第2話
翌朝、湊は改札の手前で一度止まった。
自動改札の音が重なるたび、喉の奥が細くなる。
昨日のニュース画面を閉じてからも、
割れた窓だけが頭の奥に残っていた。
人の流れに押されてホームへ出る。
白線の内側に靴先をそろえ、
次の車両番号を見るふりをして、
顔を上げる時間を減らす。
電車が入ってくる。
風が先に当たる。
ブレーキ音が耳の奥で短く軋む。
乗る。
つり革をつかむ。
手のひらだけがすぐ湿る。
隣の車両から笑い声。
前の席の学生が眠ったまま首を揺らす。
何も起きない。
それなのに、目だけが勝手に人の顔を避ける。
学校に着いてからも、
ノートは開いたまま白かった。
ペン先を当てる。
書かない。
また当てる。
昼休み、湊は屋上階段の踊り場に座って、
小さなメモ帳を開いた。
昨日の会社員。
朝。
車内。
焦げたにおい。
割れた窓。
最後に見えたのは、自分。
文字にすると、余計に変だった。
意味がまとまらない。
線を引き、書き直し、
同じ単語だけが増える。
足音が上から降りてくる。
湊はとっさにメモ帳を閉じた。
「神代くん」
春名だった。
手すりに片手を置いて、
二段上からこちらを見下ろしている。
「また、ここにいるんだ」
「……たまたま」
春名は返事を急がなかった。
踊り場まで降りてきて、壁に背をつける。
「昨日のこと、忘れられない?」
湊はうなずきかけて止めた。
首の後ろが固い。
「別に」
「別に、って言う顔じゃないよ」
春名は笑わない。
責めるわけでもない。
ただ、距離を測る目で見ている。
「神代くん、昨日の人、知ってたの」
「知らない」
「でも見てた」
湊は階段の角を見た。
床のひびに視線を落とす。
喉が渇いて、返事が遅れる。
「……見えただけ」
言ってから、まずいと思う。
春名の眉がわずかに動く。
「何が」
「いや。違う」
湊はメモ帳をポケットに押し込んで立ち上がった。
春名は道をふさがない。
でも目だけが追ってくる。
「神代くん」
足が止まる。
「次も、同じことがあったら。
……黙って一人で行かないで」
湊は振り向かないまま、
短くうなずいた。
その夜、机の上にメモ帳を開く。
昼に書いた文字の横へ、
新しく一行だけ足した。
春名。
見られている。
メモ帳を閉じても、
紙の繊維に残った筆圧の凹みが指に触れる。
照明を落としてから、
湊は枕元へスマホを置いた。
画面を伏せる。
三分後にまた手に取る。
通知は増えていない。
それでも、
「見られている」という一行だけは
頭の中で位置を変えない。
春名に見られている。
死の直前の視線にも見られている。
向きの違う二つの視線が、
同じ温度で重なってくる。
翌朝、教室へ入る直前、
湊はドアの窓ガラスに映る自分を確認した。
眠れていない顔だと思う。
でも目線だけは上がらない。
ノブを握った指が少し湿っていて、
そのまま制服の脇で拭ってから扉を押した。
席に着いてノートを開く。
日付を書く。
その下が空いたまま、
チャイムだけが先に鳴った。
湊はページをめくり、
前日の空欄と同じ広さを見比べた。




