第三十二話 嫉妬
いつものように。
クリス殿下と並んで歩く朝。
「おはよう、フランちゃん!」
明るい声が聞こえた。
振り向くと、パン屋の前で一人の青年が手を振っている。
「あ、おはようございます!」
私も笑顔で手を振り返した。
「今日も仕事?」
「はい!」
「頑張ってね!」
「ありがとうございます!」
短いやり取り。
それだけだった。
なのに。
隣から何も聞こえない。
「……殿下?」
クリス殿下を見る。
いつも通り無表情。
……のはずなのに。
どこか様子がおかしい。
「どうしました?」
「いえ。」
「何でもありません。」
そう言うけれど。
何でもない人には見えない。
◇ ◇ ◇
花屋へ向かって歩き続ける。
さっきまで毎日のように話しかけてくれていたクリス殿下が、今日は静かだった。
「殿下。」
「はい。」
「何かありましたか?」
「ありません。」
「本当に?」
「はい。」
少し間が空く。
そして。
「一つだけ。」
「え?」
「先ほどの男性は、どなたですか。」
「パン屋さんの息子さんです。」
「そうですか。」
また静かになる。
「小さい頃から知っている方なんです。」
「……。」
「昔から家族ぐるみのお付き合いで。」
「そうですか。」
やっぱり。
少しだけ声が低い。
「殿下。」
「はい。」
「もしかして……。」
私は恐る恐る聞いた。
「気になってるんですか?」
「はい。」
即答だった。
「えっ?」
「あなたが、楽しそうに話していました。」
「それは……。」
「笑っていました。」
「え?」
「私以外の男性に。」
「…………。」
一瞬。
頭が止まる。
「えっと。」
「はい。」
「それって。」
私はおそるおそる口を開く。
「嫉妬……ですか?」
クリス殿下は少しだけ考えた。
「嫉妬。」
その言葉を繰り返す。
「これが、嫉妬ですか。」
「知らなかったんですか!?」
「初めてなので。」
真顔で答えられる。
思わず吹き出してしまった。
「殿下。」
「はい。」
「そんなことで嫉妬するんですか?」
「そんなことではありません。」
クリス殿下は真っ直ぐ私を見た。
「フランが楽しそうに笑う姿は。」
一拍。
「できれば、一番近くで見ていたいです。」
「……。」
胸が熱くなる。
「殿下。」
「はい。」
「それはずるいです。」
「なぜですか。」
「そんなことを言われたら……。」
言葉の続きが出てこない。
「私は。」
クリス殿下が静かに言う。
「まだ恋を知ったばかりです。」
「はい。」
「ですから。」
「はい。」
「時々、正しい行動が分かりません。」
氷の王子。
誰よりも冷静な人だと思っていた。
でも。
恋をしたこの人は、不器用で。
真っ直ぐで。
少しだけ可愛らしい。
「大丈夫ですよ。」
気づけば、そう口にしていた。
「殿下は、そのままでいいと思います。」
「……。」
クリス殿下は少しだけ目を見開く。
「ありがとうございます。」
その声は。
いつもより、ほんの少しだけ優しかった。




