間章1
「――ラセツは、まだ戻りませんか」
褐色の肌をした少女が問うた。小柄で華奢な体躯、腰まで届く緑の黒髪、ピンと先の尖った耳、深紅の瞳を縦に割る、猫の眼のような瞳孔。彼女のそういった特徴の全てが、襤褸切れのようなぶかぶかのローブに包み込まれていた。今は辛うじて首から上を外界に晒しているが、おそらくフードを被れば顔も判別できなくなるだろう。
「師よ、定時連絡も途絶えました。おそらく――」
「わかっています」
「わかっています」と、少女は繰り返した。中空を見つめる視線は、鬱蒼と茂る枝葉に遮られているはずだったが、彼女はその先に何かの姿を見つけたかのように、細い手をほんの幾筋かの木漏れ日の中へと伸ばした。
「師よ、急がねばなりません。我々は皆の屍を越えて進まねばならない」
「……そうね」
少女とその一行は移動を再開した。途中、要所要所に罠を張りつつの移動は時間がかかったが、ここで費やした時間はそれ以上の時を稼いでくれるはずだった。そうでなければ困る。
途中、再び別働隊が出発した。仕掛けた罠が解除された反応があった。敵の追っ手の実力は、率直に言って想定の範疇を超えていた。
「師よ、ここからは全速力で逃げます」
「ええ」
「最悪、私も別働隊に加わることになるでしょう。ですが、決して歩を止めてはなりません」
「……ええ」
少女は、紅い瞳を憂いで湿らせて一番弟子のアークデーモンを眺めた。年端のいかない少女の外見と釣り合わない色艶に、視線を向けられたアークデーモンの鼓動が高鳴った。
「では、私は策を練り直しますので……」
「ねえ、タユタ?」
少女は一番弟子を呼び止めた。少女の口で己の名を呼ばれるのを感じて、アークデーモンの心はこの一時、浮き世を離れて喜色に染まった。前にその名で呼ばれたのは、一体いつのことだったか――。
「――私達は、一体どこで間違えてしまったのかしら?」
不意に放たれたその問いに、タユタと呼ばれたアークデーモンは返答することができなかった。
その問いを向けられたのは初めてではない。彼女ではない別の人物――彼女と同じ立場であった人物達から、かつて必ずと言っていいほど向けられた問いであった。
その問いに答を出したことはあった。その答よりも正解に近い答は存在しないと、今でも自信を持って言える。しかし、目の前の少女には――慈愛に満ちた心と、それにそぐわない残酷な力と、その力の行使を強要する地獄のような立場を併せ持ってしまい、それでも懸命に足掻いた――否、足掻き続ける不幸な少女に対しては、とても同じ答を返す気にはなれなかった。
「師よ、我々は、誰一人として間違ってはおりません。ケンベイも、ラセツも、私も、先代も、そしてあなたも」
かつて出したそれとは異なる回答を、今でも信じるそれとは異なる回答を、少女には返した。
「我々が間違っているとするならば、それはこの世界を作った神とやらの作為と悪意の結果です。我々は我々の望む世界を求めて戦い、そして絶体絶命の窮地まで追い込まれました。ですが、それだけです。まだ完全に敗北してはおりません」
「……そうね」
「我々には、まだ勝ちの目があります。ケンベイが、ラセツが、散っていった全ての仲間達が繋いだ勝ち筋が、細くとも間違いなく残っています。これを手繰ること、それを止めることがあれば、それだけが唯一、我々が犯した過ちとなるでしょう」
「そう、ね」
少女はタユタから視線を外して俯いた。
タユタには、この回答が少女を苦しみから解き放つものではないことが十二分に分かっていたが、それでも、今はこのように言うしか無かった。彼自身の恋心と、散っていった全ての仲間達との友情に対して誠実であるために。彼の精神は、耳障りがいいだけの言葉をよしとはしなかったのだ。
「今は先を急ぎましょう、師よ」
「ねえ、歩きながらでいいから、もうひとつ訊いてもいいかしら?」
「なんでしょう?」
少女は、再び憂いに濡れた視線をタユタに向けた。
「もし――もし、貴方たちが全員逝ってしまっても、それでも私は、独りで生き続けなければならないのかしら?」
少女の縦長の瞳孔が細まった。縋るようなその問いを、一瞬、タユタは受け入れてしまおうかと考えた。
「はい、師よ。あなたお一人でも、必ず生き抜いて下さい」
タユタは、すんでの所で抗いがたい誘惑を拒絶した。
少女は、「……そう」と呟いたきり、何も言わなくなった。
少しずつ、少しずつ、仲間達は別働隊として離れていく。
毎日更新を止めた代わりに1話1話を長くしてみました。
課題だったテンポの悪さに対する回答になるでしょうか?
まあ、暫くは実験的にこれでいきます。




