第1話 アルス編 1
本日から『橄欖色のアーカイブ』のキャラクターたちのちょっとした日常も交えつつ、新たな物語を更新しました。
感想やコメントなども、気軽にいただけると嬉しいです!
最後までお楽しみください。
夏の始まりを告げる夕暮れが、春雨荘二〇二号室の部屋の片隅に柔らかな光を落としていた。
沈みかけた陽は朱に染まり、窓辺に長い影を伸ばしている。日中の熱もまだわずかに残っていた。
アルスは窓辺へ歩み寄ると、静かにカーテンを引いた。
そのまま机へ目を向ける。
そこには、二枚のチケットが並べて置かれていた。
何気なく手に取った紙片が、夕陽を受けて淡く光る。
その光を見つめているうちに、アルスの脳裏に一ヶ月前の出来事が浮かび上がってきた。
――殺戮兵器アンビジブル復活事件。
あの事件から、アルスが病院を退院して、もう一ヶ月が経とうとしていた。
◇
退院の前日。
アーカイブ副リーダーの才原の計らいで、アルスの両親と姉のユリアが地方から上京してきた。
長距離列車を乗り継いで、家族が真っ先に向かったのは病院だった。
病室の扉が開く。
ベッドに腰掛けたアルスの姿を見た瞬間、母の表情が大きく揺れた。
「アルス……」
声が震える。
「ほんとに……無事なのね……」
堪えていた涙が、母の頬を伝って落ちた。
「母さん……」
アルスが声をかけると、母は何も言わずに歩み寄り、その頬をそっと撫でた。
父も黙って母の肩を抱く。
その隣では、ユリアが深く息を吐いていた。
「……よかった」
それだけ呟くと、彼女はアルスの手を握った。
「心配したんだからね。ほんとに……あなたはなんでこんな目に遭うの」
アルスは昔、自分が大怪我をしたときのことをユリアが言っているのだと察し、気まずそうに視線を逸らした。
「ごめん」
「謝るのはあと。今は顔を見せて」
そう言って、ユリアは弟の顔をじっと見つめた。
その場には才原も同席していた。
家族が落ち着くのを待ってから、彼は今回の負傷について慎重に説明を始めた。
一方で才原は事前にアルスにこう説明していた。
「今回の件についてですが……ご家族の方には、君が都市部で続発していた暴動に巻き込まれた、という形で報告させていただいています」
それは完全な嘘ではなかった。
ニュースでも連日そのように報道されていた。
だが、真実のすべてでもない。
アンビジブル復活事件のことも、ソノラの存在についても、家族には伝えられていなかった。
なのでソノラは現在、隣の部屋で宵月と待機している。
「アルスさんの容体については、こちらでもできる限りの対応をさせていただきました。ただ……ご連絡が遅くなってしまったことは、私どもの不手際です」
才原は深く頭を下げた。
「ご心配をおかけして、本当に申し訳ありません」
両親は顔を見合わせる。
それから父が小さく首を横に振った。
「いえ……息子の無事が確認できた。それだけで十分です」
母も涙を拭いながら頷いた。
「この子が無事なら、それで……」
アルスの家族は、彼がこの事件に関わっていたことを知らない。もし知っていれば、両親は心配のあまり、すぐにでもアルスを家へ連れ戻していただろう。
アーカイブの判断もあったが、アルス自身もまた、その事実を両親に伝えるつもりはなかった。
その夜、才原が手配したホテルにアルスの家族は泊まることになった。
あまりの好待遇に驚きながらも、名残惜しそうに両親は病院を後にした。
だが、ユリアだけは病室に残った。
「私はここにいるから」
「姉さん、明日仕事なんじゃ……」
「だから?」
ユリアは持参した鞄を開くと、中から整備用のメンテナンスキットを取り出した。
「ちょっと右腕、見せて」
「今?」
「今」
有無を言わせぬ口調に、アルスは苦笑しながら右腕を差し出した。
「はいはい」
「素直でよろしい」
ユリアは義手を手に取ると、関節を一つひとつ確認していく。
