その男、優しく頭蓋骨を砕く
『第二章:頭ポンポンは愛と支配の証明である。あえて力強く撫でることで、雄としての力強さと包容力を同時にアピールせよ』
――幻の奇書『これ一冊でモテる!恋愛完全攻略』第24ページより抜粋
王都近郊、『嘆きの谷』。
その名の通り、絶えず不気味な風切り音が鳴り響く険しい岩場に、巨大な魔物の断末魔が轟いた。
「ギ、ギャアアアァァァ……ッ!」
ドスーンッ! という地響きと共に倒れ伏したのは、体長五メートルを超える凶悪なレッドオーガだった。
分厚い皮膚と強靭な筋肉を持つその怪物を、アーヴィン・クロムウェルは、文字通り『素手』で沈めていた。
「……脆いな」
血振るいをするように軽く右手を払い、アーヴィンは短く息を吐いた。
この谷に住み着いたオーガの群れの討伐。
それがギルドから彼に指名で入った本日の依頼だったが、戦闘は開始からわずか三十秒で終了していた。
大人の男が朝のゴミ出しに行くのと同じくらいの労力である。
「す、すごすぎる……」
「あれが、S級冒険者……」
背後から震える声が聞こえ、アーヴィンはゆっくりと振り返った。
そこには、運悪くオーガの群れに遭遇し、腰を抜かして座り込んでいる若手パーティーの姿があった。
その中の一人、ローブを着た魔法使いの少女・ルルが、涙目でアーヴィンを見上げている。
「あ、ありがとうございます……! アーヴィン様がいなかったら、私たち……」
ルルの大きな瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
恐怖と安堵が入り交じった、可憐な少女の涙。
普通の男であれば、優しく微笑みかけ、手を差し伸べる場面だった。
――しかし、アーヴィンの脳内では、またしても緊急アラートがけたたましく鳴り響いていた。
(な、泣いている! 女性が俺の目の前で泣いているぞ!? 距離はわずか一メートル! どうすればいい!? 放置すれば『冷酷な男』の烙印を押されてしまうのではないか!?)
無表情な顔の裏側で、アーヴィンの思考は完全にパニック状態に陥っていた。
魔王の放つ絶望のオーラには微塵も動じない強靭な精神も、泣いている小娘の前ではスライム以下の耐久力しかなかった。
(落ち着け、俺。師匠の教えを……あの本の記述を思い出すんだ……!)
アーヴィンは脳内の引き出しから、擦り切れるほど読み込んだ愛読書のページを乱暴にめくった。
――『女性が落ち込んでいたり、泣きそうな時は、力強く頭を撫でてやれ』
(これだ……!)
アーヴィンは確信した。頭を撫でる。
通称『頭ポンポン』。
自称恋愛評論家が書いた、全く根拠のないアドバイスを、歴戦の英雄は神の啓示のように受け入れた。
彼は無言のまま、ゆっくりと右手を持ち上げた。
幾千の魔物を屠り、ドラゴンの鱗すら粉砕してきた、丸太のように太く、岩のように硬い巨大な手。
それを、ルルの小さな頭へと躊躇なく伸ばす。
(力強く、そして包容力をアピールだ……!)
ガシッ!!!
「ひぐっ!?」
ルルの頭から、メシリ、と嫌な音が鳴った。
撫でるというより、それは完全にプロレス技の『アイアンクロー』だった。
緊張で完全に力加減を間違えたアーヴィンの巨大な手が、ルルの頭をミシミシと圧迫する。
(どうだ? 安心感を与えられているか?)
アーヴィンは真剣な眼差しでルルを見つめていた。
傍から見れば、「感謝の言葉が足りないため、見せしめに頭を握りつぶそうとしている残酷な処刑人」にしか見えない構図だった。
しかし、当のルルは違った。
(な、なんてゴツゴツして、大きくて、力強い手……! これが、本物の英雄の手……っ!)
ルルの脳内では、まったく別の化学反応が起きていた。
圧倒的な死の恐怖から救われた直後の、吊り橋効果。
さらに、頭部をガッチリとホールドされることで生じる、謎の被支配感。
(それに、この圧倒的な力。私の命なんていつでも握りつぶせるのに、あえて力を抑えて(※抑えていない)、未熟な私に冒険者の厳しさと、生きている実感を与えてくれているんだわ……!)
ギリギリと頭蓋骨が軋む中、ルルの顔が恐怖から一転、とろけるような熱情を帯びて真っ赤に染まっていった。
「あ、アーヴィン様……私、もっともっと強くなります……! だから、これからも私を……見ていてください……っ!」
潤んだ瞳で、熱烈な視線を送ってくるルル。
その反応に、アーヴィンは内心で安堵の息を漏らした。
(よし、上手くいったぞ! 何を言っているかはよく分からんが、とりあえず例の万能の呪文(第12ページ参照)で締めておくか!)
アーヴィンはルルの頭から手を離し、ゆっくりと背を向けながら、低く渋い声で言い放った。
「……お前、面白い女だな」
「ふぇっ……!?」
ルルの口から、限界を迎えたような色っぽい声が漏れた。
彼女は両手で真っ赤な顔を覆い、その場にへたり込んでしまう。周囲のパーティーメンバーたちも「ルルがアーヴィン様に認められた……!」と勝手に感動してざわめいていた。
(見たか師匠。やはり頭ポンポンは絶大な効果だったぞ。愛読書、一生ついていきます!)
最強の冒険者は、今日もまた一つ勘違いを重ね、そして無自覚なまま新たな犠牲者を生み出してしまったのだった。




