第37話 ジーノ・オルフェイ編 3
あの頃のジーノは、荒れ果てた星を出て、名もない一人の若者としてクンスト・トーキョーへ流れ着いた。
仕事はない。
明日のあてもない。
この星まで連れてきてくれた友人のもとに、いつまでも世話になっていることにも、次第に居心地の悪さを覚えるようになっていた。
そんなジーノに、クンスト・トーキョーで新しい仕事を持ちかけたのが、オルノスだった。
ある日のこと。
途方に暮れていたジーノに、彼女は何気ない調子で声をかけた。
「アルバイトでもいいから、私のアパレルブランドでモデルの仕事、やってみない? あなたなら絵になると思うの」
「モデル?」
思いがけない言葉に、ジーノは眉をひそめた。
どんな仕事なのか見当もつかなかったが、報酬が出ると聞けば話は別だった。
「金になるなら、まあ……やってみるか」
話を聞けば、立ってポーズを取っていれば終わるような仕事らしい。
その程度に考えていた。
ところが、現場に入ってみると、そう簡単な話ではなかった。
カメラマン、デザイナー、スタッフ、そして他のモデルたち。
一枚の写真を仕上げるだけでも、大勢の人間がそれぞれの役割を担い、息を合わせて動いている。
「ジーノ君、今日よろしくね」
「ああ」
挨拶は、それだけだった。
自分から話しかけることもしなければ、話しかけられても必要最低限しか返さない。
気づけば、周囲との間にはぽっかりと空白ができていた。
スタッフたちはジーノに指示を出すとき以外、必要以上に近づかなくなった。
そんな様子を見かねたのか、ある日、オルノスが彼の前に立った。
「一度やると決めたのなら、最後まで責任を持ちなさい」
ジーノは黙って彼女を見る。
「それに、あなたは――私が見込んだモデルよ」
オルノスの目が、まっすぐジーノを捉える。
「私たちを信じて」
ジーノの足が、ぴたりと止まった。
返す言葉が見つからない。
ただ、その一言だけが妙に耳に残った。
翌日から、少しずつジーノの態度が変わった。
「この角度のほうが、服のラインが綺麗に見えねぇ?」
「なるほど。じゃあ、一度やってみよう」
軽口は相変わらずだった。
それでも撮影が始まれば真剣にカメラへ向き合い、求められたポーズだけでなく、自分から意見を出すようになった。
「次、こっち向いてみてもいい?」
「いいね。やってみよう」
「おっ、マジ?」
そんなやり取りが、少しずつ増えていった。
すると、それまで遠巻きにしていたスタッフたちも、自然とジーノに声をかけるようになった。
「ジーノ、昼飯もう食べた?」
「まだ。なんか食えるもんある?」
「それなら、下に新しい店できたよ」
「マジか。じゃあ行こうぜ」
いつの間にか、撮影現場から笑い声が聞こえるようになっていた。
ジーノは、ふと周囲を見回した。
以前は、誰も自分に近づこうとしなかった。
けれど――近づかなかったのは、彼らではない。
自分のほうだった。
そのことに気づいたとき、ジーノの中で、何かがひとつ繋がった。
実は、モデルの仕事を始めてから数日後。
地球へ連れてきてくれた友人から、ジーノは別の仕事を紹介された。
――アーカイブ。
モデルの仕事だけでは生活に不安があったこともあり、ジーノはその仕事も引き受けることにした。
だが、最初に任されたのは雑用ばかりだった。
年の近い宵月とは相性が悪く、ジーノはことあるごとに彼女と衝突していた。
そのイライラに任せて、他のメンバーに当たることもあった。
それでも、誰かが自分を追い出そうとしたことはなかった。
少しずつモデルの仕事場の環境が変わり始める一方で、ジーノの中にもひとつの思いが芽生えていた。待っているだけでは何も変わらない。自分の置かれた環境を変えられるのは、自分自身しかいない。そう腹を決め、ジーノは東郷と才原を訪ねた。
細身の拳を握り、背筋を伸ばす。
「……悪かった」
東郷と才原が顔を上げる。
「俺、ずいぶん勝手にやってた。迷惑、かけてたと思う」
二人の間に、妙な沈黙が落ちた。
東郷と才原が顔を見合わせる。
やがて東郷が、目を丸くした。
「どうした、急に」
「……え?」
「別に、お前の態度なんか誰も気にしちゃいねえよ」
「え?」
ジーノの目が丸くなる。
東郷は、いつものぶっきらぼうな調子で続けた。
「仕事をちゃんとこなしてる。それだけで十分だ。俺はお前の仕事ぶりを信用してる」
「……」
ジーノは返事を忘れた。
ただ、握りしめていた拳が、ゆっくりとほどけていく。
「そうですよ、ジーノ君」
才原が穏やかに笑いながら、ちらりと東郷を見る。
「東郷に比べたら、むしろ可愛いもんです」
「おい」
東郷がじろりと睨む。
しかし、才原は気にする様子もない。
「ちなみに、エルザさんはあなたのことを『猫みたいで可愛い』って言ってましたよ」
「猫?」
「ええ。それに、宵月さんとの口論も、あの人にはいい刺激になっているみたいです」
「宵月が?」
「普段は武士みたいに黙ってますからね。あんなふうに言い合える相手がいるとは、僕も少し意外でした」
才原は楽しそうに目を細めた。
「ジーノ君と喋っているときは、ずいぶん生き生きしてますよ」
ジーノは首をかしげた。
「宵月が生き生きって、想像つかねぇんだけど」
東郷は頭をガシガシとかいた。
「まあ、だからあんま気にすんな」
ジーノが顔を上げる。
「お前が自然でいられるなら、今まで通りでも構わん」
東郷は、そこで一度言葉を切った。
「ただ、無理して才原みたいな“猫被り”になられても困るがな」
「僕は“猫被り”なんかじゃありませんよ」
才原が笑顔のまま返す。
「仕事のために、顔を使い分けているだけです」
「それを世間では猫被りって言うんだよ」
「まったく。東郷は口が悪いですね」
二人のやり取りを、ジーノは黙って眺めていた。
才原がふと、真面目な顔になる。
「でも、ジーノさん」
「ん?」
「アーカイブは、命がけの現場も多いので」
ジーノの表情から、少しずつ笑みが消える。
「だからこそ、自分らしくいることは大事ですよ」
才原は穏やかな声で続けた。
「無理を続ければ、いつか自分でも気づかないところで、何かが壊れてしまいますから」
「……はあ」
ジーノは曖昧に返した。
その言葉の意味を、今すぐ理解できたわけではない。
けれど、なぜか耳に残った。
それからも、宵月との口喧嘩は相変わらずだった。
「ジーノ、勝手な行動に出るなと言っている」
「うるせぇ! 結果オーライだろ!」
「結果だけを見て話すな」
「細けぇなぁ、宵月は!」
言い合いになるたび、周囲から呆れたような視線が飛んでくる。
それでも――ジーノは、以前のように一人で突っ走ることはなくなっていた。
任務に出れば、まず周囲を見る。
仲間の位置を確認する。
危険を察知すれば、自然と声が飛び出す。
「右、来るぞ!」
「宵月、下がれ!」
「東郷さん、そっちは任せた!」
すぐに返事が返ってくる。
「うるさい。分かっている」
「ああ。お前も油断するな」
その声を聞きながら、ジーノは前を向く。
アーカイブは、友人に紹介されたただの職場ではなかった。
いつの間にか――背中を預けられる場所になっていた。




