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死ぬ前に、君は俺を見る  作者: HATENA 
第1章「視界」

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12/21

第12話

 土曜の朝、湊は駅を避けて川沿いを歩いた。

空は低く、風は湿っている。

ランニングする人の呼吸音が、背中側から追い抜いていった。


 橋の下をくぐると、

コンクリート壁に貼られた注意喚起の紙が目に入る。

「立入禁止」

「増水注意」

濡れた紙の角がめくれていた。


 湊はその前で足を止める。

理由はない。

止まったあとで、

止まった理由を探す。


 ポケットの中でスマホが震えた。

春名からのメッセージ。


 「今どこ」

 「一人?」


 湊は「川」とだけ返して、送信ボタンを押す前に指を止めた。

言葉が足りない。

でも足すと違う気がする。

結局そのまま送る。


 少しして既読。

すぐ次が来る。


 「動かないで」

 「行く」


 湊は画面を閉じる。

閉じたまま、川面を見る。

水の色は暗く、

反射だけが白く揺れていた。


 背後で砂利が鳴る。

振り返るより先に、首筋が冷える。

呼吸が一瞬止まる。


 黒い帽子。

濡れたベンチの横に、

男が立っていた。


 距離は二十メートルほど。

背丈は普通。

顔は逆光で見えない。

腕は体の横に下ろしたまま、こちらを見ている。


 湊は動けない。

目をそらしたほうがいい。

分かっているのに、視線が外れない。


 男が一歩だけ近づく。

その瞬間、視界が落ちた。


 水音。近い。

冷たい空気。

濡れた服が肌に貼りつく。


 呼吸が浅く速い。

胸の奥に重い痛み。

咳き込むたび、喉に水の味が戻る。


 目の前に手すり。

錆びた金属。

滑る指。

掴みきれない。


 その向こうで、

黒い影がこちらを見下ろす。

輪郭だけがはっきりして、

顔の情報だけ抜け落ちている。


 神代。


 呼ばれて、現実に戻る。

膝から力が抜け、

湊はその場に手をついた。

掌に細かい砂が食い込む。


 前方の男は、

もういなかった。


 足音が近づく。

春名だった。

息を切らし、肩を上下させたまま湊の横にしゃがむ。


「見た?」


 湊はうなずく。

喉が詰まり、声が出ない。

春名は周囲を見回し、

スマホを取り出してすぐ発信した。


「高城さん?

 春名です。

 いま、川沿いで」


 通話口に状況を伝える声は震えていた。

震えているのに、必要な情報だけを短く並べる。

位置。時間。服装。移動方向。


 電話を切ると、

春名は湊の腕を掴んだまま言った。


「もう一人で行かないで」


 命令でも懇願でもなく、

それしか残っていない声音だった。


 十分ほどして、高城が現れた。

私服。

息は上がっていない。

視線だけが速く動く。


「二人とも、怪我は?」


 湊は首を振る。

春名が代わりに答える。


「追えますか」


 高城は周囲を見て、

小さく首を振った。


「このタイミングだと厳しい。

 でも防犯カメラは当たる」


 それから湊をまっすぐ見た。


「神代くん。

 これはもう偶然だけでは片づけない。

 君の周辺で起きてることとして扱う」


 起きてること。

言い換わっただけで、

結局何も軽くならない。


 湊はうなずく。

うなずいたあとで、

自分が何に同意したのかを掴みきれない。


 帰り道、

春名と並んで歩く。

会話はない。

ただ、離れない。


 信号待ちで止まると、

春名の肩がわずかに触れた。

湊はその温度を確認して、

ようやく息を深く吸う。

半分しか入らない。

それでも前よりはましだった。


 家の前で別れるとき、

春名は短く言った。


「明日、連絡する」


 湊は「うん」と返す。

春名は頷いて、振り返らずに歩いていった。


 部屋に戻り、

湊は机の上にノートを開く。

これまで避けていた行為だった。

書けば固まる気がしたから。


 それでも、ペンを持つ。

止めたままにもできなかった。

今日の時刻。場所。

黒い帽子。

呼ばれた声。

呼吸の止まり方。

手の震え。


 一行書いて、止まる。

もう一行。

また止まる。


 書き終えても整理はつかない。

何も残さないよりはましだと考えかけて、

その判断さえ遅い気がして胸が詰まる。


 窓の外では、

遠くでまた低い雷が鳴っていた。

雨はまだ降っていない。


 湊はノートを閉じず、

ペン先を紙に置いたまま、

次の一行を書く前に、息を整えようとした。

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