第五十七話 花屋に迫る影
王宮を出ると。
クリス殿下は、私の手を離さなかった。
馬車の中でも。
ずっと。
「殿下。」
「はい。」
「そんなに強く握らなくても大丈夫ですよ。」
「……すみません。」
そう言いながらも。
手は離れない。
「怖いですか?」
「少し。」
「私もです。」
「え?」
クリス殿下が私を見る。
「あなたに何かあるかもしれないと思うと、怖いです。」
「殿下……。」
「だから。」
握る手に、少しだけ力が入る。
「絶対に守ります。」
「はい。」
私は小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
花屋へ到着すると。
店の前に騎士が二人立っていた。
「フラン様!」
「何があったんですか?」
「先ほど、店の周囲を何度も行き来している男を確認しました。」
「どんな人ですか?」
「黒い外套を着ていました。」
クリス殿下の表情が険しくなる。
「顔は?」
「帽子で隠していました。」
「追いましたか?」
「はい。」
騎士が首を横に振る。
「路地に入ったところで見失いました。」
「分かりました。」
クリス殿下は店の中を見る。
「店主は?」
「中にいます。」
扉を開ける。
「フラン!」
店主さんが駆け寄ってきた。
「無事だったかい?」
「はい。」
「良かった……。」
店主さんが安心したように息を吐く。
「さっき変な男が店の前にいたんだ。」
「何か言われましたか?」
「いや。」
店主さんは首を横に振る。
「ただ、ずっと店を見てた。」
クリス殿下が黙り込む。
「……やはり。」
「殿下?」
「ここも安全ではありません。」
「え……。」
私は店内を見回した。
ずっと働いてきた場所。
大切な場所。
それなのに。
そこまで危険になってしまった。
「しばらく店を閉めましょう。」
「そんな……。」
「店主さん。」
クリス殿下が頭を下げる。
「申し訳ありません。」
「殿下が謝ることじゃないよ。」
店主さんは私を見る。
「フランが無事なら、それでいい。」
「店主さん……。」
「また安全になったら、いつでも戻っておいで。」
「はい……。」
目が熱くなる。
◇ ◇ ◇
店を出る。
馬車へ向かう途中。
「……。」
私はふと足を止めた。
「どうしました?」
「今……。」
道の先。
人混みの中に。
黒い外套の男が見えた。
「殿下。」
指を向ける。
「……あの人。」
クリス殿下が振り向く。
「どこですか?」
「今、あそこに……。」
しかし。
もういない。
「……消えました。」
クリス殿下が周囲を見る。
「騎士!」
「はい!」
「周囲を探せ!」
「承知しました!」
二人の騎士が走っていく。
クリス殿下は私の前に立った。
「フラン。」
「はい。」
「絶対に動かないでください。」
「分かりました。」
その時。
路地の奥から。
「……!」
何かが飛んできた。
クリス殿下が私を抱き寄せる。
カンッ!
何かが地面に落ちた。
小さなナイフだった。
「フラン!」
「殿下……!」
クリス殿下が私を庇うように立つ。
騎士たちが一斉に周囲を見回す。
「犯人を探せ!」
「はい!」
けれど。
人混みの中に。
男の姿はもうなかった。
クリス殿下は地面に落ちたナイフを見つめる。
そして。
低い声で呟いた。
「……もう、警告ではない。」
その瞳から。
いつもの穏やかさが消えていた。
「本気で、あなたを殺そうとしている。」
私は息を呑んだ。
そして。
クリス殿下は私を強く抱きしめた。
「絶対に許さない。」
その声には。
今まで聞いたことのないほどの怒りが込められていた。




