episode.07「数え間違えた足音」
私たちはそのまま崩れ落ちた天井の破片を避けながら、足元に散らばる瓦礫を踏まないように気を配りつつ、さらに館の奥へと足を踏み入れた。
先ほどまでの「アミューズメントの演出だよね」というお互いを安心させるための軽口は、もう誰の口からも出てこなかった。笑い声は完全に消え失せ、代わりに聞こえるのは、自分たちの荒々しい呼吸の音と、足元を叩く不安げな足音だけだ。
頼りなげなスマートフォンのライトの光が、湿ったコンクリートの壁と、ところどころ剥がれて黒く変色した不気味な壁紙を痛々しく照らし出す。
進めば進むほど空気は重くなり、肺が凍りつくような底冷えする冷気が体を満たした。肌を撫でる湿った風には、鉄の錆びた臭いと、長い年月が作り出した澱んだ土の匂いが混じっている。
「ねえ……ここ、さっきから同じ場所グルグル回ってない?」
はんなが恐怖に震える小さな声で、れむの袖をぎゅっと強く引いた。その指先は白くなるほど力が入っている。
「そんなわけ……あ、でも、このひび割れた壁、さっきも通った気がする」
れむがピタリと立ち止まり、青ざめた顔で周囲の壁を見回す。ライトの光が揺れ、不気味な影が壁を這うようにうねった。
「きっとこれも演出だよ」
「そうだよ、同じような心理的錯覚を起こさせるための、迷路の仕立てなんじゃない?」
「ウソでしょ? じゃあ出口はどこなのよ……こんなの、本当に出られるの……?」
きょうが強がりを捨てきれない、ひどく掠れた声でそう呟いたが、その細い足は小さくブルブルと震えていた。
「落ち着いて、みんな。きっと先には出口があるはずだから……!」
まなせがリーダーシップを取ろうと必死に声を張り上げるが、その声は張り詰めた恐怖に耐えきれず、ひどく心細く掠れていた。みんな、心の中ではすでにパニックの瀬戸際に立っている。お互いの衣服の裾や肩を掴み合い、少しでも離れまいと必死に身を寄せ合っていた。
◇
誰もが限界寸前の極限状態を必死にこらえながら、私たちは肩を寄せ合うようにして、狭く淀んだ廊下を進んだ。
そのときだった。
――ザッ、ザッ。
私たちの荒い足音とは明らかに違う、もう一つの乾いた足音が、すぐ後ろからついてきているのを、私たちは聞いた。
「っ……いま、後ろに誰かいなかった?」
ほむらがピタリと足を止め、おびえた目で、まるで何か恐ろしいものを見るような足取りで背後の暗闇を振り返った。
「ば、馬鹿なこと言わないでよ! 私たちが最後って、さっき係の人が言ってたじゃない!」
きょうが半泣きになりながら叫ぶように言ったが、そんな言葉の否定とは腹に、誰もがその「足音」をはっきりと、耳のすぐ後ろで聞いていた。
1、2、3、4、5、6……。
私たちは、お互いの顔を確認するようにパッと見渡した。
確かに、ここに全員いる。
なのに、どうして。
どうして背後から聞こえる足音は、明らかに私たちより数が多いのだろう。足音の数は、確実に1つ多い――。
「……ねえ」
めろが、完全に上擦った、消え入りそうな声で呟いた。
「私たちの足音、増えてない……?」
その問いかけは、まるで最悪の呪文のようだった。その言葉を合図にしたかのように、天井の薄暗い非常灯が、ジジジと不気味なノイズのような音を立ててパチパチと明滅し――プツリと消えた。
完全な暗闇が、容赦なく、冷酷に私たちを飲み込む。
「きゃあっ!」
誰かの悲鳴が、恐怖に満ちた暗闇に鋭い裂け目を入れた。その闇の奥から、耳を塞ぎたくなるほど底冷えするような「声」が、這い寄るように響いてきた。
――ねえ、こっちだよ。こっちにおいでよ。
「うそ、後ろから……っ!?」
――ねえ、こっちだよ。ひとりぼっちにしないでよ。こっちにおいでよ。
人のものとは思えない、歪んだ粘り気のある声。
異様な気配に導かれるように、はんなが半狂乱になりながら、携帯のライトを背後へ向けた。
「っ……あれ見て! 近づいてくる……っ!」
震える光が照らし出したのは、目を疑うような光景だった。
闇の向こう。人間のものとは思えない、ぐにゃりと不自然に歪んだ関節で這いずるように、あるいは薄暗い天井からクモのように逆さに吊り下がるように、常軌を逸した「それ」が、信じられないほどの猛烈なスピードでこちらへ滑り込ん来てきている。
アミューズメントの仕掛けや機械の人形などではない。それは、生々しい悪意と狂気をまとった、紛れもない本物の異形だった。
「なにあれ……!? さすがに本物じゃない、ウソでしょ……うそでしょっ……!」
「いやだ、来ないで……来ないでよっ!」
恐怖のあまり足が完全にすくみ、その場に崩れ落ちそうになりながら泣き叫ぶ声を切り裂くように、まなせが必死の形相で絶叫した。
みんなを守りたいのに、私の声は彼女たちの耳には届かない。私は恐怖に震え、涙を流すみんなの背中を見つめながら、ただ必死に心の中で祈るしかなかった。
「呆気にとられてる場合じゃない! みんな、走って――っ!!」
まなせの叫び声に背中を押されるように、私たちは一斉に闇の中へと走り出した。終わりの見えない、絶望的な逃走劇が、こうして幕を開けたのだった。




