↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/72

第5話 ベルクトの過去

 カイの小さな頷きを見ると、カーラは「話をするには、少し場所を変えましょうか」と、彼の手を取って立ち上がった。


 導かれるままに通されたのは、先ほどのサロンの奥にある、より私的で親密な雰囲気の小部屋だった。


 通されたのは、サロンの奥にある小部屋だった。


 厚いベルベットのカーテンが窓を閉ざし、外界の光を完全に遮断している。光源は卓上のオイルランプが一つだけ。揺らめく炎が、部屋の隅々に濃密な影を落としていた。


 部屋の温度が、先ほどよりもわずかに高い気がした。それがカイの緊張をさらに増幅させた。


 カーラはカイをベッドの横の長椅子に座らせ、自分も隣に腰を下ろす。そして、まるで面白いゴシップでも話すように、軽やかな、しかしどこか背徳的な響きを帯びた声で語り始めた。


「ベルクト・ファロス。かつてはアウレリア王国最高の賢者と称えられ、王宮で王族の教育にも携わっていたほどの高位魔術師。特に魂魄(こんぱく)魔法の領域においては、有史以来、彼に比肩(ひけん)した者はいないとまで謳われたわ」


 その声には、恐怖や非難の色合いは薄く、むしろ英雄譚でも語るような興奮と、僅かな憧れすら感じられた。


「でも実態は、世界の根源たる『律動』、特に生命と魂の神秘に取り憑かれた狂気の探求者だった。『魂の融合』を研究テーマにしていた彼は、実験のために何千人もの囚人を家畜のように犠牲にしたの。その中には無実の罪で捕まった政治犯やその子どももいたそうよ。」


 何千人。


 カイの手が、無意識に膝の上で握りしめられた。野盗が襲撃してきた時の、ベルクトの氷のような目が脳裏をよぎる。あの穏やかな老人が、指を振るだけで五人の命を奪った光景。


 みるみる青ざめていくカイを、カーラは楽しそうに見つめている。


「王国の貴族たちがベルクト様の非道さを訴えた時、彼を重用してた王様は、自分に火の粉が飛んでくるのを恐れてあっさり切り捨てたの。それまで囚人の利用を黙認していた王様自身が、誰よりも声高にベルクト様の非道を糾弾し、口封じのために刺客……アウレリア王国が誇る精鋭中の精鋭である騎士団を、まるごと一つ、彼の邸宅へと差し向けたわ」


 カーラの声のトーンが、次第に低く、秘め事を打ち明けるかのように真剣味を帯びていく。


「でも、結果はどうなったと思う?」


  カイは何も答えられなかった。喉が渇いている。ただ、カーラの次の言葉を待つしかなかった。


「騎士団は“全滅”よ。全員、ベルクト様の邸宅の庭で、まるで眠っているみたいに穏やかな顔で見つかったんですって。何人かは、そのまま二度と目を覚まさなかったそうよ」


 眠るように穏やかな顔。カイは、森で見た野盗たちの死に顔を思い出し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「……生き残った人も、いたのか……?」


 震える声で、どうにかそれだけを絞り出した。


 カーラが目を細める。意地の悪い笑みが、その唇に浮かんだ。


「いい質問ね。ええ、いたわ。何人かはね」


 彼女は長い脚を組み替える。衣擦れの音が、静かな部屋にざらりと響いた。


「でもね、本当に地獄を見たのは、生き残ってしまった彼らの方だったのよ」


 暖炉の薪が、パチリと爆ぜた。カイの肩がびくりと跳ねる。


「彼らは目を覚ました後、気がついたら身体が“水”を猛毒だって認識するようになっちゃったの。一口でも飲めば喉が焼けつくように腫れ上がって、息もできなくなる」


 彼女は遠い目をして続けた。


「水を口にできない彼らは数日のうちに干からびて、皺だらけの老人のようになりながら、最後は渇きに耐えきれず水を求める。すると今度は呼吸が出来なくなり、陸の上で溺れ死ぬようにして……それはもう、見るもおぞましい最期だったそうよ。まさしく魂魄魔法の極致。王国もこれ以上の犠牲は出せないと、ついに彼を『厄災』として放置することを選んだのよ」

 

 それは、単なる殺戮よりも遥かに陰湿で、残虐な仕打ちだった。


 カイの胃の奥から、酸っぱいものがこみ上げてくる。唾を飲み込もうとして、喉が詰まった。魂に直接作用するという魂魄魔法——その言葉が、今になって生々しい実感を伴って迫ってくる。


 あの老人は、自分の隣で眠っていた。自分は、あの老人の食事を作り、世話を焼いていた。


 カイの声は、もう震えを隠せなかった。


「カーラは……そんなベルクトが、怖くないのか……? なんで声をかけたんだ……?」

 

 ベルクトの恐ろしさを理解した上で、平然とした態度で関わろうとするカーラが、カイにはどうしても理解できなかった。


 カーラは一瞬、虚を突かれたような顔をしたが、すぐにいつもの悪戯っぽい、しかしどこか影のある笑みを浮かべた。


「怖いかって? もちろん怖いわよ、カイくん。でもね、このテッラローザで、私みたいな女が“普通に”生きていけると思う?」


 彼女の視線が、ふと鋭くなる。 そこには、娼婦としての仮面の下にある、冷ややかな諦観があった。


「私を本気で殺そうと思ったら、ベルクト様みたいな特別な魔法なんて必要ないの。嫉妬深いお得意様の奥方に毒を盛られるかもしれないし、入れ込んだお客様に路地裏で刺されるかもしれない。昨夜一緒に寝た男性が、今朝には私の首を絞めていることだってあり得るわ」


 淡々とした言葉だった。まるで明日の天気を語るような口調で、彼女は自身の死を語る。


「どうせ常に命懸けなら、リターンの大きい大物を狙った方がマシじゃない? それに……」


 カーラは顔を上げ、ニカっと笑った。


 それは、都会の中でたくましく生きる野良猫のような、ふてぶてしくも鮮烈な笑顔だった。


「死ぬときくらい、退屈じゃない方がいいもの」

 

 カイは、何も言えなかった。


 目の前の女性は、自分とは全く違う世界で、全く違う価値観で生きている。その事実だけが、妙にはっきりと頭に残った。理解できない。共感もできない。なのに、目が離せなかった。


 部屋に満ちるワインと香水の香りが、語られた話の不気味さと相まって、どこか現実味を奪っていく。

 カーラの手が、カイの肩に触れた。


「怖がらせちゃったかしら?」


 気遣うような素振り。だが、その蜂蜜色の瞳は笑っていなかった。


挿絵(By みてみん)

たくさんの作品の中からお時間をいただき、ありがとうございます!


よろしければ↓のポイントから★1でもリアクションを頂けると、とても励みになります。よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。