第六十三話 もう逃げない
クリス殿下が襲われた。
その事実が。
頭の中から離れなかった。
「殿下は、どこに?」
「治療室です。」
「案内してください!」
「フラン様、お待ちください!」
騎士の制止を振り切るように。
私は走った。
◇ ◇ ◇
治療室の扉を開ける。
「殿下!」
「フラン?」
ベッドの上に。
クリス殿下がいた。
肩を布で固定されている。
「……怪我を?」
「かすり傷です。」
「かすり傷って……。」
私は駆け寄った。
「本当に大丈夫なんですか?」
「はい。」
クリス殿下が微笑む。
「心配させてしまいましたね。」
「当たり前です……。」
声が震える。
「殿下が襲われたって聞いて……。」
「……。」
クリス殿下が私の手を取る。
「もう大丈夫です。」
「でも……。」
「犯人は捕まっていません。」
「……はい。」
「だから。」
クリス殿下が私を見る。
「あなたを安全な場所へ移します。」
「どこへ?」
「王宮の奥にある離宮です。」
「離宮……。」
「人の出入りが少なく、警備も厳重です。」
私は黙って考えた。
これまでなら。
守られることを受け入れていた。
けれど。
今回は違う。
クリス殿下まで傷ついた。
私のせいで。
「……嫌です。」
「え?」
クリス殿下が驚く。
「私は、逃げたくありません。」
「フラン。」
「私が隠れている限り、犯人はまた誰かを狙うかもしれません。」
「だからといって、あなたを危険に晒すわけにはいきません。」
「分かっています。」
私はクリス殿下の手を握る。
「だから、殿下と一緒に立ち向かいたいんです。」
「……。」
「婚約者だから。」
クリス殿下の目が揺れる。
「私は、殿下に守ってもらうだけの人になりたくありません。」
「フラン……。」
「私も、殿下を守りたいです。」
しばらく。
クリス殿下は何も言わなかった。
やがて。
「……分かりました。」
「本当ですか?」
「はい。」
そして。
「ですが、一つだけ条件があります。」
「何ですか?」
「私のそばを離れないこと。」
「はい。」
「絶対に。」
「約束します。」
クリス殿下は安心したように笑った。
「ありがとうございます。」
◇ ◇ ◇
その夜。
私たちは国王陛下のもとへ向かった。
「フラン嬢。」
「はい。」
「怖くないのか?」
陛下に尋ねられる。
「怖いです。」
私は正直に答えた。
「ですが。」
隣にいるクリス殿下を見る。
「逃げたくありません。」
陛下はしばらく私を見つめていた。
そして。
「……強くなったな。」
「ありがとうございます。」
「クリス。」
「はい。」
「この娘を守れ。」
「もちろんです。」
陛下が頷く。
「そして。」
表情が変わる。
「敵を必ず見つけ出せ。」
「はい。」
◇ ◇ ◇
その頃。
王宮の外れ。
一人の男が夜の街を歩いていた。
「第一段階は成功した。」
手には。
古い王家の紋章が刻まれた指輪。
「王子は傷ついた。」
男は笑う。
「だが、まだ足りない。」
その時。
背後から声がした。
「何が足りないの?」
「……!」
男が振り返る。
そこには。
昼間、フランの前から逃げた女性が立っていた。
「あなた……。」
「次は、私が動く。」
「しかし――。」
「大丈夫。」
女性は微笑んだ。
「次は、彼女の一番大切なものを利用する。」
「……クリス殿下を?」
「違う。」
女性が静かに答える。
「花屋よ。」
男の顔から笑みが消えた。
「まさか……。」
「彼女が絶対に無視できない場所。」
女性は歩き出す。
「そこへ、誘い込むの。」
その頃。
私はまだ知らなかった。
大切な花屋が。
次の罠に使われようとしていることを。




