第16話 宵月カナト編 1
清々しい早朝の青が、クンスト・トーキョーの空を静かに満たしていた。
街の喧騒がまだ眠りの中にある時間。わずかに湿り気を含んだ風が、宵月カナトの頬を撫でていく。
宵月は空を仰ぎ、小さく息を吐いた。
白い吐息が、朝の空気に溶けていく。
そのとき――
「あれ? 宵月さん、おはようございます」
背後から、聞き慣れた声がした。
まだどこかよそよそしさの残る声だった。
振り返ると、オリーブ色の髪を朝風になびかせた少年――環アルスが立っている。その隣には、無表情な少女、ソノラ・ノーヴァ・ファレノプシス。
アルスはソノラの手をしっかりと握っていた。
ソノラの真珠色の髪が朝日に淡く輝き、二人は並んで歩いてきたせいか、どこか年の離れた兄妹のようにも見える。
「おはよう。どうして、こんなところに?」
宵月が尋ねると、アルスは照れくさそうに後頭部を掻いた。
「今日は仕事が休みなので、ソノラと朝の散歩でもしようかなって」
「散歩?」
「はい。でも、ソノラって気になるものを見つけると、すぐどこかへ行っちゃうんですよ」
アルスが苦笑する。
「それで追いかけてたら……気づいたら、ここにいました」
当のソノラは、何も言わない。
ただ、宵月をじっと見つめている。
朝の光を映した瞳は澄みきっていて、その奥に何があるのか、相変わらず読み取れなかった。
アルスは小さく息をつくと、そんなソノラの手を握り直す。
宵月はその様子を眺め、張っていた肩をわずかに下ろした。
「宵月さんは、どうしてここに?」
「私は今、登校中だ」
アルスの目が、宵月の姿を上から下まで追った。
白地に青いラインの入ったセーラー服。
それを改めて目にした瞬間、アルスはようやく気づいたように瞬きをした。
「宵月さんって、学生でしたね」
「そうだが?」
「いえ……」
アルスは言葉を濁した。
アーカイブで資料を整理し、ときには危険な現場にも赴く宵月の姿ばかり見ていたせいか、こうして制服姿で立っていると、どうにも妙な感じがする。
「なんだ?」
「なんでもありません」
アルスが視線を逸らす。
宵月は小さく首を傾げた。
「変な奴だな」
「あはは……」
アルスは苦笑した。
そのとき、何か思いついたように顔を上げる。
「あっ、そうだ!」
「?」
「もし迷惑じゃなければ……宵月さんの学校まで、一緒に行ってもいいですか?」
アルスの声には、隠しきれない好奇心が混じっていた。
宵月の普段の生活。
アーカイブでは見せない、学生としての彼女。
それを少しだけ覗いてみたい――そんな気持ちが、表情から滲んでいる。
宵月は目を丸くした。
「私の学校に?」
「はい。もちろん、無理なら大丈夫です」
アルスは慌てたように手を振る。
「制服とか校則とか、色々あるかもしれないですし……」
宵月は返事をせず、右手の指先を顎に添えた。
アルスとソノラを交互に見る。
しばらくして、その視線がソノラの手元で止まった。
ソノラは相変わらず無表情のまま、アルスの手を握っている。
宵月はわずかに目を細めた。
「……いや」
そして、アルスへ視線を戻す。
「そういうわけではない」
「じゃあ……」
「まぁ、大丈夫だろう」
宵月は短く答えると、ひとつ頷いた。
アルスは一瞬、首を傾げた。
何が「大丈夫」なのか。
聞き返そうとも思ったが――
「それじゃあ、行こう」
宵月はもう歩き始めていた。
「え? あ、はい!」
アルスも慌てて後を追う。
ソノラの手を引きながら、その隣に並んだ。
三人の影が、朝日に長く伸びていく。




