第六話 名前
翌日。
今日もクリス殿下は花屋を訪れた。
「こんにちは。」
「いらっしゃいませ。」
もはや店主も驚かない。
「あ、殿下。今日は新しく白いバラが入ったんですよ。」
店主が笑顔で声をかける。
「そうですか。」
クリスは静かに花へ視線を向ける。
その横で私は花束を包み始めた。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「はい。」
花束を受け取ったクリスは、そのまま帰る……かと思った。
「フラン。」
「はい?」
「昨日、お母様はお元気そうでした。」
私は固まった。
「…………え?」
どうして。
どうして母のことを知っているの?
私は昨日、家で母と話していただけなのに。
「えっと……。」
思わず一歩後ずさる。
「な、なんで知ってるんですか?」
クリスは少しだけ首をかしげた。
「昨日、お迎えした時に家の前でお会いしました。」
「……あ。」
そうだった。
昨日、家の前までついて来られたんだった。
母も玄関から出てきて……。
「母が何か失礼なことを?」
「いいえ。」
クリスは静かに首を振る。
「『いつも娘がお世話になっております』と。」
私は顔を覆った。
(お母さん……!)
絶対勘違いしてる!
◇ ◇ ◇
花を買い終えたクリスが帰ろうとすると、店主が笑いながら言った。
「殿下は、フランの名前をよく呼ばれますね。」
クリスが足を止める。
「そうでしょうか。」
「ええ。最初は『あなた』だったのに、今は『フラン』ですから。」
私はその言葉に、はっとした。
そういえば。
本当だ。
いつからだろう。
自然に名前で呼ばれるようになっていた。
「名前で呼んでは、いけませんでしたか。」
クリスが私を見る。
「い、いえ! そんなことはありません!」
「そうですか。」
それだけ言って、いつものように店を出て行く。
私は胸に手を当てた。
……なんだろう。
名前を呼ばれただけなのに。
少しだけ、嬉しかった。
その頃。
馬車の中では。
「殿下。」
護衛騎士が真剣な顔で口を開く。
「なんですか。」
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか。」
「構いません。」
「なぜフラン嬢だけ、お名前でお呼びになるのですか?」
クリスは少し考えた。
「……その方が呼びやすいからです。」
「それだけですか?」
「はい。」
護衛騎士は深くため息をつく。
(殿下……。)
(それが特別扱いなんです……。)
だが当の本人は、そのことにまったく気付いていなかった。