「……へぇ」
「どう?」
「思ってたより、ずっと状態がいいわね。アルスよりもずっと元気そう」
工具を使って細かな調整をしながら、ユリアは感心したように呟いた。
「ちゃんと手入れしてるじゃない」
「まぁ、一応」
「一応じゃないでしょ。こういうのを怠ると、あとで痛い目を見るんだから」
「わかってるって」
「ほんとかなぁ」
姉弟のやり取りに、病室の空気が少しだけ和らぐ。
やがてユリアは、義手の関節部分に埋め込まれた宝珠へ目を留めた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
ユリアは宝珠を覗き込むように顔を近づける。
「この石……前より色が濃くなってない? 少し緑色を帯びている」
「えっ? そうかなぁ」
「前に見たときより、明らかに違う気がする」
アルスは少し迷ったあと、その石について説明した。
「これ特殊な隕石なんだって」
「隕石?」
メテオロイドという名称はなんとなく言い出せなかった。
「うん。たぶん、その影響だと思う」
アルスが続けて話すと、ユリアは興味深げに義手を眺めた。
「なるほどね……」
彼女はメテオロイドだけでなく、義手の金属部分にも視線を移した。
「もしかしたら、この金属も少しずつ性質が変わってるのかもしれない」
「金属まで?」
「可能性はあるわ。私が見間違うわけない。私が作った義手自体も色が少し変わっているもの。隕石の成分がどう作用してるのかは、今の私には判断できないけど……」
そう言いながら、ユリアは慎重に関節を調整していく。
「まあ、使用には問題ないわね」
最後にフレームを布で拭き取ると、ユリアはふっと息を吐いた。
「まったく……」
「?」
「ちょっと目を離しただけで、とんでもないことに巻き込まれてるんだから」
呆れたような声だった。
けれど、その表情には隠しきれない安堵が滲んでいた。
「……でも、無事でよかった」
アルスは黙って姉を見る。
ユリアは照れ隠しのように視線を逸らすと、メンテナンスキットを鞄へ戻した。
「何かあったら、すぐ連絡してよ」
「うん」
「遠慮しないで」
「わかったって」
ユリアはアルスを指差した。
「姉としても、整備士としても、これは命令だからね」
「はいはい」
「返事は一回」
「……はい」
「よろしい」
アルスが苦笑すると、ユリアも笑った。
翌朝。
仕事の都合で早く帰ることになった両親とユリアを、アルスは病院のロビーまで見送った。
「じゃあね、アルス。本当はもうちょっとここに居たいけど」
母が名残惜しそうに手を握る。
「無理しないでね。いつでもお家に戻ってきていいのよ」
「ありがとう母さん。でもやっと仕事にも慣れて来たんだ。だから僕はまだここにいるよ」
「そう……ちゃんとご飯食べるのよ」
「うん。」
母は一瞬残念そうな表情を見せた。
父もアルスの肩に手を置いた。
「何かあったら、すぐ連絡しなさい。それに母さんにあんまり心配かけるんじゃないぞ」
「わかった」
最後にユリアが振り返る。
「アルス」
「ん?」
「ちゃんと体、大事にしてよ」
いつもの姉らしい、少しぶっきらぼうな言い方だった。
「姉さんもね」
「私はいいの」
「なんで?」
「お姉ちゃんだから」
「それ、理由になってないよ」
「いいの。そういうものなの」
ユリアは笑いながら手を振った。
「じゃあね!」
「うん。またね」
三人の姿がロビーの向こうへ消えていく。
アルスはその場に立ったまま、見えなくなるまで家族の背中を見送っていた。
やがて自動扉が閉じる。
静かになったロビーで、アルスは小さく息を吐いた。
――あれから、一ヶ月。
そして今。
机の上に置かれた二枚のチケットが、再びアルスの意識を現在へと引き戻していた。
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