第8話 4月21日 春雨荘 早朝
朝を切り裂くように、目覚まし時計がけたたましく鳴り響いた。
ジリリリリッ――。
アルスはゆっくりと目を開ける。昨日の疲れが身体のあちこちに残っているのか、手足が少しだけ重かった。
窓の外からは春雨荘の管理人・ユラが、ごみ出しに来た近所の女性と楽しそうに笑い合う声が聞こえてくる。
その穏やかな朝の気配に誘われるように、アルスはベッドから起き上がりカーテンを開けた。
柔らかな朝日が部屋いっぱいに差し込む。
眩しさに目を細めながら振り返ると、ベッドには小さな人影が横になっていた。
「……そうだった」
昨日、森から連れ帰った少女。
ソノラは静かな寝息を立て、まるで何日もここで暮らしてきたかのように安心しきった表情で眠っている。朝日に照らされた淡い髪は、宝石を散りばめたように淡く輝いていた。
「朝だよ」
肩をそっと揺らしてみる。
しかし返事はない。
寝息だけが規則正しく続いていた。
「やっぱり起きないか」
苦笑しながら洗面所へ向かい、歯を磨き、冷たい水で顔を洗う。
鏡に映る自分を見る頃には、眠気はすっかり消えていた。
台所へ立つ。
ボウルにシリアルを入れ、輪切りにしたバナナをのせ、冷たいミルクを注ぐ。コーヒーも淹れ終えると、いつもの朝食が出来上がった。
椅子に腰を下ろし、一口食べながら今日の予定を整理する。
(この子を起こして……ラートに顔を出して、そのあと異星人管理局だな)
そう考えていた時だった。
気配を感じて顔を上げる。
いつの間に起きたのか、ソノラがすぐ隣にちょこんと座っていた。
「おはよう」
声を掛けても、ソノラは黙って見つめ返すだけだった。
アルスは立ち上がると、ミルクをたっぷり入れたカフェオレを作って差し出す。
ソノラはカップをじっと見つめると、一気に飲み干した。
「そんなに喉渇いてたの?」
思わず笑みがこぼれる。
「シリアルも食べる?」
ソノラは小さく頷いた。
アルスはもう一つのボウルへミルクを注ぎ、手渡す。
自分の両手より大きなボウルを抱えながら、ソノラは静かに食べ始めた。
食後、アルスは手早く食器を片付ける。
時計を見ると、そろそろ家を出る時間だった。
「急がないとな」
ジャケットを羽織り、厚手の紺色の手袋をはめる。
そこでソノラへ目を向けると、昨日と変わらず白いワンピース姿のままだった。
春とはいえ、朝はまだ冷える。
少し考えた末、棚から淡い緑色のカーディガンを取り出した。
以前、姉が遊びに来た時に置いていったものだ。
「ちょっと大きいけど……これなら寒くないかな」
肩へそっと羽織らせる。
袖は少し余ったが、不思議とよく似合っていた。
「うん、似合ってる」
ソノラは何も言わない。
それでも少しだけ嬉しそうに見えた。
アルスはリュックを背負い、部屋の窓を閉める。
鍵を掛け、二人で春雨荘を後にした。
階段を降りると、庭を掃いていたユラがこちらへ振り向く。
「アルス君、いってらっしゃい。今日はずいぶん大荷物ねぇ」
それからソノラを見つけ、目を丸くした。
「あら、その可愛い子は?」
「昨日、東の森で会った子なんです。迷子みたいなので、仕事が終わったら異星人管理局へ連れて行こうと思って」
「まぁ……そうだったの」
ユラは安心したように頷く。
「あ、そうだ。帰りに何か買ってくる物ありますか?」
春雨荘を一人で切り盛りするユラには、アルスも昔から何かと世話になっていた。
ユラは箒を脇へ立て掛け、柔らかく微笑む。
「今日は大丈夫。昨日ね、お隣のミツヨさん夫婦が買い物に付き合ってくれたの。今週の分はもう揃ってるわ」
「そうですか。また何かあったら言ってください」
「ありがとう」
そう言って送り出そうとしたユラは、ふと思い出したように声を掛けた。
「あっ、そうだ、アルス君」
「はい?」
ユラの真剣な声色に、アルスの表情も引き締まる。
「最近、中心地で少し物騒な噂を聞くの」
「物騒な噂?」
「出掛けた人が、そのまま帰ってこなくなる事件が続いてるらしいの。まだ大きなニュースにはなってないみたいだけど……」
アルスは思わず眉をひそめた。
「そんな事件が……」
「警察も動いているそうだから、大丈夫だとは思うけれど」
あまりに心配そうな顔を見て、アルスは安心させるように笑った。
「気をつけます。夜は暗い道を避けますね」
「ええ。それなら安心」
ユラは今度はソノラの前へしゃがみ込んだ。
「早くお父さんとお母さんに会えるといいわね」
ソノラは静かにユラを見つめ返す。
その澄んだ瞳に微笑み返し、ユラは立ち上がった。
「二人とも、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
朝の陽射しを浴びながら、アルスとソノラは並んで春雨荘をあとにした。




