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第3話 赤煉瓦の街と夜蝶カーラ・ロッシ

 数日間の旅路を経て、カイたちの眼前に、赤みを帯びた巨大な城壁が姿を現した。


 商業都市テッラローザ。その名は、この地方特有の赤土と、それを用いて築かれた壮麗な赤レンガの街並みに由来するという。


 門の前には既に長い列ができており、荷馬車を連ねた商人たち、大きな籠を背負った農民、様々な装いの旅人たちがひしめき合っている。


「すごい人だね、カイ!」


 プリルが肩の上で身を乗り出す。その半透明の体が朝日を受けて虹色に輝いた。


「ああ...」


 カイは曖昧に頷いた。正直なところ、人と関わるのが苦手な彼にとって、これほどの群衆は息が詰まるだけだった。


 城門をくぐると、そこはまた別世界だった。


 石畳の大通りが真っ直ぐに伸び、その両脇を赤煉瓦造りの建物が隙間なく埋めている。どれもカイの背丈の何倍もあり、見上げる空は建物の屋根で細く切り取られていた。その窓という窓からは、人々の熱っぽい話し声が溢れ、工房からは金属を打つリズミカルな槌音が漏れ聞こえる。


 通りには露店がびっしりと並び、その合間を縫うように、裕福そうな商人や屈強な傭兵、様々な同業者組合(アルティ)の紋章を誇らしげに掲げた職人たちが闊歩(かっぽ)している。


「いらっしゃい!新鮮な野菜だよ!」


「上等な布地!王都から仕入れたばかりだ!」


「魔除けのお守り!旅のお供にどうだい!」


 その喧騒(けんそう)に、カイは目を回しそうになった。


 露店で炒められる肉の脂がはぜる音、香辛料のエキゾチックな芳香、そして家畜の糞尿と運河の生臭さが混じり合った独特の熱気が、カイの鼻をくすぐった。


 肩と肩がぶつかり合い、知らない人間の体温を否応なく感じさせられる。


 カイの肩の上では、プリルが興奮したように歓声を発していた。


「わー!カイ、見てみて!キラキラがいっぱいだよー!あれも!これも!」


 プリルは露店の宝石や、豪華な装飾の馬車を見つけるたびに騒ぎ立てた。時には露天商の呼び込みの声をそっくり真似て、「へいらっしゃい!安いよ安いよー!」と叫び、カイに「うるさい!」と小突かれる始末だった。


「どうした、カイ。顔色が悪いぞ」


 ベルクトが振り返る。その涼しげな瞳には、カイの困惑を楽しむような色が浮かんでいた。


「い、いや...なんでもない」


 カイは慌てて首を振った。しかし、足取りは明らかに重くなっている。


 これだけ立派な街で、自分たちのような者が相手にされるのだろうか。ベルクトの持つ魔道具が本当に金になるのだろうか。


 ふと、カイは通りに面した立派な建物に目を留めた。扉の上には、精巧な紋章が掲げられている。金糸で縁取られた羊の意匠。


「あれは羊毛アルティの紋章だな。このテッラローサは商業都市だ。様々なアルティ...つまり同業者組合が力を持っている。あの建物は羊毛商人たちの集会所だろう」


 ベルクトの言葉がカイの耳を通り過ぎていった。


 その建物から出てきた商人たちの身なりは、カイとは比べ物にならないほど上等だった。絹のような光沢を持つ上着、磨き抜かれた革靴、そして腰には重そうな財布。彼らは談笑しながら通りを歩いていく。


