第7話 動き出す歯車
「ベルクトが王都を追われた理由って……。」
カイの肩が、微かに震えた。マントの中で息を潜めるプリルにカイの意識が向かう。リカルドは返事を待つこともなく、まるで退屈な歴史の一節を講義するかのように、淡々とした口調で語り始めた。
「まず、巷説を訂正しておこう。ベルクト卿の研究……特に『魂の融合』は、禁断の魔術などではない。あれは、国王陛下の勅許の下、国家プロジェクトとして進められていた、歴とした“公務”だ。実験体は死刑を宣告された囚人たちであり、彼らは、断頭台に上る代わりに、国家への“最後の奉仕”を命じられた。確かに非人道的だったかもしれないが、アウレリア王国の法の下、完全に合法だったのだよ」
カイの眉が、わずかに寄った。口が開きかけて、閉じる。
合法。
その言葉が、頭の中で空転していた。リカルドは、そんなカイの沈黙を見透かすように、話を続ける。
「表向き、彼は禁忌に手を染めた異端の魔術師として王都を追放された。だが、それは民衆向けの、分かりやすい筋書きに過ぎん。真実は、もっと単純で醜悪な、ただの政争だ」
リカルドの灰色の瞳が、遠い過去を映すように、わずかに細められた。
「当時の宮廷を牛耳っていた守旧派貴族にとって、ベルクト卿は目の上の瘤だった。平民上がりで、国防の要であり、何よりシエナ王女からの信頼が厚い。……血筋しか誇るものがない連中には、我慢ならなかったのだろうな」
カイの脳裏に、友の顔が浮かぶ。世事には疎く、食べられる草と毒草の区別すらつかないが、純粋に世界の深淵だけ追い求めていたあの男は、宮廷の派閥争いなどという俗世の泥沼に足を取られたのか。
「フォッサーノ公は、ベルクト卿を失脚させるための“事件”を画策した。卿の研究室に、自らの息がかかった“蒼きグリフォン騎士団”を、査察と称して送り込んだのだ。もちろん、査察など名ばかりだ。実際は、研究室から適当な“禁忌の証拠”とやらをでっち上げ、抵抗すればその場で暗殺する腹づもりだったのだろうよ」
リカルドは、まるで駒の動きを解説するように、感情を交えずに言った。
「だが、彼らはベルクト・ファロスという男の本質を、致命的に侮っていた。あの男にとって、自らの好奇心と探求を邪魔する者は、人間であれ、虫であれ、等しく“排除すべき障害物”でしかない。騎士たちが剣を抜いた瞬間、勝敗は決した。いや、あれを勝敗と呼ぶことすらおこがましい。ただの一方的な駆除だった。騎士団の精鋭三十名は、誰一人として悲鳴を上げる間もなく、ただの肉の塊となって地に伏せることになった」
カイの呼吸が浅くなる。野盗を屠った時と同じだ。彼にとっては、騎士も野盗も、大した変わりはないのだろう。指先が、膝の上で強く握りしめられた。
「守旧派は、自らの愚かさで国家の最大戦力と敵対したわけだが、そんなことを素直に認める連中ではない。騎士団の構成員の多くは、有力貴族の次男や三男だ。フォッサーノ公は、魂の抜け殻となった己の息子を玉座の前に引きずり出し、涙ながらに国王陛下に選択を迫った。『この悪魔を、これ以上野放しになさるおつもりか』と。……実に見事な役者だったよ。王宮中が、彼の悲劇の父親ぶりに同情した」
「……あんたも、止めなかったんだろ」
カイの喉から、掠れた声が出た。
そこでリカルドの瞳に、初めて微かな熱がこもった。
「私は最後まで反対した。感傷で国は守れん。だが、フォッサーノの情報工作は完璧だった。民衆までが『王宮の悪魔』の話を娯楽として消費し始めた。ベルクト卿を庇えば、国が内乱で二つに割れかねない状況だったのだ」
そしてリカルドは改めてカイに視線を向けた。
「か弱き国王陛下に出来たことといえば、その“悪魔”を、“災厄”として国外に穏便に追放することだけだった。実に、滑稽な幕引きだとは思わんかね?」
語り終えたリカルドは、ゆっくりと息を吐き、再び椅子に腰を下ろした。重い沈黙が落ちる。
ベルクトの行いは変わらない。あの夜、野盗を殺した時の、感情のない瞳。プリルの中で悲鳴を上げ続ける魂たち。それらを、なかったことにはできない。
だが——
視線が、リカルドの顔へ戻った。
話を信じるならば、この男はベルクトの味方だったのだろうか。
「おっと、うっかり全て話してしまった。まぁここまでご足労頂いた手間賃だと思ってくれ」
そう言ってわざとらしく肩をすくめるリカルドを、カイは黙って見つめていた。
沈黙を破ったのは、カイの方だった。
「……それで、俺に何をさせたいんですか?」
リカルドの口元に、今度こそはっきりと満足の笑みが浮かんだ。
「君に求めるのは、この国の秩序を乱すすべての脅威の排除だ。国境を脅かす外敵は無論のこと、王都の治安を揺るがす国内の不穏分子も含まれる。そして、平時においては……そうだな、王家の護衛を頼もうと思っている」
王家の護衛。その言葉が、カイの心臓を強く掴んだ。
――王都ルステラのシエナを頼む。
ベルクトの最期の言葉が、脳裏に鮮やかに蘇る。この男の駒になることは本意ではない。だが、この任務を受ければ、彼女に会えるかもしれない。
「……わかりました」
自信などない。王宮の作法も知らない。だが、行くしかない。
リカルドが満足げに頷き、再び机上の書類に目を落とした。まるで、カイの承諾など最初から計算済みだったかのように。
「よろしい。では、特務分隊長殿。最初の任務だ」
カイは、その声の温度が完全に消え失せていることに気づいた。先ほどまでの濃密なやり取りが、ただこの瞬間のために用意された、計算され尽くした舞台装置であったような感覚に襲われる。
「カドゥーカの新型兵器『共振破城槌』により、最前線のエステ砦が陥落寸前だ」
リカルドが地図の一点を指差す。
「あれを破壊してきてくれ」




