その男、食事をする
『第三章:食事とは戦い(サバイバル)だ。野生の証明として、獲物は自らの手で女の口へ運べ。
通称「あーん」は、雄の包容力と支配力を同時に高める至高の儀式である』
――幻の奇書『これ一冊でモテる!恋愛完全攻略』第41ページより抜粋
王都の高級レストラン『星屑の天秤』。
普段は貴族や豪商が優雅に食事を楽しむその場所が、今日ばかりは異様な緊張感に包まれていた。
原因は、窓際の特等席に鎮座する大柄な男――アーヴィン・クロムウェルだった。
「あ、あの……アーヴィンさん。今日はご馳走してくださって、ありがとうございます……っ」
向かいの席でガチガチに緊張しているのは、ギルドのS級受付嬢アイラだった。
先日の「お前、面白い女だな」事件以降、すっかりアーヴィンを「大人の魅力に溢れる情熱的な殿方」と勘違いした彼女が、決死の覚悟でランチに誘った結果だった。
アーヴィンは無言で頷き、運ばれてきたワイングラスを静かに傾ける。
その洗練された所作に、アイラはうっとりと頬を染めた。
だが、その実態は違った。
アーヴィンの脳内は、未曾有の大パニックに陥っていた。
(な、なぜ俺は女性と向かい合ってメシを食っているんだ!? 距離はテーブルを挟んでわずか一メートル! しかも相手はオシャレな私服! 眩しすぎる! 直視したら失明するのではないか!?)
ポーカーフェイスの裏側で、彼は絶望的なほどのプレッシャーと戦っていた。
歴戦のS級冒険者にとって、貴族御用達のフレンチなど未知の領域だった。
テーブルに並んだ大量のフォークとナイフは、魔王軍の拷問器具にしか見えなかった。
(落ち着け、俺。こんなこともあろうかと、あの本を暗記してきたじゃないか)
アーヴィンは脳内で愛読書のページをめくった。
――『食事デートでは、男らしさをアピールしろ。巨大な肉を自ら切り分け、女の口に運ぶ「あーん」を完遂すれば、彼女は一生お前の虜だ』
(これだ! やはり師匠の教えは完璧だった!)
アーヴィンは力強く頷いた。
彼はギャルソンを呼び止めると、メニューも見ずに重低音ボイスで言い放った。
「この店で一番デカい肉を持ってこい。……いや、焼かなくていい。レアで頼む」
数分後。
テーブルの中央にドンッ!と置かれたのは、血の滴る巨大な『キングボアの骨付き肉(約3キロ)』だった。
上品なフレンチの店に似つかわしくない、あまりにも野蛮な光景だった。
周囲の客たちがドン引きする中、アーヴィンは懐からサバイバルナイフ(ミスリル製・主にオークの解体用)を取り出した。
(見せてやる。俺の圧倒的なサバイバル能力を……!)
ザシュッ! ザシュッ!
アーヴィンは目にも止まらぬ速さで巨大肉を解体していく。
そして、一番分厚く、血が滴っている300グラムほどの肉塊をナイフの先端に深々と突き刺した。
「……口を開けろ」
殺傷能力抜群のミスリルナイフの先端が、鋭い凶器としてアイラの顔面に突きつけられた。
刃先には、滴る生肉。
食事の作法など完全に無視した、文字通りの『野生のあーん』だった。
傍から見れば、「食事に偽装した残虐な暗殺未遂」にしか見えなかった。
「ひっ……!?」
鋭い刃先を突きつけられ、アイラは恐怖で顔を引き攣らせた。
だが、アーヴィンは真剣だった。指南書によれば、これでアイラは一生自分の虜になるはずだった。
(さあ、食え! 男の甲斐性を受け取るんだ!)
鋭い眼光で見つめてくるアーヴィン。
逃げ場のないアイラの優れた頭脳は、極限状態の中でまたしても致命的なバグを引き起こした。
(こ、これは……試練!? 綺麗に盛り付けられた料理ではなく、あえて血の滴る肉を食らえと? つまりアーヴィンさんは、『私の本質』を試しているんだわ! 表面的な付き合いではなく、命がけの冒険を共にする覚悟があるのかって……!)
アイラの目に、強い光が宿った。
彼女は震える口を大きく開けると、ナイフの先端に刺さった生肉に喰らいついた。
「……んっ、美味しいです……っ!」
血生臭い肉を咀嚼しながら、アイラは満面の笑みを浮かべた。
(これで私も、アーヴィンさんにふさわしい女に一歩近づけた……っ!)と、謎の達成感に満ち溢れていた。
その姿を見たアーヴィンは、内心で安堵の息を吐き出した。
(よし、大成功だ! やはり『あーん』の破壊力は凄まじいな!)
彼は満足げに頷き、いつもの万能の呪文でこの完璧なデートを締めくくった。
「……お前、面白い女だな」
「あ、アーヴィンさん……っ!」
アイラは感動で胸を熱くしていた。
高級フレンチの店内で血まみれの肉を咀嚼する受付嬢と、それを見守る満足げな凶悪面のおっさん。
周囲の客たちが恐怖で震え上がる中、最強の冒険者の恋愛偏差値は、今日も順調に底辺を這いずり回っていた。




