第十六話 準備は完璧です
翌日。
私は朝から何度も、昨日渡された招待状を見つめていた。
「本当に行くのか?」
店主が苦笑する。
「分かりません。」
私は正直に答えた。
「でも……。」
昨日のクリス殿下の言葉を思い出す。
『私がいます。』
あの真っ直ぐな言葉。
断る理由を探していたはずなのに。
心は少しだけ揺れていた。
その時。
カラン。
「こんにちは。」
「……。」
来た。
「クリス殿下。」
「こんにちは、フラン。」
いつも通りの落ち着いた声。
「昨日のお返事を伺いに参りました。」
私は一度深呼吸する。
「殿下。」
「はい。」
「私、本当に何も分かりません。」
「はい。」
「夜会の作法も、貴族の方との接し方も。」
「はい。」
「それでも……。」
私は招待状を握りしめる。
「参加しても、いいのでしょうか。」
クリス殿下は迷うことなく答えた。
「もちろんです。」
あまりにも迷いのない返事だった。
「……。」
「私は、来ていただきたいと思っています。」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
「分かりました。」
私は小さく頷いた。
「参加します。」
「ありがとうございます。」
クリス殿下は静かに頭を下げる。
「では、準備を進めます。」
「準備?」
その言葉に首を傾げる。
すると。
店の外から馬車の音が聞こえた。
「……まさか。」
「ドレスを選びに行きます。」
「え?」
私は目を丸くする。
「ですが、夜会まであと3日しかありませんよ?」
「承知しています。」
「それなのに、ドレスを用意できるんですか?」
「はい。」
あまりにも迷いなく答えられる。
「……いつの間に?」
「昨日のうちに準備しました。」
「昨日?」
私は思わず聞き返す。
「でも、私が参加すると決めたのは今ですよね?」
「はい。」
クリス殿下は静かに頷いた。
「ですが、あなたが困る可能性を考えました。」
「……。」
「参加する場合も。」
一拍置く。
「断る場合も。」
その言葉に、少し驚く。
「どちらの返事でも、あなたが困らないようにしておきたかったのです。」
相変わらず表情は変わらない。
でも。
その準備が、私のためだったことは分かった。
「……殿下。」
「はい。」
「本当に、行動が早いですね。」
「そうでしょうか。」
「はい。」
思わず笑ってしまう。
「普通は返事をもらってから準備すると思います。」
「なるほど。」
クリス殿下は真剣に頷いた。
「次から気をつけます。」
「次がある前提なんですか!?」
私の声が店内に響く。
店主が後ろで笑っている。
クリス殿下はいつもの無表情のまま、馬車へ視線を向けた。
「では。」
「はい。」
「参りましょう。」
差し出された手。
少し前なら、迷っていたかもしれない。
けれど。
「……お願いします。」
私はそっと、その手を取った。
こうして私は。
人生で初めての王宮夜会へ向けて、準備を始めることになった。




