第24話 宵月カナト編 9
「さあさあ、皆さま。遠慮なさらず召し上がってくださいな。お帰りが急でしたから、有り合わせで申し訳ありませんけれど――」
そう言いながら、亀子は食卓を見渡した。
色とりどりの小鉢に、揚げたての天ぷら。炊きたての白飯に、具だくさんの味噌汁。
どの料理からも湯気が立ち上り、とても「有り合わせ」には見えない。
「いえ、こちらこそ突然の連絡でご迷惑をおかけしてしまって……」
アサミは椅子に腰を下ろすと、背筋を伸ばして丁寧に頭を下げた。
「まあまあ、坊っちゃま。そんなに改まらなくても……。こうしてお顔を見せてくださっただけで、私は嬉しゅうございますよ」
亀子は目尻を下げて笑う。
「うおーっ! 亀子さんの料理、久しぶりだー!」
ハルカが勢いよく両手を合わせた。
「いただきます!」
次の瞬間には、もう箸を握っている。
狙いを定めたのは、揚げたての海老天だった。
「うまっ!」
「……いただきます」
その隣で、ミツハも静かに手を合わせる。
そして、黙々と箸を動かし始めた。
「おかわりはいくらでもありますからね」
亀子が声をかけると、ミツハは頬を膨らませたまま、こくりと頷いた。
返事はそれだけ。
だが、空になっていく茶碗が、何より雄弁だった。
「さあ、カナト。私たちも食べよう。二人に先を越されてしまったよ」
アサミが穏やかに笑う。
「はい。いただきます」
宵月も手を合わせ、久しぶりに揃った兄たちと箸を交えた。
亀子が手際よく茶碗へ白飯をよそう。
「ミツハ坊っちゃま、もう三杯目ですけれど……まだ召し上がります?」
「……お願いします」
「はいはい」
亀子が笑いながら山盛りのご飯をよそう。
その様子を眺めていた宵月は、ふとアサミに目を向けた。
「今回の興行は、いかがでしたか?」
「おかげさまで好評だったよ」
アサミは箸を置き、湯呑みに手を添える。
「特に今回は、今まで接点のなかった惑星セブンとも繋がりができてね。非常に実りのある旅になった」
「そういえば、ミツ兄!」
ハルカが突然、身を乗り出した。
「なんか、めっちゃ派手な人にスカウトされてたじゃん! あれって何て会社だったっけ?」
「……忘れた」
ミツハは山盛りの茶碗を片手に、淡々と答えた。
「けど、仕事は引き受けることになった」
「へえ!」
「……アサ兄のせいで」
「ふふ」
アサミは湯呑みを口元へ運びながら、楽しそうに笑った。
「あの人とは昔からの付き合いでね。ミツハのこともよく見ていたよ。多少くせのある人だけれど、経験としては悪くないと思う」
「……」
ミツハは返事をしなかった。
ただ、箸を止めることもない。
ひと口。
またひと口。
黙々とご飯を食べ続ける。
その様子を見て、ハルカが吹き出した。
「まぁまぁ、結果オーライってことで!」
「……」
「ミツ兄だって、黙って仕事受けてるんだから、本当は楽しみにしてんじゃね?」
「……うるさい」
ミツハは小さく呟いた。
けれど、その口元がほんのわずかに緩んだ。
「さて」
アサミがふと、宵月へ目を向けた。
「私たちが興行に出ている間、カナトに変わったことはなかったかい?」
その問いに、宵月の箸が止まる。
「……はい。特に変わりはありませんでした」
「そうか」
アサミはそれ以上、何も聞かなかった。
ただ一度だけ頷き、再び箸を取る。
その時だった。
「あら、そういえば――」
亀子がぽんと手を打った。
「少し前に、お嬢様のお友達が泊まりにいらっしゃいましたのよ」
「……」
「確か、アルスさんという男の子と……もう一人、あの可愛らしい女の子は……ええと、お名前はなんとおっしゃったかしら」
カチャッ。
三人の箸が、同時に止まった。
「――男!?」
ハルカが勢いよく立ち上がる。
「カナト、それって結構“大きな変化”じゃないのか!?」
「……」
アサミは笑っていた。
ただし、先ほどまでの穏やかな笑みとは少し違う。
「恋人……できたの?」
ミツハまで、食事の手を止めている。
宵月は眉間を押さえた。
「違います」
声が一段低くなる。
「アーカイブの任務の都合で、一時的にここで保護していただけです」
「でも、男の子なんだろ?」
「そういう問題ではありません」
「へえ……」
ハルカがニヤリと笑う。
「で、そのアルスってどんな奴?」
「話を聞いてください、ハル兄様」
「いや、だって気になるじゃん」
宵月は小さく息を吐いた。
「亀子さんも、誤解を招くような言い方はお控えください」
「あらまあ」
亀子は両手を合わせ、申し訳なさそうに首を傾げる。
「ですが、お嬢様。あの時、とても楽しそうにしていらっしゃいましたから。つい、坊っちゃまたちにもお話ししたくなってしまって」
「……」
宵月の箸が、ぴたりと止まる。
「なんだぁ……」
ハルカが胸を撫で下ろした。
「俺より先に恋人ができたのかと思って、焦ったぜ」
「……違います」
今度は一語ずつ、はっきりと言った。
「分かってるって」
ハルカは笑いながら手を振る。
「でも、カナトにもそういう相手がいるのかと思ったら、ちょっと嬉しくなったんだよ」
「余計な心配です」
「まあまあ」
アサミが二人の間に穏やかな声を挟んだ。
「恋人ではないのなら安心したよ」
「……兄様まで」
「ただ――」
アサミは湯呑みを置いた。
「今度は仕事とは関係なく、遊びに来るように伝えておきなさい」
にこり。
「私たちがいる時にね」
「……」
宵月の目が細くなる。
「アサ兄……」
ハルカが小声で呟いた。
「……」
ミツハも何も言わなかったが、茶碗を持つ手が止まっている。
「何か問題でも?」
アサミが笑顔のまま二人を見る。
「いや、別に」
ハルカはそっと視線を逸らした。
「俺も……そのアルスって子に会ってみたいな」
ミツハがぽつりと言った。
宵月は兄を見る。
「……分かりました。今度、機会があれば連れてきます」
「うん」
「彼は……アーカイブの任務を手伝ってくれているので」
そこまで言って、宵月は口を閉ざした。
――カフェ・ラートで働いている。
その一言を付け加えるかどうか、一瞬だけ迷った。
けれど、向かいに座る三人の顔を見て、やめた。
ハルカはすでに目を輝かせている。
ミツハは茶碗を抱えたまま、何食わぬ顔でこちらを見ている。
そしてアサミは、いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、こちらの言葉を待っていた。
(……絶対、三人で押しかける)
妙に確信があった。
静かなカフェ・ラートに、三人が揃って押しかけてくる光景が目に浮かぶ。
宵月は何も言わず、湯呑みに口をつけた。
「ふふふ」
向かいでは、亀子が目を細めている。
賑やかな食卓を眺めながら、楽しそうに笑っていた。