 その姿を見て、カイは自分の擦り切れたマントを見下ろした。


 通りを進むにつれ、カイの気後れは増していった。すれ違う人々は皆、カイよりもずっと裕福そうで、自信に満ちている。


 時折投げかけられる視線が、値踏みするように肌を刺す。被害妄想だと分かっていても、カイはそう感じずにはいられなかった。


 大通りから少し入った路地で、ベルクトが立ち止まった。


「さて、まずは私の持ち物を買い取ってくれそうな店を探さないとな......」


 そう言いながら、ベルクトは鞄から布袋を取り出した。


「それ、本当に売れるのか?」


 不安そうに尋ねるカイに、「まあ、見ていろ」とベルクトは不敵に笑った。



 ※※※※※※



 路地裏の薄暗い一角に、その店はあった。


 看板には「魔道具・古物買取」と書かれているが、字は(かす)れ、扉は(きし)んだ音を立てる。


 店内に入ると、埃っぽい空気が鼻を突いた。


 様々なガラクタのような品物と、数点のまともそうな魔道具が雑然と棚に並べられている。


 カウンターの奥からは、抜け目のなさそうな鋭い目つきをした中年の店主が、値踏みするような視線をカイたちに向けてきた。


「いらっしゃい、何か売り物でも?」


 カイは緊張しながら、ベルクトから預かった品物を差し出した。


「これは...師匠が言うには、かなり価値のある魔道具だそうですが...」


 自信なさげに、店主の顔色を窺いながら、カイは布袋の中身をカウンターの上にそっと置いた。


 中から現れたのは、古びた羊皮紙の巻物――ただの古い文献にしか見えない――と、もう一つは、手のひらサイズの、黒曜石のような石だった。石自体は何の変哲もないように見えるが、意識を集中すると、その内部から微弱ながらも独特の「律動」が感じられた。


 店主は品物を手に取り、大げさにため息をついた。


「ふーん、これねぇ...」


 指で石を弾く。


「こんな傷物の魔石、誰も欲しがらないよ。見てごらん、ここに亀裂が入ってる。これじゃあ魔力も漏れちまって、使い物にならない」


「そ、そんな...」


 カイは反論しようとしたが、言葉が出てこない。店主の断定的な口調に、完全に呑まれていた。


「この巻物だって、ページが黄ばんでるし、何より内容が時代遅れだ。こんな魔法、今じゃ子供でも知ってる。ほとんど価値はないな」


 店主は次々と品物を貶していく。その度に、カイの顔は青ざめていった。


「まあ、哀れだから...そうだな、全部で銀貨5枚ってところかな」


「ご、5枚...?」


 カイは絶句した。ベルクトの口ぶりからすれば、金貨単位の価値があってもおかしくない品のはずだった。


「嫌なら他を当たりな。まあ、この界隈でこれより高く買い取る店はないと思うがね」


 店主はニヤリと笑った。その笑みには、明らかな侮蔑が含まれていた。


 カイはベルクトの方を見た。助け舟を期待したが、ベルクトは棚に置かれた薬品を熱心に眺めていて、こちらには意識も向けていない。


「も、もう少しどうにか...」


 カイは震え声で交渉を試みた。


「どうにかって?」


 店主は鼻で笑った。


「坊や、商売ってものを分かってないね。これは慈善事業じゃない。売りたくないなら、さっさと出て行ってくれ」


 その瞬間、カイの中で何かが折れる音がした。いつもこうだ。人と話すのが苦手で、自分の意見を通すことができない。相手のペースに呑まれ、言いなりになってしまう。


 悔しさで唇を噛みしめながら、カイは品物を掻き集めた。


「... ...失礼しました」


 店を出ると、外の空気がやけに冷たく感じられた。ベルクトはやっとカイの様子に気がついたのか、慌てて後を追って出てきた。


「おいカイ、どうして売らなかったんだ?」


「... ...売れなかったんだ」


 カイは力なく答えた。ベルクトは何も言わなかったが、その沈黙が、カイには責められているように感じられた。日は傾きかけ、赤レンガの街並みが夕陽に染まっている。


「お腹すいたー!」


 プリルの無邪気な声が、空腹と焦燥感で眩暈(めまい)がしそうなカイの頭に大きく響き渡った。財布の中には、ほんの数枚の銅貨しか入っていない。


「しょうがない。別の店を探すか」


 力ない様子のカイを見てベルクトがそう言った時、春先の果実のような、清涼感のある香りが目の前を通り過ぎた。


 それは埃っぽい路地裏には似つかわしくない、高貴で、どこか官能的な匂いだった。


「あら?」


 鈴を転がすような声が響いた。


「初めて見る方たちね。なにかお困りごとですか?」



 ※※※※※※



 カイが顔を上げると、そこには一人の女性が立っていた。


 深紅のドレスが、夕日を受けて燃えるように輝いている。腰まで流れる漆黒の髪は、絹糸のような光沢を放ち、わずかな風にもしなやかに揺れた。大きな蜂蜜色の瞳は、無邪気な少女のようでいて、その奥には計り知れない何かが潜んでいる。


