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死ぬ前に、君は俺を見る  作者: HATENA 
第1章「視界」

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第8話

 速報を見た瞬間、湊の足は信号の向こうで止まった。

春名が一歩先で振り返る。


「神代くん?」


 湊は画面を見せないまま、スマホを強く握った。

 見たくなかった。

でも、行かないままのほうがもっと嫌だった。


「……ちょっと寄る」


 春名の眉が寄る。

理由を聞こうとして口を閉じ、代わりに短く言った。


「私も行くよ」


「いや、いい」


 反射で出た声が、思ったより強かった。

春名は目を細める。

不機嫌ではなく、測る目。


「じゃあ、なんで?」


 説明できない。

できないまま、時間だけが進む。

湊は視線を外して歩き出した。


「神代くん」


 呼び止める声は背中で止まる。

湊は振り返らない。


 河川敷に近づくほど、空気が湿って重くなる。

夕方の風が水面を擦る音。

ジョギングする人の靴音。

犬のリード金具が鳴る小さな音。


 日常の音の隙間に、

サイレンだけがまっすぐ入っていた。


 規制線の向こうで、救急隊員が担架を押している。

顔は見えない。

濡れた衣服が重く垂れている。


 湊は人垣のいちばん外で立ち止まる。

視界の端が狭くなる。

息を吸う。

浅い。

もう一度。


 足元の砂利が、靴底の下でずれる。

その感触と同時に、視界が落ちた。


 冷たい水が喉に入る。

咳き込む前に、また入る。


 耳の中で、水の重い音が続く。

手を伸ばす。

何も掴めない。指先から順に、力がなくなる。


 上か下かが分からない。

薄い光だけが揺れている。

その光の向こうに、

岸の上でこちらを見る人影。


 制服。

白いシャツ。

濡れた前髪。


 神代。


 呼ばれて、湊の肩が現実で跳ねた。

膝が折れ、片手を地面につく。

砂利が掌に食い込む。

爪の間に細かい泥が入る。


「大丈夫ですか!」


 近くの女性の声。

湊は首を振るが、

視界の揺れが止まらない。


 規制線の向こうで、担架はすでに車両へ入っていた。

扉が閉まる。

サイレンが遠ざかる。


 間に合わない。

そう思った瞬間、後ろから腕を掴まれる。


「神代くん」


 春名だった。

息が上がっている。

走ってきたらしい。


「だから一人で行くなって」


 怒っている声なのに、手は離さない。

湊は返事をしようとして、咳き込んだ。

喉が焼ける。


「見えたの?」


 春名の問いは短い。

湊はうなずきかけて止まる。

否定しようとして、できない。


「……よく分からない」


 春名は一度目を閉じる。

開いたとき、

その目には怖さが残っていた。


「分からない、で毎回ここ来るの?」


 湊は答えられない。

規制線の黄色だけが、視界の中で異様に明るい。


 春名は掴んだ腕を少し緩める。

それでも離しはしない。


「もう帰るよ」


 命令に近い言い方だった。

湊は抵抗しなかった。

抵抗する力が残っていなかった。


 帰り道、春名はほとんど喋らない。

湊の半歩前を歩き、

時々だけ振り返って距離を確かめる。


 駅前の横断歩道で信号待ちをしていると、

春名が前を向いたまま言った。


「さっき、私、ちょっと本気で怖かった」


 湊は春名の横顔を見る。

唇の端が硬い。


「神代くんが、じゃなくて。

 神代くんの周りで起きることが」


 青信号になる。

二人は渡る。


 春名は最後に、ほとんど聞こえない声で足した。


「でも、放っておけないのが、いちばん嫌」


 湊はその言葉に返せなかった。

返せないまま、

呼吸の浅さだけが少しずつ戻っていく。

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