第4話
土曜日の午前、修平と稔は江東区にある塚本七枝の家を訪問した。
在宅ワーク中の七枝は、二人の来訪を快く受け入れた。二人が秋山由布の友人であり、智美の無実を証明したいという思いを語ると、七枝は大いに賛同した。
「私に話せることなら何でも話すよ。遠慮なくどーぞ」
七枝はアイスティーを学生二人に差し出すと、そう切り出した。
修平は稔に視線で促す。基本的に質問するのは稔であると、二人は予め決めていた。父親が弁護士で本人もそれを目指しているという影響もあってか、稔は話し方が穏やかで弁が立った。修平はいちいち理屈っぽく細かい部分を突きがちで、その上表情も硬いので、相手に好印象を与えないだろうという判断だった。
「七枝さんが須崎さんと交際していたのはいつ頃ですか?」
「八年くらい前かな。友達にボウリングに誘われた先で知り合ったんだよ。あいつ休みにはよくボウリング場に行ってたんだ。そこで何度か顔合わせて、一緒に食事して……なんか相性良いんじゃないかってことで付き合うことになったわけ。ま、一年ちょっとで別れたけどね」
「貴女から見て須崎さんはどういう性格の人でしたか?」
「外面は良いけど中身が屑。ぱっと見は凄く人が良さそうに見えるんだよ。話し上手で顔も悪くない。それに金も持ってるし。でも、間近で見続けると本性が見えてくるんだ。無駄に自信家で上から目線。あと品性も欠けてた! 自己チューっていうか、自分の思うがままに振る舞うのが当然って考えるタチでさ。あいつ付き合ってた頃私の家に来た時、冷蔵庫の中にあったデザート勝手に食べたんだよ! 怒っても“つまらないことで騒いでるなあ”みたいな顔して済ますし!」
稔は心底同意するとでも言いたげに頷いた。女性の話は下手に否定せずにありのまま受け入れる方が良いと、彼は一般論として知っていた。
「じゃあ、須崎さんを嫌ってた人も多かったんでしょうね」
「そうだね。金だけはあったから付き合いある奴はいたけど。でも、嫌いな人はとことん嫌いだったよ。二宮くんはその筆頭」
二宮亮平の名が出てきて、修平がぴくりと眉を動かした。
「二宮さんは須崎さんとどういった関係なんですか?」
「孝光が前に通ってたジムのインストラクター。元々は陸上選手だったらしいよ。二宮くんはストイックなイメージがあって、一部の女性にはクールでかっこいいって人気があるんだよね。二宮くん目当てでジムに通ってる女もいるみたいだよ」
「二宮さんが須崎さんを嫌っていたのは、何かトラブルがあったからですか?」
七枝は「うーん」と唸った。
「そのへんは教えてもらってないんだ。理由は誰も知らないんだよね。二宮くんってあんまり自分のこと話さないから。ただ、物凄く毛嫌いしてたのは確か」
稔は一度咳払いした。
「ところで、七枝さんは事件当日に二時半になる前に店を出たそうですが、その後どちらへ行かれました?」
「なになに? アリバイ調べんの?」
「念のために。何かの参考になるかもしれませんので」
稔は若干目を泳がせたが、どうにか緊張を呑み込んで言葉を発した。
「いいよいいよ。何でも話すって言ったの私だからね。店を出た後は、しばらく川沿いの道を散歩したり風に当たったりしてたよ」
「その間、どこかのお店とか寄りましたか? 防犯カメラに映っていればすぐに確認がとれます」
「いや、残念だけどそういうとこには行ってないんだ」
「もう一つ。七枝さんは車を持っていますか?」
「いいや。でも、免許は持ってるよ。実家住まいだった頃は運転してたから」
それから十分ほどして修平と稔は七枝の家を出た。
「結局お前一人で足りたな」
「いや、いてくれるだけで助かったよ。一人だと緊張してうまく話せなかったかもしれないから」
「そういうものか。お前は口が回る方だと思うがな」
「僕なんて父さんに比べればまだまだだよ。成果としては――気になる話は聞けたかな?」
「二宮亮平が須崎を毛嫌いしてたって話か?」
「うん」と、稔は肯定した。
「ひどく嫌っていたってことは、二人の間に何らかのトラブルがあった可能性が高いよね。でも、周囲の人は誰もそんな話を耳にしていない。このへんを調べてみようかなと思ってる」
修平と稔が七枝を訪ねていたのと同じ頃、征四郎と涼は二宮亮平が勤務するフィットネスジムを訪れていた。
身長百八十センチを超える征四郎と、小学生と見間違うほど小柄な涼が並ぶと、年の離れた兄弟のようだ。事実ジムの従業員の幾人かは、二人を兄弟だと思い込んでいた。
