第3話
放課後、駅前の歩道橋で人が詰まっていた。
片側の階段が工事で狭く、
下りる列だけが不自然に遅い。
湊は最後尾で足を止める。
前の中年男性が、手すりを握り直した。
その指を見た瞬間、
視界が斜めに落ちる。
靴底が空を踏む。
腹の奥が浮く。
耳の横で風が裂ける。
下から誰かの叫び。
次に来る衝撃を体が先に待って、
息が入らない。
最後に見えたのは、
踊り場の端に立つ制服姿。
こちらを見ている。
また、自分だった。
「お兄さん、大丈夫?」
現実に戻る。
後ろの女性が肩に触れかけて手を引いた。
湊の膝が少し折れている。
「……すみません」
列が進む。
前の男性は何事もなく下りていく。
湊は人の流れを逆らって上へ戻った。
歩道橋の上から男性の背中を探す。
すぐ見つかる。
紺の上着。黒いカバン。
「あの」
声をかけると、男性は振り返る。
怪訝な顔。
「階段、気をつけた方が」
「は?」
「今、混んでるので」
自分でも薄い言葉だと思う。
男性は短く息を吐いて、
「分かった」とだけ言って歩き去った。
湊は追わない。
追えない。
手の震えがポケットの布に当たる。
夜、ニュースアプリに通知が出た。
駅前歩道橋で転落。男性重体。
場所は同じ。
時刻は、湊が駅を離れたあと。
記事の写真は規制線と救急車だけだった。
割れた窓はない。
焦げたにおいもない。
それでも喉の奥に鉄の味が戻る。
ベッドに横になっても、
耳の横の風だけが消えなかった。
明け方、目が覚める。
窓の外はまだ薄い青で、
隣の家の換気扇だけが回っていた。
湊は布団の中で、
足首をゆっくり動かしてみる。
落ちる直前の浮遊感が、
まだ膝の裏に残っている。
学校へ向かう道で、
歩道橋の階段を避けて遠回りした。
信号待ちの間、
背中に誰かの視線を感じて振り向く。
誰も見ていない。
それでも一歩目が遅れる。
昼休み、春名から短いメッセージが来た。
『昨日の件、警察が学校に来るかも』
湊は既読だけつけて、
返事を書かないまま画面を伏せた。
見えたものを話す言葉がない。
話さないまま残る感覚だけが、
日常の薄いところに貼りついていた。
夜更け、
湊はメモ帳を机に開いたまま
ペンを持たずに眺めていた。
「歩道橋」の見出しの下に、
書きかけの空白が三つ並んでいる。
何を埋めるつもりだったのか、
数分で分からなくなる。
窓の外を救急車が通る。
サイレンが遠ざかっても、
耳の中では風の裂ける音が残る。
布団へ入ったあと、
湊は足首の角度だけを何度も確かめた。
落ちる映像の中でずれた向きと
同じになっていないか、
確証もないのに確認を繰り返す。
朝、玄関を出る前に
靴ひもを結び直した。
ほどけていないのに、
結び目の強さだけを
もう一度確かめずにいられなかった。
指先に残る圧で、
昨夜の映像の重さを思い出した。
ドアを閉める音が
廊下へ短く響く。
その響きが消えるまで待ってから、
湊はようやく一歩目を出した。
階段を下りる足音も、
今日は自分のものだけがはっきり聞こえた。