 豊満な肉体を隠すことなく、むしろ強調するかのようなドレスのカッティング。年は二十代前半だろうか。


 完璧なまでに整った顔立ちだが、どこか幼さを残している。背は女性としても低く、それが危うい魅力を醸し出していた。


「わたくし、カーラ・ロッシと申します」


 彼女は唇の角度、目元の柔らかさ、全てが計算され尽くしたかのような、完璧な笑顔であった。


 しかし優雅に微笑む彼女を見て、カイは一瞬だけ、微かな異変を感じ取った。


 彼女の額に、微かに脂汗が(にじ)んでいる。笑顔は完璧だが、口元がわずかに強張っている。そして何より、カイの「共鳴感知」が、彼女から発せられる律動に、かすかな淀みを感じ取っていた。


 まるで、清流の中に混じった、一滴の毒のような......


 だがその違和感はすぐに霧散し、カーラはすぐに何事もなかったかのように振る舞い、カイたちに向かって話しかける。


「もしかして、旅の方?こんな時間に、こんな場所にいらっしゃるなんて」


「あ、はい……その……」


 カイは口ごもった。この美しい女性を前にして、ますます言葉が出てこない。


 プリルは、カーラの甘い香水の匂いに誘われたのか、カイの膝から飛び降りると、よちよちと彼女に近づいた。


「お姉ちゃん、いい匂いー!」


 カーラはプリルに対しても、あまり驚いた様子を見せず、膝を折ってプリルと目線を合わせた。


「不思議な子ね。こんな生き物、初めて見るわ」


「プリルはプリルだよ!」


 プリルが得意げに言った。


「カイとベルクトと一緒に旅してるの!」


「そう、カイ君と、ベルクト様」


 カーラは立ち上がり、意味ありげに微笑んだ。


「素敵なお名前ね」


 カーラはベルクトに視線を移した。その瞬間、彼女の瞳の奥に、何かを狙うような鋭い光が宿った。


「失礼ですが、何かお困りのようにお見受けしましたけど……?」


 カイは答えに窮した。初対面の、しかも明らかに身分の違う相手に、金に困っているなどと言えるはずがない。


 しかし、カーラは察したように頷いた。


「ああ、もしかして……」


 彼女の視線が、近くの魔道具屋に向けられる。


「あの店で、何か嫌な思いをされたのかしら?」


 カイの表情が答えだった。カーラは小さくため息をついた。


「やっぱり。あの店主、有名なのよ。よそ者には特に厳しくて、足元を見るの。でも周りのお店もグルだから、もっと安い値段でしか買い取ってくれないようになってるんですよ」