二宮は休憩時間だったにもかかわらず、二人が来ても嫌な顔一つせずに応対した。
「二宮さんは須崎さんについてどう思ってるの?」
涼は小鴨のように二宮の後ろをついていきながら訊ねた。
二宮は振り返り、涼を見下ろした。
「今までの人生で出会った人間の中で、一番のろくでなしだ」
「何でそんなに嫌ってんだ? 理由があるんだろ?」征四郎は二宮が発する圧を感じ取った。
「いちいち説明する必要があるか? 塚本に訊けばもういいって言うくらい語ってくれるぞ」
「そっちは友達が当たってるんで、後で訊くよ」
「じゃあ、須崎を殺したいと思ってる奴に心当たりがあれば教えてくれよ」
「さてな」と、二宮は言った。
「何かトラブルに巻き込まれたんじゃないのか。あの男のことだ。どうせろくでもない連中と関わりがあったんだろう。実際、妙な連中から逃げてたんだ。そいつらにやられたってのが一番あり得るが……まあ、ヤバいことに手を出した結果ああなったってのが一番考えられるな。今まではうまくやっていたんだろうが、とうとう年貢の納め時が来たってわけだ」
征四郎はその言葉を聞き逃さなかった。
「へえ、そりゃ面白い。じゃあ、あんたはずっと前から須崎がろくでもない連中と繋がってたと思ってたのか」
二宮は一瞬体の動きを止めた。征四郎は「当たりだ」と心の中で歓喜した。
「塚本や智美さんは気づいてないみたいだが、あいつはたまに怪しげな雰囲気の連中とつるんでいることがあった。奴がここに通ってた頃に、何度かジムの前に来ていた。投資家仲間だなんて言っていたが、とてもそうには見えなかったよ」
「それ智美さんにも教えたの?」
「もしも、胡散臭い奴等と引き合わされたら遠慮なく相談しろ、とは言った」
涼は少し考えてから、再び質問した。
「一応訊いておきたいんだけど、智美さんってそういう危ない人と付き合いそうな性格してる?」
二宮は不快そうに顔を歪めた。
「まさか! あの子に限ってそれはない。至って真面目な子だよ。間違っても須崎の同類じゃない」
「お金目当てじゃなくて、本気で須崎さんのことが好きだったんだ?」
二宮は溜息を吐いた。
「礼儀正しくて親の教育の行き届いた子だよ。将来のこともしっかり考えて勉強してる。親と同じ税理士を目指してるそうだ。あの野郎には人を惹きつける力だけはあった。塚本も智美さんも引っかかった相手があいつじゃなければな。俺も最初の頃は気づかなかったから、人のことは言えんが」
その時、征四郎は二宮の顔に一瞬影が差したことに気づいた。女優の息子である彼は、母親から人の表情から心理を読み解く術を学んでいた。二宮が見せた表情は、過去の後悔を引き摺る人間のそれだった。
「須崎さんって、塚本さんや智美さんの他に女性遍歴はあったの?」
「そうだな……昔は金に飽かせて派手に遊んでたって噂はあるが、女性関係については知らん。あいつの遊び仲間にでも訊いた方がいいんじゃないか」
二宮の顔から既に影は消えていた。
早水皐月と真砂昴は《鈴鳴》の前で、店を見上げていた。
「外観もお洒落だねえ」
昴は早速プラス評価を下した。
「最初に店の周りを見ていい? 須崎さんが逃げ出したトイレの窓の位置を確認したいんだ」
「こっちだ」
皐月は昴を店の裏手にある路地へと案内した。
路地は狭く、反対側からビルに挟まれているため昼間でも薄暗かった。人通りもほとんどなく、静かな場所だ。
「ここなら人に見咎められずに出ることも、難しくなさそうだね」
昴はトイレの窓を調べた。大人でも問題なく通れる大きさだった。
それから彼は路地を左右に見渡した。片側に中層のビルが並ぶ通り、もう片側は《鈴鳴》の従業員用入口とその奥にある交通量の多い通りが見えた。
昴は従業員用入口がある方の通りをじっと見つめている。皐月はその方角が秋山智美が事件当日、買い物帰りに車で通った道へ続いていることを思い出した。
昴は一人満足そうに笑った。
「それじゃ、お店に入ろうか」
昴はそれだけ言うと正面入口まで移動し始めた。皐月は何も聞かずに後をついていく。
店の中には十人程度の客がいた。秋山智美が二人の来店に気づいて寄ってきた。
「あら、早水さん。いらっしゃい」
「どうも。今日は客として来ました」
「初めましてー」
昴はカウンター席へ目を向けた。
「あれ、秋山もいたんだ」
カウンター席の端には依頼人の秋山由布が座っていた。
由布は二人を見て微笑んだ。
「早水さん、真砂くん。今日も調査?」
皐月と昴は由布の隣に並んで座った。
