第7話 4月21日 アーカイブ事務所 早朝
宵月が簡素な扉を押し開ける。
その先に広がっていたのは、外観からは想像もできないほど広く、洗練された執務室だった。
奥の大きなガラス窓からは柔らかな陽光が差し込み、その手前には重厚なデスクと椅子が据えられている。応接用のソファとローテーブルには高級感が漂い、天井から吊るされた大きなシャンデリアが室内を穏やかに照らしていた。随所に置かれた観葉植物だけが、この整いすぎた空間へ静かな生命感を添えている。
左手の壁には、赤、青、緑──色分けされた三枚の扉。
どれも強い存在感を放ちながら、不思議なほど部屋全体に溶け込んでいた。その統一感は、この部屋の主の気質をそのまま映しているようだった。
「宵月か」
新聞からゆっくり顔を上げた東郷が、煙草をくゆらせながら声を掛けた。煙越しに向けられる鋭い眼差しは、それだけで相手を射抜くような圧がある。
「石の在処は判明しましたか」
「ああ。例の鳥が東の森の中央付近へ落としたらしい」
東郷は短く答え、煙を静かに吐き出す。
「東の森なら、そこまで危険な場所ではありませんね」
「夜目の利く者を向かわせた。だが見つからなかった」
そこで一拍置き、続ける。
「代わりに、昨日ひとりで森へ入った少年がいる。出てきた時には少女を背負っていた」
宵月の眉がわずかに寄る。
「他に異変は?」
「報告はない。だが念のため監視は続けている」
静かな声だった。
それだけに、その次の言葉には重みがあった。
「偵察に出したのは非戦闘員だ。少年たちがナタル教に接触される可能性はある」
東郷は宵月をまっすぐ見据える。
「宵月。お前が接触しろ。話を聞き、必要なら保護する」
「承知しました」
「ジーノも連れて行け」
宵月はほんの一瞬だけ目を細めた。
「……ジーノを?」
「お前達は年が近い。警戒も薄れる」
東郷は灰皿へ煙草を押し付ける。
「それに教師になったばかりのお前には、ちょうどいい相棒だ」
口元だけがわずかに動いた。
「初日から遅刻だがな、先生」
「非常勤で学生ですが」
宵月は小さく息を吐く。
「わかりました。ジーノと向かいます」
「ああ」
東郷はスマートフォンを操作した。
「写真と住所は送ってある。勤務先もだ。確認したら削除しろ」
「了解しました」
宵月は端末を開く。
画面には森を歩く少年と、その背で眠る少女の姿が映っていた。
「東郷さん」
「なんだ」
「もし抵抗された場合は」
東郷が答えようとした、その時だった。
扉が勢いよく開く。
「よう、東郷さん、宵月。相変わらず空気が重いな」
青い髪を逆立てた男が、気安い調子で入ってきた。
オーバーサイズのパーカー姿は、この整然とした執務室では浮いて見える。それでも不思議と場の空気を支配してしまう存在感があった。
ジーノ・オルフェイ。
宵月と同じく、アーカイブに所属する実力者である。
宵月は一瞥もしない。
「ジーノ。遅い」
東郷だけが淡々と告げる。
「悪い悪い。ちょっと野暮用でさ」
肩をすくめながらソファへ腰を下ろし、乱れた髪を手櫛で整える。
「それで?」
「少年と少女を探して連れて来い」
宵月が無言でスマートフォンを差し出す。
ジーノは画面を見るなり口笛でも吹きそうな顔になった。
「へぇ。ずいぶん普通そうな子供だな。何した?」
「何もしていない」
東郷が即座に返す。
「だが、ナタル教が狙った石を見た、あるいは手にした可能性がある」
その瞬間だった。
ジーノの笑みが消える。
写真を見つめる目だけが、鋭く細められた。
「なるほど」
短く頷く。
「保護優先ってことだな」
「そうだ」
「抵抗されたら?」
「状況を見て判断しろ」
「了解」
ジーノは立ち上がり、大きく肩を回した。
「居場所は?」
「『ラート』というカフェで働いている。自宅にいなければそこへ向かえ」
位置情報が送信される。
ジーノは画面を一瞥して笑った。
「俺には縁のなさそうな店だな」
そのまま宵月へ振り返る。
「行こうぜ、宵月」
「ああ」
二人はそれ以上言葉を交わさず、事務所を後にした。
扉が閉まる乾いた音だけが室内に響く。
再び静寂が戻った執務室で、東郷は一人、窓の外へ目を向けた。




