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死ぬ前に、君は俺を見る  作者: HATENA 
第1章「視界」

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第2話

 翌朝、湊は電車を一本遅らせた。

同じ時間に乗る気になれなかった。


 ホームの端で、白線の内側を靴先でなぞる。

視線を上げるたび、人の顔を避けてしまう。


 見たくない。

見ると、また来る気がした。


 発車ベルが鳴り、列が前に動く。

湊は最後尾に近い位置で乗り込んだ。


 車内の窓に、朝の曇った空が薄く映っている。

肩の高さでスマホを見ている男、眠っている学生、つり革の揺れ。

どこにも異常はない。


 それでも、胸の内側だけが固いままだった。


 学校の最寄り駅で降りるとき、

改札の前で女子生徒が定期券を探していた。

紺のカーディガン。

右手の小指にだけ細い絆創膏。


 湊は通り過ぎる。

一歩。

二歩。


 その背中側で、改札機の電子音が鳴った。


 乾いた金属音。

強いブレーキ。

息が詰まる。


 視界が跳ねた。


 コンクリートが近い。

 頬が冷たい。

耳の奥で、低い音が擦れ続ける。

誰かが何度も何かを叫んでいるが、言葉にならない。


 足首に重い圧が乗る。

動かない。

痛みだけが遅れて増える。


 目の端に、白線。

その向こうで、誰かがかがみ込む。

見覚えのある制服の袖が揺れた。


 神代。


 名前を呼ばれた気がして、湊は息を吸い損ねた。


「すみません、大丈夫ですか?」


 現実の駅員の声だった。

肩がぶつかっただけらしい。

湊は「すみません」と返したが、声がかすれて喉に引っかかった。


 さっき改札前にいた女子生徒は、

もう人混みの奥に消えていた。


 授業中、湊は黒板を見ないまま時計だけを何度も確認した。

意味はないと分かっていても、時間を見てしまう。

秒針が進むたび、さっきの圧が足首に戻る。


 昼休み、校舎裏の自販機前で、

あの絆創膏の小指を見つけた。


 女子生徒は缶のプルタブに爪を引っかけて、

開けられずに少しだけ眉を寄せている。

湊は近づき、声を出す前に口の中が乾いた。


「……あの」


 女子生徒が顔を上げる。

薄い警戒が、先に目に出た。


「ホーム、端、危ないから」


 言ってから、自分でも意味の薄さが分かった。

女子生徒は一瞬黙って、

それから曖昧に笑った。


「急にどうしたの?」


 湊は視線を外す。

説明する言葉がない。

あるとしても、言える形にならない。


「……ごめん」


 それだけ残して離れた。

背中に、まだ警戒の気配が刺さっていた。


 放課後、改札に向かう人の流れがいつもより速い。

誰かがスマホを耳に当てて立ち止まり、

その横を何人もすり抜けていく。


 ざわめきの中で、

「ホームで転落」という単語だけが浮いた。


 湊の足が止まる。

呼吸が浅くなる。

改札の電子音が、朝と同じ高さで続いていた。


 駅前には救急車が停まり、

規制線の外に人が集まっている。

警察官が「下がってください」と繰り返す。


 湊は人垣の外で立ち尽くし、

見えない場所に視線を固定した。


 見たくない。

もう見えている。


「君、さっきからここにいた?」


 背後から低い声。

振り向くと、スーツの上に薄いコートを着た男が手帳を見せた。

県警捜査一課、と短く読める。


「少しだけ、話いいかな」


 湊は返事の前に、

自分の指がスマホの端を強く押していることに気づいた。

爪の周りだけ白くなっている。


 男の視線は厳しいままではなく、

何かを測るみたいに静かだった。


「……見た?」


 その問いに、湊はすぐうなずけなかった。

喉が動くまでに、少し時間が要る。


 救急車の扉が閉まる音がして、

湊はやっと口を開いた。


「……見てない、です」


 言い終わったあと、

呼吸がひとつ遅れて戻ってきた。

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