「いや、今日はただ食事を楽しみに来た。これほど良い店だ。堪能しなければ損だと思ってな」
「わかるよ。この店落ち着くよね」
由布は二人を交互に見た。
「早水さんが真砂くんとも仲良いのって意外だな。こう言うと失礼だけど、早水さんが新堂くんたちみたいなかっこいい男子と一緒にいるのはイメージに合ってるけど、真砂くんって漫画とかゲームの話題ばかりしてること多いからさ」
昴への評価は、由布のみならず学校全体に共通している認識だ。昴を除いた五人の男子生徒はいずれも女性を惹きつける魅力を持つ者ばかりで、彼らは“探偵姫”に忠誠を捧げる騎士とまで云われている。その中に混じる昴の存在は、異物とまでは言わなくとも仲間外れのような印象があった。
「そうでもないぞ。私もミステリージャンルなら漫画だろうがゲームだろうか構わない。昴と一緒にゲームに興じたことなら何度もある。彼は私にとって大切な人だよ」
「へえ、そうなんだ」
由布は“大切な人”という言葉を、親しい友人という意味で解釈した。
皐月はメニュー表を開いた。
「何にする?」
昴はメニュー表を上から下まで眺めた。
「フィッシュサンドとハムチーズサンド。ドリンクはブルーベリーのスムージーで」
「そういえばそれを食べたいと言っていたな。では、私も同じ物をお願いしよう」
それから皐月と由布は料理が届くまで軽い雑談を始めた。昴は二人の会話に耳を傾けながら、カウンター奥で調理をしている店長と智美を眺めていた。サンドイッチを作っているのは智美だ。店長は手作りのパイ生地を麺棒で伸ばしている。
智美は幾人かの客と雑談に興じていた。彼らの話題は常連客だった須崎の事件についてだ。彼らは皆、智美を心配する言葉をかけていた。智美は全員に対して丁寧に感謝の言葉を返している。その様子は、智美が客たちから好感を得ていると判断するには十分だった。
やがて、注文した料理ができあがった。皐月と昴の前にトレイが二つ置かれ、かぐわしい漂う。
早速昴はハムチーズサンドにかぶりついた。ほのかな塩気と胡椒の風味を帯びたハム、それにチーズのまろやかさは、昴を心から満足させた。皐月は幸せそうな昴の横顔を無言で見つめ、微笑んでいる。
「ほら、皐月さんも食べなよ。美味しいよ」
「ああ、そうしよう」
昴に言われて、皐月もフィッシュサンドを手に取った。
由布は二人を見て、本当に不思議なものだと思った。家柄の良い男たちがこぞって求める西楼院高校の姫と、クラスで一番変わり者の男子が並んで食事をする光景は、一見不釣り合いのように見えて実際はパズルのピースがぴったりはまっているような感覚だった。
「智美さんは手際がいいね。いつ頃からここで働いてるの?」
ハムチーズサンドを食べ終えた昴は、別の注文にとりかかっている智美に訊ねた。
「最初にこの店に来たのは大学に通い出す前よ。このあたりで家を探してた時に偶然見つけたの。一目で気に入ってすぐに常連になったわ」
「元々はお客さんだったんだ」
「働き出したのは大学に入って二ヶ月くらい経った頃かな。新しいバイト先を探してた時に店長から誘われたの。孝光さんも賛成してくれて――」
智美はほんの僅かに表情を強張らせた。
店長がフォローするように口を挟む。
「智美ちゃんが来てくれて本当に助かったわ。ちょうどその頃、家の事情で店員が一人辞めたばかりだったから」
「私もこういうとこで働けたらなー」由布が羨むように姉を見た。
「そういえばさ、事件の日に須崎さんが来た時って店長さん以外に店員はいなかったの?」
昴はスムージーを一口飲むと、店長に訊ねた。
「あの日はお客さんがほとんどいなかったから二時前に帰したのよ」
「でも、あの日は七枝さんと二宮さんが来てたんですよね。意外です」智美が不思議そうに言った。
「普段は来ないんですか?」
皐月は気になって訊ねた。
「水曜はいつも十二時くらいに来るの。だから変だなって思って」と、智美が答えた。
「二人とも急な予定変更で時間が空いたって言ってたわよ。お昼もまだ食べてなかったから、折角だし寄ろうと思ったみたい」
店長はパイ生地を伸ばしながら、そう付け足した。
昴はスムージーのコップを片手に、しばし考えこんでいた。皐月は彼の顔を見つめている。
「ねえ、皐月さん。後で甲斐警部に頼んでほしいことがあるんだけどさ」
「何だ?」
「昨日見せてもらった捜査記録によれば、須崎さんを尾行していたマトリがこっそりスマホで動画を撮影してたみたいなんだよね。その映像を見せてもらえるようお願いしてほしいんだ」
「ああ、任せてくれ」
