第三十六話 氷の王子が知った幸せ
クリス殿下の手が、頬に触れている。
私はゆっくり目を閉じた。
すると。
唇に、柔らかな温度が触れた。
ほんの一瞬。
それだけだった。
クリス殿下が離れる。
「……。」
私は目を開けられない。
心臓が、うるさい。
「フラン。」
「……はい。」
「大丈夫ですか。」
「……分かりません。」
自分でも何を言っているのか分からない。
顔が熱い。
きっと今、真っ赤だ。
「私もです。」
「え?」
恐る恐る目を開ける。
クリス殿下はいつものように落ち着いた顔をしていた。
けれど。
耳が少し赤い。
「殿下も緊張していたんですか?」
「はい。」
「全然そう見えませんでした。」
「努力していました。」
思わず笑ってしまう。
「ふふっ。」
「……。」
クリス殿下が私を見る。
「何ですか?」
「今、笑いましたね。」
「殿下もですよ。」
「そうですか?」
「はい。」
クリス殿下は少し考える。
「そうかもしれません。」
「嬉しいんですね。」
「はい。」
迷いのない返事だった。
「とても。」
「……。」
また胸が熱くなる。
「そんなに嬉しいんですか?」
「はい。」
クリス殿下は私を真っ直ぐ見つめる。
「あなたと想いが通じたので。」
「……。」
「今までで一番嬉しいです。」
胸が大きく跳ねた。
「殿下。」
「はい。」
「そういうことを真顔で言うの、ずるいです。」
「なぜですか?」
「恥ずかしいからです。」
「そうですか。」
クリス殿下は少しだけ考える。
「では。」
「はい?」
「これから慣れてください。」
「え?」
「私は、これからも何度でも伝えます。」
「……。」
「フランが好きだと。」
顔が一気に熱くなる。
「もう……。」
私は両手で顔を覆った。
「殿下は、本当に変わりましたね。」
「そうでしょうか。」
「はい。」
以前のクリス殿下なら。
こんなことを平然と言う人ではなかった。
けれど。
今は。
好きになった相手には、惜しみなく想いを伝える。
それが、この人なのだ。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
「そろそろ帰りましょう。」
クリス殿下が言った。
「はい。」
私は立ち上がる。
王宮の廊下を二人で歩く。
いつもなら少し距離を空けて歩いていた。
けれど今日は。
クリス殿下が自然に手を差し出した。
「……?」
「手を。」
「はい?」
「繋いでもいいですか。」
私は少しだけ驚いた。
「さっきは、聞かずに触れましたよね。」
「はい。」
「今度は聞くんですか?」
「恋人になったばかりなので。」
「……。」
「あなたが嫌なことは、したくありません。」
その言葉が嬉しかった。
「嫌じゃないです。」
私はそっと手を重ねる。
クリス殿下の指が、私の手を包んだ。
「……。」
「どうしました?」
「いえ。」
クリス殿下は前を向いたまま答える。
「嬉しいだけです。」
繋いだ手に、少しだけ力がこもる。
「殿下。」
「はい。」
「強いです。」
「すみません。」
すぐに力が緩む。
「……ですが。」
「はい?」
「離したくありません。」
「……ふふ。」
私は笑う。
「じゃあ、少しだけこのままで。」
「はい。」
クリス殿下は満足そうに頷いた。
◇ ◇ ◇
王宮の外。
馬車へ向かう途中。
クリス殿下が足を止めた。
「フラン。」
「はい?」
「一つ、お願いがあります。」
「何ですか?」
「明日も会いたいです。」
「……。」
「明後日も。」
「殿下。」
「はい。」
「もう恋人になったからって、毎日会おうとしてません?」
「はい。」
「否定しないんですか?」
「する必要がありません。」
真顔で言われる。
「私は、今まで以上にあなたに会いたいと思っています。」
「……。」
「恋人になったので。」
その言葉に。
私はまた笑ってしまった。
「分かりました。」
「本当ですか?」
「はい。」
「明日も会えますか?」
「はい。」
クリス殿下の目が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「楽しみにしています。」
氷の王子。
そう呼ばれていた人は。
恋を知ってから。
少しずつ変わっていった。
そして今。
その想いは、もう隠すつもりすらないらしい。