 そう言いながら、カーラは思案するような素振りを見せた。長い睫毛が、頬に影を落とす。


「もしよろしければ、私がお力になれるかもしれませんわ」


「えっ?」


 カイは戸惑った。なぜ初対面の自分たちに、この女性がそこまでしてくれるのか。


「遠慮なさらないで」


 カーラは人懐っこく笑った。


「私、こう見えて、この街ではちょっとした顔なのよ。それに…...」


 彼女の視線が、一瞬ベルクトに向けられた。


「興味深い方々とお知り合いになれるのは、私にとっても価値のあることですから」


 ベルクトは表情を変えない。ただ、唇の端がかすかに上がっただけだ。



 ※※※※※※



「じゃあ、ついて来てくださる?」


 彼女は優雅な足取りで歩き始め、カイが屈辱を味わった、あの魔道具屋の中へと入っていった。


「こ、これは……!」


 先ほどまで尊大な態度だった店主が、血相を変えて駆け寄ってくる。


「カーラ様!ようこそ、ようこそ!」


 深々と頭を下げ、まるで別人のような卑屈な笑みを浮かべる。


「今日はどのようなご用件で……?」


「別に。ただ、最近面白いものは入ったかしらと思って」


「は、はい!もちろんです!」


 店主は慌てた様子で、奥から品物を取り出し始めた。その手は微かに震えている。


 カイは唖然としていた。あれほど自分を見下していた店主が、まるで忠実な犬のようにカーラに媚びへつらっている。


 カーラはニコニコと店主の取り出す品物を眺めながら、「そういえば……」と声を上げた。


「さっき、この方たちが来なかった?」


 店主の顔が引きつる。


「あ、いえ、その...」


「ふうん」


 カーラの声音が、わずかに冷たくなった。


「相変わらず、よそ者には厳しいのね」


「い、いえ!決してそのようなことはありません!」


 店主は必死に弁解しようとしている。


 カーラは、そんな店主の態度に鷹揚(おうよう)に頷きながらも、ちらりとカイに視線を送り、悪戯っぽく微笑んだ。


「この子は私の弟みたいな存在なの。……ねえ、あなたほどの鑑定士でも、たまにはお疲れで眼が曇ることもあると思うのよ。だからもう一度、品物を見てみて頂けません?」


「も、もちろんでございます。先ほどは、大変失礼しました。こ、こちらへどうぞ」


 店主は、そう言って震える手でカイから布袋を受け取ると、カウンターの奥から普段は使わないであろう、いかにも高価そうな鑑定道具一式を慌てて引っ張り出してきた。



 ※※※※※※



 長い、息の詰まるような鑑定の後、店主は震える声で、しかし先ほどとは比べ物にならないほど(うやうや)しく、鑑定結果を告げた。


「カ、カーラ様………!も、申し訳ございませんでした!この巻物は、古代魔術の中でも特に秘匿(ひとく)されてきた『魂縛りの儀式』に関する、現存する貴重な原典の可能性がございます。こちらアウラ金貨30枚で買い取らせて頂きます!」


「さ、30アウラ金貨!?」


 カイは思わず叫んでいた。さっきは「ほとんど価値がない」とまで言われたのに、今や金貨30枚! 自分のような行商人では、10年かけても稼げないような大金だ。


「あら、最初からそのくらいの価値はあると思っていたわ。良かったわね、カイくん?」


 カーラは満足そうに唇の端を吊り上げると悪戯っぽくウィンクした。


「そしてこちらの魔石なのですが……」


 カーラの顔色を伺いながら、店主が恐る恐るという様子で口を開いた。


「これは『宵闇の星石』と呼ばれる非常に珍しい魔石です。ラスナの民に伝わるという、相手の精神を支配する奇薬の原料となります。本来は金貨100枚は下らないかと思うのですが、当店ではとても扱える品ではございません。申し訳ないのですが、買い取りは辞退させて頂けないでしょうか。」


 あまりの出来事に、カイはただただ呆然とするしかなかった。


 カーラも眉を僅かにひそめたが、すぐに表情を取り繕い、「仕方がないわね」と返した。


 店を出ると、辺りはすっかり暗くなっている。


 カイは改めてカーラを見つめた。一体、この女性は何者なのか。なぜあれほどの影響力を持っているのか。


「驚いた?」


 カーラがくすりと笑った。


「私、ちょっとした情報屋もやっているの。この街の商人たちとは、持ちつ持たれつの関係でね」


 それだけではないだろう、とカイは思った。あの店主の怯え方は、単なる取引相手に対するものではない。


 もっと深い何かが……


「さて」


 カーラは大通りに出ると、立ち止まった。


「ちょうど私もお腹が空いてきたところなの。よかったら、一緒にお食事でもいかがですか?何かの縁ですし、今宵はわたくしがご馳走いたしますわ」


「え、でも……」


 カイは困惑した。見ず知らずの相手に、そこまでしてもらうわけにはいかない。


「遠慮しないで」


 カーラはカイの肩にそっと手を置いた。その手は、驚くほど柔らかく、そして温かかった。


「困った時はお互い様でしょう?それに…….」


 彼女はベルクトに視線を向けた。


「ベルクト様のような方とお話できる機会は、そうそうありませんもの」



 ※※※※※※



 カーラが案内したのは、目抜き通りに面した壮麗な建物だった。


 大理石の柱、金細工の施された扉、そして入り口に立つ制服姿の門番。明らかに、一般人が気軽に入れる場所ではない。


「ようこそ、カーラ様」


 門番は頭を下げ、扉を開けた。


 中に入ると、天井には豪華なシャンデリアが輝き、壁には見事な絵画が飾られている。ビロードのカーテンが窓を覆い、外の喧騒を完全に遮断していた。足元には厚い絨毯が敷かれ、歩くたびに靴が沈み込む。


「二階の特別室へ」


 カーラが給仕に告げると、彼らは慇懃(いんぎん)に一行を導いた。


 特別室は、さらに豪華だった。部屋の中央には彫刻の施されたテーブル、その周りには座り心地の良さそうな椅子が並んでいる。窓からは、テッラローサの街並みが一望できた。


「さあ、おかけになって」


 カーラが促したが、カイは躊躇した。自分の薄汚れた服で、こんな高級な椅子に座っていいものか... ...