“探偵姫”は普段学校では滅多に見せないような、美しい微笑みを浮かべた。
「いやあ、これは興味深いですねえ」
三崎隆二はそう言ってデスクの上にまとめられた数枚の書類を見下ろした。それは逮捕された大麻密売グループのメンバー三人の調書と、過去の事件のデータベースから引っ張ってきた記録だった。
甲斐衛は一番上の一枚を手に取る。
「まさか二宮亮平の妹が大麻が原因で死んでいたとはな」
甲斐は、四年前に起きた一人の女の死亡事件に関する報告書に目を通した。
「二宮の妹は水泳教室の講師をしていたのか。兄妹揃ってアスリートだったんだな。そして、休日はボウリング場へ行くのが趣味で、そこは須崎の行きつけの場所だった」
「第一発見者は兄の方だったんですね。無断欠勤が続いていると水泳教室から緊急連絡先の二宮へ電話がかかってきた。気になった二宮がすぐに妹が住んでいるアパートへ行ってみると、妹が部屋の中で頭から血を流し倒れていた。急いで救急車を呼んだが間に合わず。後で調べたところ、死因は部屋の中で転倒してテーブルの角に頭をぶつけたのが原因と判明した。さらに、テーブルの上に大麻が置かれているのを発見。遺体を調べ、大麻の常用者とわかった」
「幻覚症状を起こしたことで転倒したんですね」
「当時の捜査では大麻の出所はわからずじまい、か。だが、もし二宮が大麻を売ったのが須崎だと知ったなら――」
「甲斐さんもそう思います?」三崎がぐいと顔を寄せた。「二宮にとって須崎は妹を死に追いやった悪党です。となると須崎を殺す強い動機があります」
「だが、二宮には須崎が店から逃げ出した後、行方を知る方法はないはずだ」
「逆に言うと、それさえクリアできれば最有力の候補ってことですよね。須崎が逃げ出すより少し前に、二宮は店を出ています。それに二宮は喫茶店まで車で来ていました。近くのコインパーキングに停めていたことがわかっています。なんとかいけそうな気がしません?」
「動機の面では秋山智美より上だが……塚本七枝も二宮とほぼ同じタイミングで店を出ていたが、そっちは何もないのか?」
「ええ。それにそもそも塚本七枝は車を持ってないので遺体を運ぶのは無理ですよ」と、三崎は肩をすくめた。
「密売グループの連中が、二宮の妹のことを憶えていてくれて助かりましたね。須崎が直接見つけてきた顧客だったから印象に残っていたそうです」
「なあ、一つ気になったんだが。こいつらが須崎のグループに入ったのは六年から七年くらい前って証言してるよな。須崎はその前に仲間を持っていたのか?」
「そのあたりの話は知らないって言ってましたね。多分須崎一人で全部やってたんじゃないですか?」
ふと、三崎は甲斐のノートパソコンに映し出されている映像へと目を向けた。
「その動画、マトリが撮影したやつですよね? 何か気になったことでもあるんですか?」
「お嬢さんからマトリが撮影した動画を見せてくれと頼まれてな。あの子の口ぶりじゃ何か手がかりがありそうだ。それでもう一度見直してみようと思ったんだ」
三崎はディスプレイを見つめた。映像の中の須崎孝光はフィッシュサンドを頬張っている。テーブルの上には皿が二枚あり、片方にはハムチーズサンドが載っている。右側には水が入ったグラスが置かれていた。
「見た感じおかしなところはありませんけど」
「須崎の様子にも不審な点はない。もっとも、この時には既に逃げる算段を立てていたんだろうが」
「あれ、ちょっと待ってください。よく見たらテーブルの上に何か袋が置いてませんか?」
三崎は声を上げ、映像の一点を指し示した。そこには黄緑色の袋がグラスに立てかけられていた。
甲斐は言った。
「ああ、これはサプリメントの袋だな。須崎の持ち物の中にあったやつだ」
「そういえばマルチビタミンのサプリメントがありましたね」
「確か秋山智美も言っていたな。須崎は食生活に偏りがあって、サプリメントを常飲してたと」
「胃の中からカプセルは見つかってませんね。パン、ハム、サバ、チーズ、レタス、ブルーベリーの混じったヨーグルト、キュウリ、マスタードソース。サプリメントのカプセルって大体二十分くらいで溶けるっていうからなあ」
三崎は手近な所に置かれていた須崎の解剖記録から、胃の内容物について記述された箇所を読み上げた。
しかし、甲斐の耳に言葉は届いていなかった。
彼は映像の中で黙々と食べる須崎の奥に映る光景に注目していた。
そこには須崎に向けて憎悪に満ちた瞳を向ける二宮亮平の姿があった。




