第12話 モルガ・カービー編 5
モルガが青い扉の向こうから戻ってくると、事務所では才原とエルザ、それに桜子が次の任務について話していた。
才原がモルガの姿に気づく。
「おかえりなさい、モルガさん。どうでした?」
話をいったん切り、穏やかな笑みを向ける。
「はい! 大丈夫です!」
モルガは胸の前で拳を握り、勢いよく頷いた。
「私、頑張ります!」
「ふふ。頼もしいですね」
才原は目を細める。
「東郷から聞いていると思いますが、日程や詳しい内容については、あとで僕から連絡しますね」
「はいっ! よろしくお願いします!」
元気よく返事をしたモルガだったが、ふと室内を見回した。
「……あれ?」
ソファに宵月の姿がない。
「宵月さんは……もう帰っちゃったんですか?」
ソファに腰掛けていたエルザが、ティーカップを口元から離した。
「ええ。カナトちゃんなら、学校の課題があるって帰ったわよ」
「なるほど~」
モルガは納得したように頷き、腰に手を当てて大きく息を吐く。
「そっかぁ……」
先ほどまで東郷と向かい合っていたせいか、こうしていつもの事務所へ戻ってくると、肩に入っていた力が少しずつ抜けていく。
その様子を見ていた桜子が、紅茶のカップをテーブルへ置いた。
「カナトちゃんに、何か伝えたかったのかしら?」
モルガは振り返る。
「宵月さんにも、『私、仕事頑張ります』って伝えたかったんですけど……」
そこまで言って、モルガは自分の言葉が急に恥ずかしくなったのか、頬を赤くした。
「……えへへ。ちょっと子供っぽかったですよね」
「あら」
桜子が目を細める。
「そんなことないわ。自分で決めたことを、誰かに伝えるのは素敵なことよ」
「そ、そうですか?」
「ええ」
桜子が微笑むと、モルガは照れくさそうに頭を掻いた。
「じゃあ……よかったです」
そのやり取りを眺めながら、エルザが立ち上がった。
「せっかくだもの。もう一杯、紅茶を淹れましょうか?」
「えっ、いいんですか?」
エルザは返事の代わりに棚からティーカップを取り出し、新しい茶葉の入った缶を手に取った。
そのとき、モルガの視線が壁の時計に止まる。
「あっ」
「どうしたの?」
「いけない! そろそろ帰らなきゃ!」
慌てて時計を指差す。
「今日はこのあと、近所の子供たちと約束してるんです」
「約束?」
「はい。みんなで猫を探すんです」
モルガは少し申し訳なさそうに笑った。
「だから、今日はこれで失礼します」
「あら、残念」
エルザは手にしていたポットをテーブルへ戻した。
「せっかく紅茶を淹れようと思ったのに」
「すみません」
その会話を聞いていた桜子が、ふと思い出したように立ち上がった。
「それなら、ちょうどいいものがあるわ」
「?」
桜子は棚のそばまで歩いていくと、花模様の描かれた丸い缶を取り出した。
「これ、持っていきなさいな」
「わぁ……」
蓋を開ける。
ふわりとバターの甘い香りが広がった。
中には色とりどりのクッキーが、きれいに並べられている。
「こんなに美味しそうなの……いただいていいんですか?」
「もちろん」
桜子は微笑んだ。
「探し物の途中で、みんなで休憩なさい。お腹が空いていたら、猫も見つけにくいでしょう?」
モルガはクッキー缶を大事そうに胸へ抱えた。
「ありがとうございます。きっと子供たちも喜びます!」
「ええ。気をつけて行ってらっしゃい」
「はい」
モルガは深々と頭を下げる。
「皆さん、お疲れさまでした!」
明るい声を残し、軽い足取りで事務所を出ていった。
扉が閉まる。
静かになった室内には、淹れかけの紅茶とバターの甘い香りが残っていた。
エルザが閉じた扉を眺めながら、小さく笑う。
「元気な子ね」
「ええ」
桜子も微笑んだ。
「きっと、いい子に育ったのでしょうね」
才原は何も言わず、モルガが去っていった扉をしばらく見つめていた。
やがて、静かに眼鏡の位置を直す。
「……そうですね」
その声だけが、穏やかな事務所に静かに落ちた。




