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死ぬ前に、君は俺を見る  作者: HATENA 
第1章「視界」

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第9話

 翌日の朝、学校では河川敷の事故が話題になっていた。

「意識は戻ったらしい」

誰かの声が廊下で響く。


 湊はその言葉だけを拾って、

胸の固さが少し緩むのを感じた。

助かった。

そう思っていいのか分からないまま、

呼吸がひとつ深く入る。


 昼休み、春名が机の横に来た。


「昨日の人、搬送先分かった」


 小声だった。

プリントを置くふりでメモを渡す。

病院名と病棟階数。


「行くの?」


 湊は一秒迷って、うなずく。

春名は目をそらす。


「私も行く。

 一人にすると、また勝手に消えるから」


 放課後、二人で病院へ向かった。

受付の空気は乾いていて、消毒液のにおいが強い。

エレベーターの鏡に映る湊の顔は、

自分で思っているより青かった。


 病室の前で看護師に止められる。

家族以外の面会は難しい。

短いやり取りの末、

廊下の端から様子だけ確認することになった。


 カーテンの隙間から、白いシーツと

ベッド柵に固定された点滴が見えた。

胸の上下は、遠目にも分かる。


 生きている。

それだけを確かめに来たはずだった。

湊はそこで初めて、肩の力が少し落ちた。


 その瞬間、耳の奥で乾いた音が鳴る。

高い。

細い。

嫌な高さ。


 視界が暗く切り替わった。


 天井灯が流れる。

車輪の振動。担架の軋む音。

胸の奥が詰まって、息が吸えない。


 喉に何かが当たる。

冷たい管。吐きたいのに吐けない。

手首が固定されて、指先だけが震える。


 誰かが名前を呼ぶ。

聞き慣れない名字。

その声の向こう、廊下の端に制服姿の影。


 神代。


 湊は病院の壁に手をついて、

視界が戻るのを待つ。

春名がすぐ横で息を呑んだ。


「また?」


 湊はうなずく。

喉が乾き、声にならない。


「ここ、離れたほうがいい」


 自分でも意味が分からない言葉だった。

春名は眉を寄せる。


「誰を?」


 湊は病室を指す。

春名はその指先を見る。

数秒黙って、短く言った。


「無理」


 その返答は現実的で、正しい。

面会制限。医療管理。家族判断。

見知らぬ高校生が「危ないから移して」と言っても通らない。


 湊は看護師に声をかけようとして、足が動かない。

言葉の順番が崩れる。


「あの、今、あの人、呼吸、」


 看護師は訝しげに見る。

直後、病室の中で電子音が変わった。

短く連続して鳴る。


 看護師が振り返り、すぐに中へ走る。

別のスタッフが駆け寄る。

カーテンが閉められる。


 湊の耳には、

そのカーテンレールの音だけが異様に大きく残った。


 春名が湊の腕を掴む。


「離れる」


 拒否する前に引かれる。

廊下の角を曲がり、待合の椅子まで来て、

湊はやっと座った。


 数分後、病棟が慌ただしくなる。

家族らしい女性の泣き声。

誰かが低い声で「残念ですが」と繰り返す。


 湊は膝の上で両手を組み、

爪が食い込むほど握った。

痛みが遅れてくる。


 春名は横で、何も言わずに前を見ている。

ただ、呼吸だけが浅い。


 エレベーターで下へ降りるとき、

春名が壁にもたれて目を閉じた。


「神代くん」


 小さい声。


「さっき、私、

 『無理』って言った」


 湊は返事をしない。

春名は続ける。


「あれ、たぶん正しかった。

 でも、正しいだけで間に合わないこと、あるんだね」


 扉が開く。

一階のロビーは人で混んでいた。

誰もこちらを見ない。


 外へ出ると、

夕方の空気はぬるかった。

湊はそれでも寒気が止まらず、

腕を押さえても震えが引かない。


 助かったと思った。

それが一番先に浮かんだこと自体、胸の内側に重く残る。


 春名がタクシーの列を見ながら言う。


「今日、送る」


 湊は首を振る。

春名は一歩近づく。


「送る。

 これは相談じゃない」


 その言い方に逆らう力がなく、

湊はうなずいた。


 タクシーの窓に映る自分の顔は、

前より少しだけ薄く見えた。

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