第13話 モルガ・カービー編 6
モルガが事務所を出てから、しばらく経った頃――。
青い扉が静かに開いた。
東郷が姿を現す。
足音はほとんど聞こえない。無言のまま自席へ向かうその姿は、さっきまでそこにいなかったことさえ忘れさせるほどだった。
「東郷、お疲れさまです。モルガさん、すごく張り切ってましたよ」
才原が声をかける。
「あぁ」
東郷は軽く顎を引いただけだった。
そのまま席へ向かう。
「あら、東郷ちゃん。紅茶でもいかが?」
窓際にいたエルザが、ティーポットを手に振り返った。
「いや、自分で淹れる」
東郷は足を止めることなく答えると、棚からインスタントコーヒーの瓶と白いマグカップを取り出した。
蓋を開け、スプーンも使わずに瓶を傾ける。
「ちょっと、東郷ちゃん」
エルザが眉を上げた。
東郷は気にする様子もなく、ポットから湯を注ぐ。
白い湯気が立ちのぼり、濃いコーヒーの香りが広がった。
「せめて分量くらい測りなさいな」
「必要ねぇ」
「そんなにブラックコーヒーばかり飲んでたら、胃を壊すわよ」
「この身体は、カフェインごときで壊れるほどやわじゃない」
東郷はマグカップを手に取り、ひと口飲む。
眉ひとつ動かさない。
「相変わらずね」
桜子が苦笑しながら近づいてきた。
「食事のときにも言ったでしょう? 私はあなたの身体を心配しているの」
「分かってる」
「分かっている人の飲み方には見えないけれど?」
「…………」
東郷は答えず、もう一口コーヒーを飲んだ。
桜子はしばらくその横顔を眺め、それから小さく息を吐いた。
「まったく……」
呆れたような声だった。
けれど、それ以上は言わない。
代わりに手元のタブレットを操作し、画面を東郷へ向けた。
「さて。それはそれとして」
「ん?」
「エルズニルの捜索について、エルザと必要なことは詰めておいたわ」
画面を軽く指で叩く。
「物資のリストをまとめてあるから、あとで送るわね」
「ああ。受け取ったら目を通す」
東郷は短く答え、マグカップを机へ置いた。
そのやり取りを少し離れた場所から見ていたエルザと才原が、そっと顔を見合わせる。
「桜子おばあちゃま……ちょっと怒ってる?」
「どうでしょう」
才原が小声で返す。
「東郷はいつも通りですけど」
「いつも通り、なのよねぇ」
「ええ。怒られているところまで含めて、いつも通りです」
二人が小声で話していると――
「二人とも」
桜子の声が飛んできた。
「はい?」
「な、なにかしら?」
才原とエルザが同時に振り返る。
桜子は微笑んでいた。
「少しの間、席を外してくださる?」
「…………」
「…………」
二人の間に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
「……承知しました」
才原が立ち上がる。
「失礼します、おばあちゃま」
エルザも続いて立ち上がった。
二人は揃って軽く頭を下げると、そそくさと黄色い扉の向こうへ消えていく。
カチャリ。
扉が閉じた。
途端に、事務所が妙に広く感じられた。
残ったのは、東郷と桜子の二人だけ。
白い湯気が、東郷のマグカップから細く立ちのぼっている。
桜子は閉じた扉を一度だけ見つめ、それから東郷へ視線を戻した。
「……さて」
先ほどまでの柔らかな笑みが、ほんの少しだけ消える。
「東郷ち」
「なんだ」
「モルガさんのことだけれど――」
東郷の指が、マグカップの縁で止まった。