「カイ、遠慮は無用だ」


 ベルクトが静かに言った。その言葉に背中を押され、カイはおずおずと腰を下ろした。


 椅子は驚くほど柔らかく、体が沈み込んでいく。


 ベルクトは、そんなカイとは対照的に、サロンの豪華さにも全く動じることなく、慣れた様子で席に着き、カーラが勧めるワインのリストを興味深そうに眺めている。


 まるで、このような場所は日常茶飯事であるかのように。


「わー!キラキラがいっぱい!お菓子もあるかなー?」


 豪華な調度品や、やがて運ばれてくるであろう美味しそうな料理の香りに目を輝かせ、プリルがそわそわと落ち着きなく動き回っていた。


 カーラはサロンの給仕人たちにテキパキと指示を出す。その様は、まるでこのサロンの主人のようだった。


 給仕人たちは、カイたちのような場違いな客にも恭しく頭を下げた。


「そうね...北方産の赤を。それから、軽い食事も用意して」


「かしこまりました」


 給仕が下がると、カーラはカイたちに向き直った。


「さて」


 彼女は優雅に足を組んだ。ドレスの裾から、形の良い脚が覗く。


「改めて自己紹介させていただくわ。私はカーラ・ロッシ。この街で... ...そうね、色々なことをしているの」


「色々?」


 カイが聞き返すと、カーラは悪戯っぽく笑った。


「情報屋、相談役、時には...もっと親密なサービスも」


 最後の言葉の意味を、カイは理解できなかった。


「そして、あなたは?」


 カーラの視線がベルクトに向けられる。ベルクトは肩をすくめて、「ただの老いぼれだ」と答えた。


「あら、ご謙遜を」


 カーラの瞳が細められた。


「ベルクト様の名前を知らないようじゃ、情報屋なんて名乗れませんよ。それに、そんな可愛い子を堂々と連れてらして……」


 少し呆れたように笑いながら、カーラはプリルに手を振った。プリルは「えー可愛いー?」と楽しそうな声を上げる。


 その後カーラはいくつか探るような質問をしたが、ベルクトは雲に巻くような返事しかしなかった。


 カーラも無理に聞き出そうとはせず、そうこうしている内に、ワインと食事が運ばれてきた。


 目の前に運ばれてきたのは、カイが見たこともない料理の連続だった。


 鶏の肝臓を練り上げた濃厚なペーストが塗られた香ばしいパン、猪の肉と赤ワインの芳醇(ほうじゅん)な香りが立ちのぼる幅広のパスタ、そして赤身の中心が美しい薔薇色をした厚切りの牛肉。


「さあ、召し上がって」


 カーラが勧めたが、カイは戸惑った。こんな高級なもの、口にしていいのだろうか。


「わーい!ごはんだー!」


 プリルは遠慮なく料理に飛びついた。


「おいしい!カイも食べなよ!」


 その無邪気な様子に、場の空気が少し和らいだ。カイも恐る恐る料理に手を伸ばす。口に入れた瞬間、複雑な味わいが広がった。今まで食べてきたものとは、次元が違う。


「美味しい?」


 カーラが微笑んだ。カイは頷くしかなかった。


「ところで」


 カーラがさりげなく切り出した。


「カイ君は、どうしてベルクト様と?」


 カイは答えに詰まった。偶然出会って、なんとなく一緒に旅をしている... ...そんな曖昧な関係を、どう説明すればいいのか。


「この子は私の弟子でしてね」


 ベルクトが代わりに答えた。


「あら、ベルクト様に弟子がいたなんて、知りませんでしたわ」


 カーラが目を細める。弟子になった覚えこそなかったが、この場で否定するわけにもいかず、カイは曖昧に笑うしかなかった。


 その時、ふとカイの視線が部屋の隅に向けられた。そこには、ガラスケースに入れられた装飾品が飾られていた。その中の一つ、美しい宝石をちりばめたネックレスに、カイは違和感を覚えた。


