第四十七話 婚約者としての一日
しばらくすると。
クリス殿下が書類から顔を上げた。
「お待たせしました。」
「もう終わったんですか?」
「はい。」
「思ったより早かったですね。」
「フランが待っているので。」
「……。」
まただ。
この人は本当に、私を喜ばせる言葉を自然に言う。
「それで、今日はどこへ行くんですか?」
「まだあります。」
「まだ?」
クリス殿下が立ち上がる。
「はい。」
そして、私の前まで来る。
「婚約者として、一緒に行ってほしい場所があります。」
「どこですか?」
「庭園です。」
「庭園?」
「はい。」
執務室を出て、二人で廊下を歩く。
しばらくして。
昨日とは違う庭園に出た。
「わあ……。」
目の前に広がっていたのは、色とりどりの花だった。
赤。
白。
黄色。
紫。
たくさんの花が綺麗に並んでいる。
「綺麗ですね。」
「気に入りましたか?」
「はい。」
私は花を眺めながら歩く。
「ここは王宮の中でも、あまり人が来ない場所です。」
「そうなんですか?」
「はい。」
「どうして私をここへ?」
クリス殿下が少し考える。
「花が好きなあなたに、見せたかったので。」
「……。」
私は思わず笑った。
「殿下。」
「はい。」
「私のこと、本当に覚えてくれてますね。」
「当然です。」
クリス殿下が私を見る。
「好きなものも。」
一歩、近づく。
「嫌いなものも。」
さらに一歩。
「あなたが嬉しそうにすることも。」
「……。」
「できるだけ覚えていたいと思っています。」
胸が温かくなる。
「私も、殿下のことをもっと知りたいです。」
「では。」
クリス殿下が手を差し出す。
「これから少しずつ。」
「はい。」
私はその手を取った。
◇ ◇ ◇
庭園を歩いていると。
「クリス殿下。」
後ろから声がした。
振り返る。
「……。」
数人の令嬢が立っていた。
その中には。
夜会で私に声をかけてきた令嬢もいた。
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
私は挨拶をする。
令嬢たちは私を見た。
そして。
「正式に婚約されたそうですね。」
「はい。」
「おめでとうございます。」
笑顔ではある。
けれど。
その目は笑っていなかった。
「ありがとうございます。」
私は丁寧に答える。
すると、一人の令嬢がクリス殿下を見る。
「殿下。」
「はい。」
「少し、お話があるのですが。」
「今はフランと一緒です。」
「……。」
令嬢の表情が固まる。
「大切なお話です。」
「後にしてください。」
クリス殿下は即答した。
「今は、婚約者との時間を優先します。」
「……承知しました。」
令嬢たちは頭を下げる。
そのまま去っていった。
「殿下。」
「はい。」
「大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「少し、怒っているように見えました。」
「怒ってはいません。」
「本当ですか?」
「はい。」
クリス殿下が私を見る。
「ただ。」
「はい?」
「フランとの時間を邪魔されたくなかっただけです。」
「……。」
私は思わず笑ってしまった。
「殿下らしいですね。」
「そうですか?」
「はい。」
クリス殿下も少し笑った。
その横顔を見ながら。
私は繋いだ手に、そっと力を込めた。
婚約者になった。
その実感が。
少しずつ、胸の中に広がっていった。




