↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
橄欖色のアーカイブ  作者: 藍川 卯木子
橄欖色のアーカイブ ー日常編ー

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
86/118

第26話 宵月カナト編 11

 宵月はアサミのあとを静かに歩き、階段を上っていった。

 二階の一番奥。

 アサミが襖を開けると、ふたりはそのまま部屋へ入った。

 そこは、静かな和室だった。

 整えられた畳の上には余計なものがなく、壁際には本棚が並んでいる。その隣には、衣装や舞台道具を収めた大きなクローゼット。窓際には漆塗りの化粧前が置かれていた。

 派手さはない。

 けれど、どこに何を置くかまで決められているような室内には、アサミらしい端正な空気が漂っていた。


「そこに座って」


 アサミは座布団に腰を下ろし、向かいの座布団を軽く手で示した。

 宵月も腰を下ろす。

 しばしの沈黙のあと、アサミが口を開いた。


「カナト。今回の任務、かなり危険だったって聞いたよ」


 宵月の指が、膝の上でわずかに動いた。


「ちょっとだけ、耳に入ってきたんだ」


 返事はない。

 宵月は畳へ視線を落としたまま、拳を握っていた。

 アサミはそれを見ても、すぐには言葉を重ねなかった。


「安心して。任務の詳しい内容までは聞いてないよ。才原さんも、そこはきっちりしてるからね」


 アサミは小さく息を吐き、苦笑する。


「ただ……妹がそんな危ない場所にいたって知ったら、平気な顔でいろってほうが無理な話さ」


 宵月のまつげが、かすかに揺れた。

 ゆっくりと顔を上げる。


「私は、大丈夫でした。兄様」

「うん」

「ただ……」


 そこで言葉が途切れた。

 握った拳に、さらに力が入る。


「今回の任務で、自分の未熟さを思い知らされました」


 爪が掌に食い込む。


「それが、悔しくて」


 アサミはしばらく何も言わなかった。

 やがて、その横顔にふっと昔を思い出すような笑みが浮かぶ。


「カナトはお祖父様に似ているよ」

「お祖父様に?」

「ああ。真面目で、何でも一人で背負おうとするところがね」


 アサミは立ち上がると、窓辺へ歩いていった。

 障子を少し開ける。


 夜風が細く部屋へ入り込み、畳の上を撫でていった。

 その向こうには、澄んだ夜空。

 下弦の月が、星々の間に静かに浮かんでいる。


「私が言いたいのはね」


 月を眺めたまま、アサミが続ける。


「私たちは、君のことをちゃんと案じている。それだけは、忘れないでほしい」


 宵月は答えなかった。

 ただ、窓の向こうへ視線を向ける。

 夜風が、頬を撫でていく。


「子ども扱いしてるわけじゃないよ」


 アサミが振り返った。


「家族として、心配してるんだ」

「はい」


 宵月は小さく頷いた。


「分かっております、兄様」


 アサミはそれ以上、何も言わなかった。

 ただ、いつものように穏やかに笑った。


「話はそれだけさ」


 窓を閉めながら、アサミが言う。


「明日からはまた別邸での稽古が始まる。今日は久しぶりに、皆で夕飯を囲めて嬉しかったよ」

「私も楽しかったです」

「そうか」


 アサミは満足そうに頷いた。


「じゃあ、おやすみ。カナト」

「おやすみなさいアサ兄様」


 宵月は立ち上がり、襖へ向かった。

 そっと襖を開け、部屋を出ようとした――そのとき。


「……ああ、そうだ」


 背後から声が飛んできた。

 宵月が振り返る。

 アサミは、先ほどまでと変わらない穏やかな顔をしていた。


「さっき話に出ていたアルスくん」

「はい」

「今度、私たちがいるときに連れておいで」

「…………」

「ぜひね」

「…………はい」


 宵月はそれだけ答えると、襖を閉めた。

 閉じた襖の向こうから、アサミの気配が遠ざかっていく。


「……」


 廊下に立ったまま、宵月は小さく息を吐いた。

 ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。

 窓から差し込む月明かりが、廊下の床を淡く照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。