 いや、違和感どころではない。


 そのネックレスを見た瞬間、錆びた釘を舌に乗せられたような、激しい不快感に襲われた。


「うっ……」


 カイは思わず顔をしかめた。


「あら、大丈夫?」


 カーラが心配そうに尋ねる。


「いえ、その、あの首飾り……」


 カイは言いづらそうに、ネックレスを指差した。


「あら、素敵でしょう?先日、とある貴族から譲り受けたの」


 カーラは振り返り、ネックレスを見ながら言った。しかし、カイの顔色はますます悪くなっていった。


「違う。あれは……」


 言葉が上手く出てこない。ただ、あのネックレスから発せられる「何か」が、カイの感覚を激しく刺激していた。


 まるで、毒々しい何かが渦巻いているような気がした。


「ふむ……。この小僧の感覚は、時折、常人には見えぬものを捉えることがある。ひょっとしたら、さっきの店の礼が出来るかもしれないぞ」


 カイの様子を見ていたベルクトは、ワイングラスを置いて、そう口にした。どこか面白がるような雰囲気を感じる。


「……ベルクト様がそこまでおっしゃるなら、調べてみる価値はありそうですね」


 カーラはベルクトとカイを、真剣な眼差しで眺め、面白そうに眉を上げた。


 彼女はすぐにサロンの支配人を呼びつけ、懇意にしているという魔術師を至急呼び出すよう命じた。


 その手際の良さは、彼女がこのテッラローザで持つ人脈と行動力を如実に示していた。


 ほどなくして、年配の魔術師が慌てた様子でサロンに到着した。


 カーラがネックレスの鑑定を依頼すると、魔術師は様々な道具を取り出し、呪文を唱えながら慎重にネックレスを調べ始めた。サロンには緊張した空気が漂う。


 やがて、魔術師は額の汗を拭い、深刻な表情でカーラに鑑定結果を告げた。


「カーラ様。このネックレスは……まことに申し上げにくいのですが、極めて強力な呪いの魔道具でございます。持ち主の生命力を徐々に吸い取り、緩やかに、時に数年をかけながら死に至らしめるという、おぞましい代物です」


 ずっと微笑みながら状況を楽しんでいたカーラの顔から、表情がサッと消えた。最近感じていた原因不明の倦怠感や、時折襲われる悪寒が彼女の脳裏に思い出される。


「そう……だったのね」


 彼女の顔に驚愕と安堵が見えたのは、ほんの短い間だけだった。


「これは処分してちょうだい」と魔術師に命じると、すぐに元の穏やかな笑みに戻り、ゆっくりとカイに向き直った。


 その瞳には、獲物を射抜く狩人のような、あるいは未発掘の鉱脈を見つけた探鉱者のような、鋭く、そして貪欲な光が宿っていた。


「カイくん、貴方のおかげで助かったわ」


 カーラは甘く囁きながら、カイの手にそっと自らの手を重ねた。その手は僅かに震えている。


「危ないところだったわ。本当にぞっとしちゃう。カイくんは素晴らしい才能を持っているのね」


 彼女の声は、蜜のように甘かった。


 カイは戸惑った。カーラの急激な態度の変化に、ついていけない。ただ震える手を払いのけることは出来なかった。


「いえ、俺はただ……」


「謙遜しないで」


 カーラはカイの隣に座り直した。さっきよりもずっと近い距離。彼女の香水の匂いが、カイの鼻を刺激する。


「あなたのおかげで、命を救われたわ」


 そう言って、カーラはカイの腕を触る。柔らかく、温かい手。カイは顔が熱くなるのを感じた。


「これは、お礼をしないといけないわ」


 カーラの瞳が、妖しく輝いた。


「ねえ、カイ君」


 彼女は囁くような声で言った。


「今夜、もう少しお話ししない?」


 その言葉の意味は、カイには分からなかった。ただ、カーラの蜂蜜色の瞳から目を離せない。


 ベルクトは変わらずワインを飲んでいる。ただ、その目には愉快そうな光が浮かんでいた。


 まるで、面白い見世物を見ているかのように。


 プリルは満腹になったのか、テーブルの上で丸くなって寝息を立てている。


 窓の外は暗く、街明かりも消えている。


 カイは言い知れぬ期待と同時に、抗いがたい危険な何かに絡め取られていくような感覚を覚えた。


 カーラの手が、カイの手を優しく握っている。その手はもう、震えてはいなかった。

たくさんの作品の中からお時間をいただき、ありがとうございます!


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