁ?」と言って表情を歪めた。
「いや、本当にロリアンドーロを復興してくれるんですかって、聞いてるんですよ。もしかして、魔力が湧き出す道具がほしかっただけなんじゃないですか? オリジンを連れてキャルダモナに帰ったら、もう知らんぷりをするつもりなんじゃないんですか?」
必死に声を絞り出す。こんなこと聞いて、俺はどうしたいんだろう。「ノー」と言ってほしいのか? まさか「その通りだ」なんて認めてくれるはずはない。だけど、ここまで苦労してやってきて、仲間がたくさん傷ついて、その結果が偉そうなおっさんの私腹を肥やすだけだなんて、受け入れられない。聞かざるを得なかった。
「え? いやぁ、うーん……」
タイタンは杖を構えたまま、困った顔をして頭をかいた。
「僕はアン以外の指示は聞きませんよ」
ふいに別の声が割り込んできた。みんなが一斉にそちらに顔を向ける。オリジンだ。アンのそばで穏やかに笑っているが、口調は毅然としていた。
「僕は今回の持ち主を、アンに決めました。アンの指示でなければ動きません。僕を使いたいのであれば、アンを説得してください」
自分の頭上にあるアンの横顔を見上げて、フッと微笑むと、すうっと姿を消した。オリジンの顔があったあたりに、黒く輝く球体が現れる。アンは手を伸ばすと、それをそっと胸元に引き寄せた。
「アン、こっちに来い!」
タイタンはニュウニュウに杖を向けたまま、怒鳴った。隣でマリアンヌがうんうんとうなずいている。
「姫、あんたの味方はこっちやで!」
ニュウニュウも負けじと手を振って、声を張り上げる。アンは困った顔をして、タイタンからニュウニュウへと視線を動かした。そして、その隣にいる俺を見る。
なぜ、俺を見る。なんの力もない俺のことを、どうしてそんな目で見るんだ。アンの瞳は黒い。黒くてツヤツヤしている。底が深くて、どこまでも引き込まれそうだ。その目で見つめられると、放っておけない。
「アン、俺たちを信じてくれ!」
俺はアンの方へ、手を差し伸べた。
「アン、こんなやつらに何ができる! 国を奪い返すには、わしの力が必要だぞ!」
タイタンは再びがなり声を上げた。説得というよりも、恫喝だ。
「アン、このおっさんは自分のためにしか動かへん男や! 信じたらあかん!」
ニュウニュウが一歩、前進する。俺とエリックも一緒に踏み出した。
「アン、随分と遠回りしているけど、俺はロリアンドーロを取り戻すことを忘れたことはないよ! テイラーだってそうだ!」
そうだ。万物の源を回収して、アンとハーディーの故郷を取り戻すんだ。そんなあまりにも大きな目標に向かって、一歩ずつ進んできたんじゃないか。こんなちっぽけな俺が。ハーディーとテイラーに助けてもらいながら。
「ハーディーと俺なら、いつかきっとやり遂げてみせるから!」
気がつけば、両腕を差し出していた。アンは少し目を伏せて、戸惑いと悲しみが入り混じったような表情をしていたが、ふっと顔を上げると、少しだけ笑って「ァギャハッティです」と言って、足を踏み出した。
皆が息を呑んで、アンを見つめている。アンはしずしずと近づいてくると、タイタンの横を通り抜けて、ニュウニュウの前も通過して、そして俺の隣にやってきた。そっと俺の肩に手を置く。
「私は、ァギャハッティが信じた人を信じます」
ニコッと微笑みかけた。
「カーッ!」
杖を左手で構えたまま、タイタンは右手で顔を覆った。「なんじゃい、なんじゃい! わしはそんなに信用ならん人間なのか?」と叫びながら、ドスドスとその場で駄々っ子のように地団駄を踏み始めた。
「決着やなあ、タイタンはん。それともここで一戦、交えるか?」
ニュウニュウは少し体を起こして、ニヤリと笑った。杖はまだ構えている。タイタンはそれをチラリと見ると、フンと鼻を鳴らした。
「わしが勝てない喧嘩をする人間だと思っているのか? お前が一番、よく知っているだろう」
ヒュッと左手を振ると、杖がローブの内側に消えた。「チェッ」と舌打ちをすると、俺たちの横をスタスタと歩いて通り過ぎて行く。
「え? なんで? タイタンさん、戦って奪い取らないんですか?」
マリアンヌがあわてて後を追う。タイタンはチラッとマリアンヌを見ると、もう一度、「チェッ」と聞こえよがしに舌打ちをした。
「小娘、お前はアホなのか? あんなのと戦って、ただで済むわけがないだろうが」
あごをしゃくってニュウニュウを指すと、そのまま立ち去ろうとする。マリアンヌは立ち止まって振り返ったが、タイタンがそのままスタスタ行ってしまうので、また後を追いかけた。
「待ってください! 万物の源を見つけたのに、何もないんですか? うちのパーティーは2人もやられているんですよ?」
呼びかけにタイタンはピタッと立ち止まった。マリアンヌはその背中にぶつかって「キャッ!」と小さな悲鳴を上げて尻餅をついた。タイタンはものすごくわかりやすく面倒そうな顔をして、振り向いた。
「見つけただけで、手に入っていないではないか」
マリアンヌに顔を寄せて凄んだ。マリアンヌは「あ、あわわ……」と言葉を失っている。
「クエスト失敗なので、報酬をくれとは言いません。だけど、この2人だけはなんとかしていただけませんか? 早く処置しないと、本当に死んでしまいそうなので」
マリアンヌに代わって、ハンセンが口を開いた。タイタンはハンセンが背負っているイアソンと、小脇に抱えているリアムをジロリとにらんで「はぁ〜」と、またため息をついた。
「世話の焼けるやつらだなぁ。仕方ない。これは大サービスだからな。ほら、そこに下ろせ」
タイタンはハンセンにイアソンとリアムの遺体を地面に下ろさせた。2人の指先に細い糸を結ぶと、その先を自分の小指に結んだ。
「あとでキャルダモナに取りに来い。さっさと来ないと、放り出すからな。うちには無駄飯を食らわせる余裕はないんだ」
そう言い残すと、パッと手を上げた。フワッと足が地面から離れる。イアソンとリアムの体も、フワッと宙に浮いた。
「角折り、またな! わしは諦めたわけじゃないぞ!」
一瞬、目があった気がしたが、タイタンはすぐに夜空の奥へと顔を向けた。そのままグングンと空高く舞い上がって、見る見るうちに闇の彼方へと消えて行った。




